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味わい愛でる(サラとソロモン) とは…

海なし県に住んでいる。

海なし県なので、美味しいお寿司を食べたいと思ってもなかなか美味しいお寿司には出逢えず、ずっと寿司難民をしている。

夫が子どもの頃からずっと氣に入っていた隣県にあったお寿司屋さんは、店主が高齢のため、閉店してしまい、それ以降お氣にいりのお寿司屋さんにめぐりあえない。

私は、海の幸が美味しいところで生まれ育ったのだから仕方ないとあきらめていた。

でも、やっぱり『お寿司が食べたい』とたまには思う。
今まで行ったことのない、評価の多い回転寿司ではないお寿司屋さんに予約をして行った。

開店前から行列が出来、予約のない人は名前を書いて待つほどの混みようだった。

でも…
すでに並んでいた時から、期待感は消えていた。

理由は、建物やその周り、そして玄関に放置されたものが置いてあり、
店に入るとカウンター越しに見える後ろの棚にはぐちゃぐちゃに積まれたものがあふれかえっていた。
そして、カウンターの中心に立つ大将と思われる人物の大きな声色に愛が感じられなかった。


『この職場の人間関係は大変そうだなぁ』
(店主がいろいろ言いそう…)
が第一印象だった。


カウンター越しに見える職人の動き、雑に重ねて置かれているお魚たち。
そして、決して綺麗ではないお魚のケースとカウンター、うつわたち…
期待は全く持てない。

出てきたお寿司は、にぎりもネタも大きい。
人氣があるのは、違う観点からはわかるのだが、そもそもメニューを見ただけでも食べたいと思うネタがなかった。
結局、上のランクのセットを頼み、セットには入っていなかったネタを2〜3食べただけでお店を出た。
(いつもは、もっとたくさん食べます(笑))
お腹には入ったけれど、心は満たされなかった。

夫曰く…
『ご飯に刺身がのっただけのお寿司だった。何かが足りない。』

あわただしく、動く職人と発する声と表情はどこか荒々しく、心地良くなかった。
ガチャガチャと音を立てた食器をあつかう音に違和感を感じた。

ランチメニューもなく、お昼ご飯としては、安くはないお金をせっかく払って満たされない氣持ちで帰宅した。

帰宅して…
無償に『サラとソロモン』を久しぶりにまた読みたくなった。
(前置きが長くなりました)

無造作に開いたページに意味があると聞いて以来、意味を確かめるように読みはじめる。

『味わい愛でる』ことをソロモンがサラに話していた。

『味わい愛でる』
この言葉を検索すると『サラとソロモン』が必ずヒットする。
言葉の意味をわかっていたつもりで、理解できていなかったことにやっと氣づいた。

『味わう』と『愛でる』を合わせてとらえる考え方もあるだろう。

今回、私にわいてきたのは『感謝』だった。

『味わい愛でる』=『感謝』
『感謝』=『味わい愛でる』

いつの頃からか…
正確には、北川泰さんの『運転者』を読んでから、
私は、『笑顔』『感謝』『上機嫌』の3つを心に置くようになった。

『サラとソロモン』にある『味わい愛でる』を『感謝』に置き換えたら、私には理解しやすかった。 (人にもよるだろう…)

もう行かないだろうけれど(苦笑)、
『今日行ったお寿司屋さんにも、行けたことにも感謝しなさい。』
(味わい愛でる)
のメッセージかもしれない。

そんな氣づきの一日となった。

そして…


愛情は、
目では見えないけれど、
必ず伝わることを改めて想った。


ありがとう。


tama3roさんのイラストを載せさせてもらいました。
ありがとうございます🍀

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