【読書メモ】今週読んだ4冊
「校閲ガール」 宮木 あや子
校閲の女性のお仕事小説
校閲とは、書籍・雑誌などの出版物に書かれる文章の正誤や事実確認を行なう仕事です。よく似た仕事に「校正」がありますが、そちらは誤字・脱字や文法的な誤りを指摘するのに対して、校閲は文章の内容を精査します。時代考証に照らして誤りはないか、作中での主人公の移動時間は距離と照らし合わせて不自然ではないか、などなど。いわゆる「正しい文章」を追求するお仕事です。
主人公は学生時代からファッション雑誌に憧れており、そこの編集部を目指して出版社に入社します。ですが、配属されたのは文芸の校閲部。エネルギッシュに働くファッション誌の編集部を横目に、主人公はエロ要素がしつこい中高年男性向けのミステリーに赤ペンを入れている。こんなんでいいのか? なぜ、自分は校閲に配属されたのか? 疑問と憤りを抱えながらも、正しい文章なるものに向き合うお仕事小説です。
校閲の仕事とは
校閲は編集ではないので、文章の正誤にこそ指摘はできても、本の内容自体には口出しができません。それでも校閲だって一人の人間です。本を読んでいれば、それこそ内容に不備が無いか穴が開くほど読み込んでいれば、その本に対する愛着や自分なりの意見が湧いてきます。
物語の中盤、主人公は自分がかつて読んでいたファッション誌のコラムをまとめた書籍の校閲に携わります。その内容が現代の女性が置かれた風潮とはどうにも合わないと感じた彼女は、そのことを編集部に伝えます。果たして、その結果は惨憺たるものでした。
校閲がやってはいけないこと、それは本を「読んでしまうこと」であると、主人公の上司は言います。思い入れのある作家や一家言あるジャンルの本だと、つい校閲としての仕事を忘れて没入してしまい、内容の不備に気づかないことがあるのです。主人公が希望したファッション誌ではなく全く興味が無い文芸の校閲に配属されたのは、そういう理由からでした。
「好きなことを仕事にしよう」と就活時代によく言われましたが、好きだからこそ仕事にならないこともある。世の中には興味が無いからこそ成り立つ仕事もあるのだと膝を打ちました。
主人公の毒舌が光る
主人公は20代の女性ですが、この年代の会社員女性に社会が要求してくるような愛想の良さや愛嬌は微塵も無く、必要とあらば相手が作家センセイであろうと毒舌をぶちまけます。これが本当に愉快痛快。胸がすくとはこういうことです。
「グレーゾーン」とはなんぞや
主人公の同僚で、いわゆる友人ポジションとして中性的な男性が登場します。彼はイケメンの男性が大好き。作中の描写では「外見が性別不明」と描写され、主人公は彼のことを「グレーゾーン」と表現します。本作の出版年は2014年、まだ「Xジェンダー」「ノンバイナリー」といった言葉が定着していなかったので仕方ないかもしれませんが、「グレーゾーン」はやや引っかかる表現だと思ったり。一般的に、あまりポジティブな使われ方をされない言葉なもので。
いわゆる「オネエ」的なコッテコテの描写ではありませんが、「セクシャルマジョリティの主人公の良き友人である面白い性格のセクマイ」ではあるので、ちょっとヒヤヒヤしながら読みました。セクマイキャラのそういうキャッチーな使われ方って、割とアレなので。
「後宮の検屍女官」 小野はるか
中華×医学×ミステリ
「大光帝国」という架空の中華的な国の宮廷が舞台のミステリ。当時の人々にとっては奇怪千万としか言いようがない「死者の出産」に医学的視点からアプローチして推理を展開する内容が、まあ新しいと思います。ただ、それよりも気になって気になって仕方がなくて、内容にまったく集中できない問題点がありまして。
レズビアン軽視がキツい
本作の舞台となる大光帝国の「後宮」という、日本でいうところの大奥みたいな、帝以外はほぼ女性しかいない、いわゆる「女の園」です。ちなみに主人公は宦官(後宮に入ることを許された、去勢された男性)。そしてこの後宮では女性同士での恋愛がしばしばあるのですが、本作ではそれを「女しかいない場所で老いていく運命なら、女色にでも走らないとやっていられないのだろう」と評価する描写があります。女色、つまりレズビアニズムに「走る」、そして「やっていられないのだろう」。ずいぶんな言い草ですね。
