子どもの『(家事)やりたい』は率先してやらせてみれば良かった
こんにちは。
ななひたちです。
次女はとてもお手伝いが大好きです。
私が料理をしているとき、裁縫をしているとき
『これは何?どうなっているの?どうやってやるの?』と、とても興味津々でたずねてきます。できれば一緒にやりたいようです。
次女の上には3人兄弟(兄2人、姉1人)がいて、上の3人よりはその傾向が強いです。
私は“自分がやった方が早い”とか“いちいち付き合っていられない”というなんとも悲しい理由で最近まで次女の好奇心の目を勝手に引きちぎっていました。
(表現がヒドイですが、まさしくその通りなのです。。)
やはり、私が『あとでね』『今は一緒にできない』『また今度ね』というと悲しい表情をしていました。
それは大人が思うほど軽い悲しみではなく、もしかしたら子どもにとってはこの世の終わりくらいの悲しみだったのではなかろうか?と反省しています。
だって、大好きなお母さんに挑んでも挑んでも断られたらシュンとしてしまいますよね。
大反省は他のところにもあって、子ども本人がやりたいかやりたく無いかに関わらず、もっともっと家事に参戦して貰えば良かったなと思っています。
余裕が無かったあの時期にはもう戻れませんが、いくら子育てが大変でも1人で抱え込むよりは小さい子どもと一緒に切磋琢磨できたことでしょう。
『ちゃんとやりたい』『完璧にこなしたい』という気持ちから、子どもの不完全さが許せなかったのかもしれません。(も〜もっと気楽にやってよ〜!!(笑))
上の子は言えばやりますが積極性は少ないかな〜
本当に大反省です。
将来、結局子ども達も自分でやること。
だからこそ上達を楽しみながらキャッキャ言いながらやれば良かった。
生活するうえで当然のことだからイヤイヤやって欲しくない。私も強要したくない。
その子なりのやり方で、その子なりのスピードで、その子なりの達成度でいい。そういう気持ちで子ども達と向き合うようになってきました。
勉強やスポーツができなくても生きていける。でも生きていくのに必要な力、必要なマインドは日々の家庭での積み重ねなのかもしれません。
話が少し大きくなってしまいましたが、子ども側から興味を持って『やってみたい』と言われたら、目を合わせて『やってごらん』『やってみようか』と言える心の余白を持ちたい、そう思った今朝でした。
今朝、忙しい平日。
『一緒に弁当の準備をしたい』と次女が言ってきました。
『時間が無いからダメ』と言わずに一緒に調理できました。
これって最高に幸せなことですよね。
ありがとう。
素敵な挑戦がもっともっとできるようになる準備段階でもあるんだよね。
ありがとう。
次女は自分で作った弁当を持って校外学習へと行きました。お弁当食べるの楽しみだね。素敵な経験をしてきてね。
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