【読書メモ】今週読んだ7冊
ノンフィクション強化週間。
『ヨーロッパ史入門 原形から近代への胎動』池上 俊一
『ヨーロッパ史入門 市民革命から現代へ』池上 俊一
ヨーロッパの境界線
「ヨーロッパ」と聞いて、みんなは何をイメージするだろう。石造りのオシャレな街? 荘厳な古城? それも一つの姿ではある。それでは「ヨーロッパ」の地域はどこからどこまでを指すのだろうか。西端はスペインとポルトガルの面する大西洋があるので明確に境界を敷くことができる。けれど、東は境界線の敷き方が難しい。トルコはヨーロッパなのか中東なのか。ロシアはヨーロッパなのか。本作はそんな、読者の中のフワッとしたヨーロッパ像をかっちり定めてくれる二冊。
古代から現代までのヨーロッパ史を俯瞰する
古代ギリシャなどの地中海世界から始まり、魔女狩りが横行する中世ごろまでを解説する一冊目と、フランス革命やロシア革命などから始まる王政の失墜、産業革命などによる近代化から現代にいたるまでの道筋を辿る二冊目。どのトピックも面白くて、読んでいて飽きない。
国を越えたヨーロッパ史の総合的視点
ヨーロッパ史を語るにあたって「フランスの歴史」「ドイツの歴史」「イギリスの歴史」などと国ごとに分けることはせず、それぞれの国が相互に影響を及ぼし合いながら切磋琢磨して発展を遂げていく過程を総合的俯瞰的にまとめている。言うなれば「ヨーロッパの国の本」ではなく「ヨーロッパの本」。教科書的な無味乾燥な記述ではなく、かと言って池上彰の解説みたいなくだけすぎた感じでもない。程よく読みやすい文章が心地よい。
私も将来的には異世界モノを書くかもしれないので、いわゆる「ナーロッパ」にならないためにヨーロッパの解像度を上げるべく読んでみた。勉強になりました。「ヨーロッパ」をフワッとした捉え方しかできない人にオススメ。
『正義とは何か』森村 進
正義の多様性と政治的・社会的正義への偏重
マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』以降、にわかに「正義」について語られることが多くなった。それ自体は良い事なのだが、その正義はもっぱら「政治的正義」「社会正義」である。その正義はあくまで正義論の中の一つに過ぎず、本来はもっと多様な正義が様々な哲学者によって論じられてきた。本書では著名な哲学者が確立した「正義」を紹介する。
哲学者たちの正義論を丁寧に解説
本の構成は、哲学者たちが論じた正義論を詳しく解説していく形となっている。内容は解説が主であり、哲学者たちの論をぶつけ合わせて著者なりの持論を展開するといったことはしない。また、哲学者たちの正義論にそれぞれ通じ合う論点を見出したり、一冊の本として「つまり、正義とは何なのか」という結論を出すこともない。言うなれば哲学者が正義に対して言っていたことのまとめである。良くも悪くも「まとめ」。出来れば著者なりの意見も読みたかったので、そこはちょっと肩透かしをくらった気分かも。
親切設計だが哲学の予備知識があるとより良い
哲学用語をたとえ話を交えながらしっかり説明してくれる、親切設計となっている。それでもそれなりに難しいので、哲学ミリしらの人よりは哲学をある程度かじったことのある人のほうが向いている。
『ソース焼きそばの謎』塩崎 省吾
焼きそばの歴史を見直す――戦後闇市ではなく大正浅草
ソース焼きそばだけで一冊、書けるものなんだなあ。
ソース焼きそばはお好み焼きの一種として誕生した。お好み焼き店などでお好み焼きを鉄板で作る傍らで、同じくソースを絡めて作るようになった、という説が有力である。
ソース焼きそばが誕生した年代について。2011年ごろまでは戦後の闇市で生まれたという説がメインだったが、本書はそれを俗説として否定する。関係者の証言を検証した結果、ソース焼きそばは大正にはすでに東京・浅草に存在した、という説を本書は提唱する。焼きそばが全国区に広まったきっかけは戦後闇市であり、また人々が闇市について語る際に焼きそばがセットで語られることも多いため、焼きそば闇市発祥説が定着したと考えられる。
また、大阪発祥説も根強い。焼きそばとお好み焼きは前述の通り関連が深いため、お好み焼きの本場である関西で生まれたというイメージが強いのだろう。しかし、浅草で焼きそばが生まれたと思われる大正には大阪ではまだ中華麺の製麵設備が整っていなかったと思われるため、この説は否定される。東京から「焼きそば」なる概念は情報として伝わってはいたが、店のメニューとして提供できる環境が無かったと考えられる。