作中の描写も、大正時代の日本のエス的な文化を舞台装置として都合よく利用している感が否めなく、正直に言って不誠実に感じました。「流行りの百合ってやつをキャッチーな要素として使ってみた」みたいな。それと、なんというか全体的に「女同士で恋愛とか、ないでしょ(笑)」みたいな価値観がにじみ出ているのです。特にある女性キャラに関しては、女性と恋愛関係にあることを仄めかす描写を入れることでレズビアンであると見せかけて、実はなんとヘテロセクシャルでした、という「トリック」があったのにはさすがに呆れました。男女の物語のトリックとしてセクマイを利用しないでほしいです。それはあまりにも安直で、残酷なので。
非百合作品で百合的な設定や描写が男女物のために都合よく利用されているのを見ると、なんというかチクッとなるんです。チクッと刺さって、ピリリときて、あとにはムズムズとしたやるせなさが残る。チクッ、ピリリ、ムズムズ、と。そうしてため息とともに本を閉じました。続巻も出ているようですが、読むことはないでしょう。
「生成AIスキルとしての言語学 誰もが「AIと話す」時代におけるヒトとテクノロジーをつなぐ言葉の入門書」 佐野 大樹
言語学と聞いて読んでみた
学生時代に言語学をかじったことがあるので、興味を持って読んでみました。これからは良い意味でも悪い意味でも、生成AIが生活に絡んでくると思いますし。
AIの話をするネットの人ってなんだか胡散臭いイメージ(偏見)がありますが、私は言語学がフックになって読んだだけですので!(言い訳)
せっかくなので、生成AIに対する私のスタンスをここで述べておきます。テキスト型の生成AIは私たちの相談相手やパートナーとして大いに役立つと思っています。ですが、画像生成AIは著作権の問題などを鑑みて、功罪でいうと「罪」の方が大きくなりそうなので懐疑的です。ですが、EUのようにAI法などの法律を新しく作って規制するべき、とも思っていません。そこは既存の法律、たとえば著作権法などで対応できると思いますので。
学問は廃れない
プロンプト(生成AIに入力する言葉のこと)の効果的な書き方、生成AIに尋ねる際の状況(コンテクスト)を設定することの重要性などを、言語学の知見から実例を交えて詳しく解説する本です。
序文には「AIは変化が激しく、流行りの技術はすぐに廃れるだろう」とあります。現にシリコンバレーでは、AIの技術革新が毎週起こっていると聞きます。「毎週のように」ではなく、文字通り、毎週。今週に最新技術とされたものが、来週には過去のものになっている。いまも「ChatGPTの活用法!」みたいな本、サイト、動画がたくさんありますが、日進月歩どころか一分一秒を争って目まぐるしく進化する生成AIにおいては、それらが来年も使えるかどうかの保障はありません。変化の激しいIT業界において、技術は基本的に廃れるものだからです。
そんな中でも、言語学に基づくノウハウは今後も陳腐化することなく使い続けることができる、と本書は提唱します。学問はそうそう廃れるものではないからです。激動の時代だからこそ、普遍的な価値のある学問が必要である、と。
これは私が考えたたとえ話です。たとえば、100年前の自動車と現在の自動車では形も性能も大きく異なります。それでも「タイヤが4つ付いている」「ドアがある」といった基本的な部分は変わりません。AIも、どれだけ進化しても変わらない部分があると思うのです。その基本を言語学の観点から解説して、生成AIの上手な使い方を学べる一冊です。
自然言語だからこそ言語学が活かせる
プログラミング言語でプロンプトを組んでいたこれまでのAIとは異なり、ChatGPTをはじめとする生成AIは自然言語で入力ができます。自然言語とは、私たちが普段使っている言葉のことです。そして普段使う言葉は言語学が得意とする範囲なので、言語学が活用できる、というわけです。
プロンプトの組み方、文脈の提示などのハウツー
AIはどのように生成するのか、という仕組みをイチから解説するところから始まり、プロンプト、エンコーダー、デコーダー、トランスフォーマー、といったワードを段階を踏んで解説していきます。そのため、生成AIミリしらの人でも分かりやすい一冊となっています。生成AIの入門書として手に取ってみるのもアリです。
☆おすすめ!『ときときチャンネル 宇宙飲んでみた』 宮澤 伊織
読みやすくてむずかしい百合SF
『裏世界ピクニック』宮澤伊織先生のYouTuber百合小説!
