私を肯定できない私へ
社会人も気づけば4年目になった。
noteを開くのはいつぶりだろう。
過去の自分の投稿を見ると、”やる気に満ちあふれた学生の熱量”から羞恥心を感じてしまい、しんどくなる。
私は、半年ほど前に「うつ病」と診断され、今も闘病中だ。
原因はおそらく、仕事のプレッシャーなどだろう。
そのため仕事は休まざるを得なくなった。
入社して1~2年の頃は「日々成長!」を掲げ、毎日を後悔のないよう全力で生きていた。
「できない」が「できる」に早くなるようにと、高い高い目標に向かって、全速力で走っていた。
自分が「燃費の悪い車」と同じであることを知らずに。
新卒で入った燃費の悪い車がどれだけ全速力で走っても、中途入社や先輩といった高燃費の車には劣る。
どれだけ頑張っても、なかなか結果が出ない日々が長く続いていた。
気づいたときには、体も、心も、ボロボロになっていた。
唐突に涙が出たり、過呼吸になったり、「限界かもしれない」と思った。
それでも私は働き続けたかった。
別に会社がブラックだった訳ではない。本当に。
人間関係も良好で、いつも私の手助けをしてくれる方ばかりで、私は会社のことが大好きだからだ。
「ストイック」「真面目」「頑張り屋」、よく言われた褒め言葉だ。
ただし、度を超えると壊れてしまう。
当時の私はそんな言葉を聞きながら、「もっと頑張ろう」「もっと高みへ」と思い続けた。
きっと、会社が求めているレベルよりもさらに上の、高い高いレベルの自分を目指してしまったのだと思う。
その結果がこの有り様だ。
私は、自分で自分の首を絞めたのだ。
私は、自己肯定感が低い。
できないことばかりに目がいって、自分に何ができるかわからない。
何もかも中途半端で、他人よりも長けた部分などあるはずがない。
会社や友人から何かを褒められても、素直に受け取れない自分がいる。
ひいては、「自分を肯定できない自分」のことも嫌になる。
そう思い続けてきた。
休職によりこれまでより自由な時間が増えた私は、「自分と向き合う時間」を作ろうと思った。
それがこの note である。
推敲することで、雑多に考えている頭の中を整理したいと思った。
昔から、物書きは好きだった。
好きなことをしている自分は、嫌いではない。
そして、noteを書きながら気づいたことがある。
それは、「無理に自己肯定感を上げなくてもいい」ということだ。
noteを書いていると、「自己肯定感の低い私」のことを、ほんの少しだけ好きになれそうな気がする。
また気が向いたら、筆を走らせようと思う。
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