ソース焼きそばは年配の中国系料理人からは「浅草焼きそば」と呼ばれているケースがある。浅草が発祥であることが理由と思われるが、明確な裏付けは取れていない。ちなみに中国の焼きそばである「
炒麺(チャーメン)」と日本のソース焼きそばはもちろん別物である。
浅草のお好み焼き店「染太郎」は日本におけるお好み焼きと焼きそばの関係性を示す、最古クラスの現存するお店である。昭和14年に雑誌『文藝』で連載された高見順の小説『如何なる星の下に』は染太郎をモデルにしたお好み焼き店「惚太郎」が登場しており、そこで描写される店のメニューの一つに「やきそば」がある。
同じく浅草に現存する「デンキヤホール」では「オムマキ」という、オムライスの中身を焼きそばにした料理を提供している。100歳を超える常連客によると、これを現在でも「昔から変わらぬ味」とコメントしたという。その人の年齢から計算すると、もっとも遡れば大正7年にはすでにオムマキが存在したと言える。オムマキは焼きそばの派生料理なので、焼きそばもその頃にはすでに存在していなければおかしい。しかし当時に焼きそばが存在したという明確な根拠を示す資料は、現時点では見つけることができない。そこで著者は思考実験を行ない、当時に焼きそばが存在しえたかどうかを考察する。
焼きそばのメイン食材である中華麺の製麺機は、大正にはすでに東京で使用されていた。つまり、大正の東京で焼きそばを作って提供することは可能だったと言える。
憶測による仮説が多い
本書ではこのように、焼きそばに関する歴史的資料が非常に少ないため著者の憶測による記述が多分に含まれる。そのため学術的資料として扱うには眉唾物かもしれないが、読み物としてはミステリーを追っているようで面白かった。
おまけ 「ソースあとがけ」の理由
焼きそばの調理法の中で、麺を焼いた後にソースをかける「ソースあとがけ」が多いことにも理由がある。昔、焼きそばに使われていたソースにはサッカリンという人工甘味料が含まれており、これは加熱すると苦味が生じる。そのため焼いている途中ではなく、焼いた後にかける手順が焼きそばの調理法として定着した。
『今こそ学びたい日本のこと: 知っているようで知らない 日本人の心、食文化、職文化、信仰、地域の魅力など』蜂谷翔音(マジカルトリップ) (著) 松本まさ(マジカルトリップ) (著)
「日本スゴイ系」との違い――過度な礼賛なしの日本案内
いわゆる「日本スゴイ系」かと思って身構えて読んだけれど、不自然に日本を持ち上げるような記述はほとんど無かった。「日本スゴイ!」というよりは「日本は独特の魅力があるね!」みたいな感じ。少なくとも、欧米の視点を通して日本を評価する論調の中で「親日」「知日派」みたいな気持ち悪いワードが無いだけでも、自分の中では加点対象となる。
だけど、オリエンタリズムの延長線上にあるジャポニズムを無批判に取り上げて、いまの漫画・アニメと同じく日本の芸術が古くから欧米に絶賛された例とするのはどうなんだろう、とも思う。オリエンタリズムは東洋へのステレオタイプをより強化することになった、という批判もあるので。
また、「アメコミは『正義VS悪』のシンプルな話が多いが、日本の漫画は『正義VS正義』の複雑な話となっており人気を博している」という記述も、それこそ物事をシンプルに捉えすぎなんじゃないかと。
「日本人の特徴」「日本人の精神性」なるものが一括りに語られるのも若干ハナにつくけれど、最初に「グローバル化した現在では、日本人の特徴は本書に書く限りではない」という但し書きがあるのは、まあ良い。
一般教養としてのおさらい――「いまさら聞けない○○」的内容
本書の内容は、もっぱら一般教養のおさらいレベル。よくバラエティ番組でやっている「いまさら聞けない○○のこと」みたいな感じ。細かい雑学や何か新しいことが書いてあるわけではないので、「日本なるもの」「日本人的とされるもの」を改めて捉え直したい人には向いている。
「日本では農業が行なわれたので、集団行動を重んじる勤勉な日本人の精神性が生まれた」みたいな記述があるんだけど、それだと農業が栄えた地域ではどこでも日本人的な民族が生まれないとおかしくないかな!?