本作は全編を通してYouTube配信の形で進行します。テキストはセリフのみで、地の文はまったくありません。まるで戯曲を読んでいるような趣です。YouTube配信を始めたわんこ系女子の十時(ととき)さくらと、同居人にして学会を追放されたマッドサイエンティストの多田羅未貴(たたらみき)。この二人の会話がほぼメインという、女女濃度が非常に濃い一冊です。
セリフの合間には、まさしくYouTubeのライブ配信のようにリスナーのコメントも流れます。これが実にリアリティがあり、YouTube配信を観たことがある人なら一度は目にしたことがあるようなノリのものが盛りだくさん。ですが主人公たち二人のプライベートに立ち入るようなものや、距離感が近くて馴れ馴れしいもの、二人の仲を茶化すようなコメントはありません。みんな「わかってる」リスナーなので安心感があります。リスナーに安易に「てぇてぇ」と言わせないのが宮澤先生です。
ハードSFと百合の相性
全編セリフのみという、活字が苦手な人でも読みやすいスタイル。けれど、マッドサイエンティストの口から語られるハードSFの世界は難解の極みで、文章の読みやすさとの温度差で風邪をひきそうです。高次元存在、量子もつれ、ラプラスの魔。正直、私は半分も理解できたかもあやしい。でも大丈夫、それは百合CPの片割れであるさくらちゃんも同じなので。
科学知識が無いさくらちゃんが、その都度多田羅さんから丁寧に説明を受けます。これには二つの効果がありまして。ひとつは、さくらちゃんを通して読者にもSF現象の説明をすること。そしてもうひとつは、女が女に説明する、それ自体が百合となること。
2018年に公開された宮澤伊織先生と草野原々先生の対談記事のなかで、こんな箇所があります。
本作ではマッドサイエンティストの女性が高度な科学知識の無い女性に対して、宇宙の仕組みや時間の概念を手取り足取り教えます。「ラプラスの魔」を「『後方腕組みオタク』みたいに、ある概念を具現化するための言葉だ」とネットの民のさくらちゃんにも分かりやすいように噛み砕くなど、彼女への気遣いも随所に見受けられます。まさに、草野さんが言って宮澤さんも関心を示していた、ハードSFの説明パートを百合にできる手法ですね。「ハードSFには説明が多い」というのを逆手に取れる。そう、百合ならね。
百合の内約
百合ジャンルは同居百合といった感じで、作中では恋愛百合の要素こそありません。ですが、本作の内容はすべて「YouTube配信動画」だけで構成されています。配信が終わったあとの彼女たちがどのような生活と関係を築いているかは、リスナーも読者も知る由はありません。それでいいのです、本作は。私の感想ですが、ぶっちゃけ二人はデキていますよ。
ネットの民のわんこ系女性が、テンションバリ低かつ身長バリ高で猫背のマッドサイエンティストお姉さん(生活能力ゼロ)とYouTube配信をする百合SF。まさに異色の名作です。新しいスタイルの小説を読んでみたい人、そしてもちろん、百合が好きな人。オススメですよ。
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