
実朝の首塚
去る十月のある日、鶴岡八幡宮の中にある国宝館で、実朝の墓にあったという五輪木塔を見た。元は秦野の「源実朝公御首塚」にあったという。木塔としては最大級のものらしく、とにかく大きい。遺された人々が、首だけの姿になった彼のために、どれほど心を砕いてこの立派な木材を探し回り、いつまでも彼の死を悼み忘れずにいようとしたか。切実な努力を想像させられる大きさから、千年後に生きている私にも、巨きな悲しみが伝わってきた。
詞書:千鳥
朝ぼらけ 跡なき浪に 鳴千鳥 あなことごとし あはれいつまで
詞書:桜
空蝉の 世は夢なれや 桜花 咲ては散りぬ あはれいつまで
久々に『金槐和歌集』を繙いたら、この二首が目に留まった。一度でも歌を詠んだことがあれば、この歌が姿を現すまでに心中で何度同じ語が繰り返し唱えられたか、想像してみるのは難しくない。過酷な世相の下、「自分はいつ殺されるか」と常に考えねばならなかった彼の心に「あはれいつまで」が去来したのは、決してこの歌を詠んだときだけではないだろう。小林秀雄『無常という事』の「実朝」を再読すると、どの歌の奥にもこの声が聞こえるように感じられる。正岡子規「歌よみに与ふる書」の中の「あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候」という言葉を引いて、小林秀雄は次のように語る。
実朝の横死は、歴史という巨人の見事な創作になったどうにもならぬ悲劇である。そうでなければ、どうして「若しも実朝が」という様な嘆きが僕等の胸にあり得よう。ここで、僕等は、因果の世界から意味の世界に飛び移る。詩人が生きていたのも、今も尚生きているのも、そういう世界の中である。彼は殺された。併し彼の詩魂は、自分は自殺したのだと言うかも知れぬ。一流の詩魂の表現する運命感というものは、まことに不思議なものである。
「あはれいつまで」の声は、もちろん「一流の詩魂の表現する運命感」の現れのひとつであろうが、表現としては直接的すぎるのか、これらの作品は「実朝」の中に引かれていない。『金槐和歌集』よりも『無常という事』ばかり読んでいた私は、今回初めてこの二首に出会ったのだった。
「実朝」は次の一文で閉じられている。
ここに在るわが国語の美しい持続というものに驚嘆するならば、伝統とは現に眼の前に見える形ある物であり、遥かに想い見る何かではない事を信じよう。
五輪木塔、そして実朝の歌から「伝統」の力に驚く、私が今回体験したこの感じ方それ自体、小林秀雄の文章から教わった姿勢である。物に出会って心が動く、それをそのまま疑うことなく信じること。論理や説明を優位に置きがちな世の中にあってこの姿勢を貫き続けること。私は何度でもここに立ち返らねばならない、と反省を新たにしている。
*本稿は、小林秀雄に学ぶ塾が行っている「私塾レコダl'ecoda」のweb雑誌『身交ふ』十月刊行号「事務局ごよみ(24)」に掲載している文章です。
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