ただ、大和民族だけでなく、アイヌ民族と琉球国のことも割と紙幅を割いて解説しているのは評価したい。
『生物学的に、しょうがない!』石川 幹人
「生物学的に」という言葉の偏見と本書のアプローチ
今にちにおいて、「生物学的に」という言い回しにはあまり良いイメージが無い。同性愛を「生物学的におかしい」と否定する言説が未だに残っているからだ。ちなみに同性愛行動がみられる動物は1500種類いるが、同性愛嫌悪行動を示す動物は1種類のみ。どちらが「生物学的におかしい」かは一目瞭然。それはさておき閑話休題、本書は「生物学的」という言葉を同性愛嫌悪を正当化するような悪用ではなく、自分のメンタルを保つためのある種の開き直りとして使用している。そのことがフックとなって手に取った。
浮気の正当化――「生物学的」を悪用?
なのだけれど、途中で「浮気も生物学的にしょうがない!」という浮気の正当化に使われるくだりがあり、こいつも「生物学的」を悪用するのかい、と思った。しかもその理由が「人間の睾丸は『ちょっと浮気』をするのに丁度いいサイズだから」という男性目線のみであり、どうやら著者の中では女性は浮気しないことになっているらしい。お幸せなことで。
あと「セクハラ・パワハラの取り締まり厳格化によって、社内恋愛や上司による部下の関係の取り持ちが難しくなりました」というくだりもあって、どんな認識だよ、と思った。
頑張っても「しょうがない」ことを理解する合理性
それらのくだり以外は、大筋においてタメになることが書かれている。直そうと頑張ってもしょうがないことを生物学的に説明しつつ、その一方で頑張れば何とかなることも取り上げる。努力しても無駄なことを諦めて開き直ることで、自分にとって大事なことと向き合うのは合理的だと思う。だけど、勢いあまって諦めちゃいけないことまで諦めたりはしないように気を付けたい。
狩猟採集民の脳と現代文明の齟齬が生むストレス
人間は狩猟採集民として生きた期間が非常に長く、現在の文明が築かれたのは人類の歴史全体から見ればごくごく最近。そのため、我々はまだ狩猟採集民としての脳で生活していることになる。だから文明社会で生きるうえで、色々と齟齬が生じてストレスが生まれる。そうしたストレスから解放されることで、イライラが募る現代社会でも生きやすくなる。
ただ、あまり「しょうがない」で開き直りすぎると自身の社会性の低下に繋がるので、ほどほどにしたいと思った。
『眠れなくなるほど面白い 図解 カラスの話: 明日からカラスが怖くなくなる!?身近な鳥の不思議と魅力を大解説』松原 始
カラスの基本的な知識とユニークな性質
ステレオタイプを排した、等身大のカラスが分かる本。
カラスは南米とニュージーランドと南極以外の世界中に生息している。南米にいない理由は、大陸移動時に他の大陸と離れていた時期が長かったことが理由として考えられる。
都会の街なかにこれだけのカラスが生息している国は日本だけ。その理由は不明。
カラスは人の顔を見分けることができる。そのため、何度も同じカラスに会いに行くと顔見知りになることができる。日本では野鳥であるカラスを飼育することは法的に難しく、また大きくて力も強く悪戯好きのため家で飼うのには向かない。外で餌付けをして手なずける関係も健全ではなく、人慣れしたカラスが悪さをして駆除に繋がる恐れもある。カラスと仲良くなりたいのなら、顔見知り程度の関係性で満足しておこう。
カラスもオウム返しをする。人の声や工事中の音を真似した観察例が見られたという。これは「いま、こんな声で喋ったお前。ちゃんと聞こえてるぞ」という、相手の声が自分に伝わったことを示すコミュニケーションであると考えられる。
