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短編不純情小説【届いた柿の味】④(全5話)

④ 赤い小箱の痛み

「ちょうだい!」

 重なった二人の声と同時に、ふたつの手のひらが差し出された。哲生の手と、淳也の手だ。

 淳也は、東京から来た。
 哲生と幸代が三年生に進級した新学期に、父親の転勤によりこの街に引っ越してきたのだ。二人の家の近くに、子どもたちの遊び場になっていた資材置き場があったが、そこにシャタク(社宅)と呼ばれる立派なアパートが建った。淳也は大人たちから「シャタクの子」と呼ばれ、決して彼をいじめたりしてはいけないと、哲生も強く両親から注意されていた。
 哲生と幸代、そして転校生の淳也が同じクラスになり、家が近い三人は自然と仲良くなった。学校でも放課後でも、遊ぶときは男子と女子に別れるようになっていたが、登下校の時だけは、二十分近い道のりを三人で一緒に歩くことが多かった。

 淳也はすっかりクラスに溶け込み、月日が経って二月になった。
 哲生と淳也が道路でコマを回して遊んでいると、幸代がニコニコしながら近づいてきて、二人に声をかけた。母親の許可を得て、初めてバレンタインデーのチョコレートを買ったのだと、リボンのついた赤い小箱を大事そうに持っている。

「誰にあげようかな」

 少し照れた笑顔で幸代が言った。

「ちょうだい!」

 差し出された二人の手のひらを交互に見て、それから少しの間目をつぶり、幸代は考えるそぶりを見せた。

「はい。あげる」

 淳也の手のひらに赤い小箱が乗った。淳也が嬉々として飛び跳ねた。幸代の顔が赤い。
 哲生はすぐさまその場を離れて歩きだした。目に涙が溢れるのを感じ、顔を上に向けた。冬の青空に浮かぶ雲の輪郭が滲んだ。口を固く閉じたまま早足で二人から遠ざかっていったが、角を曲がる前に堪えきれず嗚咽を漏らした。
 チョコレートをもらえるのは、淳也ではなく自分であったはずだ。自分にはその権利がある。幸代とは幼稚園の時から一緒だった。小学生になってからはそれぞれに同性の友達と遊ぶようになったが、二人で遊んでいた頃の思い出はいくつもあった。両方の親たちが撮った、運動会や海水浴での二人の写真もある。哲生と幸代には、歴史があるのだ。
 哲生は嗚咽に肩を震わせながら、できるだけ二人から離れようと歩きつづた。
 意識して考えるまでもなく、哲生の思いと幸代の思いは、変わらないものだと思い込んでいた。そうではなかったと知り、哲生はとても悲しくなった。幸代のことが急速に遠い存在に感じられていった。
 そして、淳也のことを考えた。転校生の淳也は、話す言葉も服装も東京っ子らしくスマートで、すぐにクラスの人気ものになった。彼はハンサムで面白く、哲生より背が高く、哲生よりスポーツがよくできた。初めて哲生は、自分と誰かを比べることをした。そして敗北を知った。

(つづく)


copyright(2024)九竜なな也

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最終話 ⑤柿の味

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