カラスは長生き。飼育下では60年以上生きた例もある。野生下では長くても10年か20年ぐらいになるが、それでも野鳥の中では長い。
カラスの悪戯と誤解
以前、カラスが線路に置き石をするという事件があった。最初は悪戯かと思われたが、調査の結果、次のことが真相と考えられる。そのカラスは近くの人間からエサを貰っており、それの隠し場所として線路の下の砂利を選んだ。石の下に隠そうと思って石を咥えて持ち上げると、偶然目の前に線路があったのでその上に置いた。つまり、悪戯ではなく過失だった。わざとではなかった。カラスは頭のいい鳥だが、あまりその行動を深読みしない方がいいのかもしれない。
カラスのイメージの変遷
「カラス=狂暴」というイメージは最近になって広まったもの。テレビで「狂暴化して人を襲うカラス!」という特集が多く放送された時期があり、それが原因と思われる。実際は人が近づきさえしなければ自分から襲ってくるようなことはない。気が立つのはヒナを育てる5~6月であり、その時期に巣に近づかなければ大丈夫である。カラスが人に敵意を向ける時は、もっぱらヒナを守るため。
カラスの糞害に遭うケースは多い。これは、飛び立つ際に少しでも体を軽くするための習性と考えられる。カラスは人が近づくと飛び立って逃げるため、ちょうど糞をするタイミングに人が出くわすことが多いのである。ヒト目掛けてわざとフンをしているわけではない。
カラスは人間と同じくアブラと糖分が大好き。特にマヨネーズが大好物。それでもカラスが肥満になった例は一般的にほとんど見られないのは、野鳥として生きるうえでは栄養状態はむしろ乏しいほうだと考えられるため。
CDやカラスの死骸の模型を吊るすカラス避けの効果は、最初こそ効果はあるもののすぐに慣れてしまう。カラスにとっては「なんか変なものがある」と思って最初こそ遠巻きにするけれど、吊るされている場所、つまりゴミ捨て場にご飯があることを知っているので近づかないわけにはいかない。そうして近くまで寄ってみると「なんだ、大したものじゃないじゃん」となるわけである。効果的なカラス避けは、物理的なブロックをすることである。最も良いのはマンションなどによくあるフタ付きのゴミ捨て場。ネットも効果はあるがフタ付きと比べると弱い。ネット付きとフタ付きのゴミ捨て場が近くにあったら、ネット付きが優先して狙われるだろう。
カラスの神話や宗教的な位置づけ
カラスが神とされている神話はけっこうある。また創世神でなくとも、北欧神話のオーディンが使役するフギンとムニンや日本神話の八咫烏など象徴的・印象的にカラスが登場するものも多い。古代の人々にとって、カラスは悪戯好きながらも神々しい存在だったことが窺える。一方で、キリスト教においてはカラスは良いイメージはない。羊飼いの宗教を発祥とするため、羊の子供に悪さをするカラスには悪い印象があったことが理由として考えられる。
カラス=不吉というイメージには、根拠は無い(キッパリ)。「死骸に集まる鳥だから」と言うが、人が死んだからカラスをはじめ野鳥が集まるのであって、カラスが集まると人が死ぬわけではない。因果関係が逆である。「カラスが鳴くと人が死ぬ」と言うが、カラスは毎日鳴いている。もちろん人が死んだ日も。「黒いから不吉」と言うが、めでたい結婚式のスーツだって黒じゃないか。
記事内の小見出し作成に、一部ChatGPTを使用しました。
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