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【掌編・不純情小説】姉妹の賭けごと

蒸し暑い夜だった。排気ガスと人の息の混った生暖かい風が吹く那覇市の国際通りから、細い脇道に入って10分ほど歩いたところに、約束の居酒屋はあった。およそ観光客目当てとは思えない、庶民的な居酒屋だ。紺色の暖簾をくぐって店に入ると、まっすぐ奥へいったテーブル席に待ち合わせの相手がいた。二人の女性が生ビールを飲みながらおしゃべりに興じている。近づく圭司に気づいて、満面の笑顔を見せた。
「お久しぶり!」
「はじめまして!」
二人は姉妹だった。姉の依子は圭司と同じ大学院の研究室の2年先輩で、妹の淳子は圭司と同い年の24歳になる。
友達のように仲の良い姉妹だと聞いていたが、一見すると姉妹には見えなかった。一重瞼で切れ長の目をした、長くない黒髪の依子と対照的に、淳子は輪郭のはっきりした二重瞼の大きな目で、栗色に染められた長いストレートヘアを頭頂から左右に分けていた。うつむいた角度で見える時のふたりの面影がそっくりだった。
圭司と淳子が初対面だからといって緊張感はなく、三人はすぐに打ち解けた。

この日の圭司の役割は運転手だった。
大学院を出て医療機器メーカーに就職した依子が、社会人一年目の夏季休暇を遊ぶ場所として、学生生活を送った沖縄を選んだ。音楽教師になりたての淳子も、短い夏休みを利用して沖縄に遊びに来ていた。そして最後の夜に、それぞれの同行者と別れて姉妹は合流したのだ。

お互いの自己紹介や簡単な近況報告をしあって、三人は居酒屋を出た。向かうは車で1時間ほど北に走った場所にあるペンションだ。姉妹はそこで一泊し、朝の海水浴を楽しんで帰途につくという計画らしい。
ところが、依子が急に予定を変更した。都合が合わず会えないはずだった現地の友達と会えることになったため、その友達と約束した場所で彼女は圭司の車を降りた。ペンションへは、友達に送ってもらって後から行くという。

圭司と淳子がペンションについのは、7時半をまわったところだった。そこは海岸に沿ってカフェや土産品店が並ぶ初心者向けのリゾート地だが、ペンションは山道を登った小高い斜面に、森に囲まれて建っていた。

圭司は姉妹を送り届けたら適当な時間に帰って、翌日また迎えに行き、空港まで送るつもりだった。しかし依子が抜けて淳子ひとりになってしまったため、帰るタイミングをつかみかねていた。
依子を待つ間、ふたりで海へ降りていくと、波音を聴きながら残照に染まった赤い水平線を観ることができた。それからコンビニで買い物をして、ペンションに戻った時にはすっかり暗くなっていた。
ふたりで簡単な夜食をこしらえている時に、淳子の携帯電話が鳴った。依子からだった。

「え?…うん、わかった。じゃあ、姉さんから頼んでよ」

淳子は携帯電話を圭司に渡した。
依子が言うには、友達と飲んで盛り上がり、家に泊めてもらうことになった。ペンションへは行かず、明日、帰りの便を待つ那覇空港で淳子と落ち合う。だから、圭司は自分の代わりに淳子とペンションに泊まって欲しいという。
圭司はかなり躊躇したが、沖縄旅行がはじめての妹に心細い思いはさせたくないと言う、依子の強い要請を断ることができなかった。

「大事な妹だから、よろしくね」

電話を切る時の依子の言葉が、圭司には少し引っかかった。

替えの肌着と洗面道具を買ってくると言って、少し不安げな淳子を残して圭司はもう一度コンビニへ行った。必要なものや明日の朝食の足しになるものを取ってレジに向かう途中、棚に並んだコンドームが目に入った。圭司は一瞬立ち止まったが、

(俺はバカか)

と心でつぶやいてレジに向かった。
会計の順番を待っていたが、圭司はくるりと振り返って列を離れた。先ほど立ち止まった棚へ行き、

(いざという時のエチケットだ)

と自分に言い聞かせて、6枚入りの小さな箱を取り買い物かごに投げ入れた。車の中で箱の中身を取り出してジーンズのポケットに押し込み、箱は外のゴミ箱に捨てた。

ペンションに戻ると、淳子がすでにシャワーを浴びて部屋着に着替えていた。
圭司もシャワーを浴びた。それから夜食をつまみながらふたりで缶ビールを飲んだ。旅のことや姉妹の思い出を淳子が話した。
やがて淳子があくびをするようになった。宮古島まで旅程に含めた三泊四日の最終夜だ。さすがに疲れただろう。まだ10時を過ぎたばかりだが、寝た方がいいと圭司は提案した。
3LDKの個室は鍵のない引き戸で区切られている。それぞれの部屋に分かれて電気を消した。

慣れないベッドで寝つけない圭司は、依子がまだ在学中だった去年の秋のことを思い出していた。大学の行事の打ち上げの飲み会の後、圭司は依子のアパートに泊まったことがある。終わりの見えない飲み会を途中で抜けて帰ろうと依子に誘われ、依子のアパートに行ってふたりで飲み直した。

男子ばかりの理工系の学部の中で、依子は軽いという噂を圭司は聞いていたが、同じ研究室で彼女の人となりをよく知っているので、気にはしていなかった。ただ気になっていたのは、依子が長く付き合っていた先輩と別れたらしいということと、共通の友人である同期の晴人から、一週間前に依子と寝たと打ち明けられたことだ。晴人には恋人がいて、依子と付き合うつもりはないという。

テーブルを挟んでふたりで缶ビールを飲んでいると、依子がしくしくと泣き出した。圭司は何も聞かず、二本目のビールを開けて依子の前におき、自分もちびちびと飲み続けた。
依子はひとしきり泣いたあと、圭司に笑顔を見せて、もうだいぶ遅いから泊まっていけと言った。

「いいんですか?オレ男ですよ」

と照れ隠しに圭司がいうと、

「大丈夫よ。圭司くんはあたしの弟分なんだから、変なことはしないでしょ」

一つの部屋で、依子のベッドからできるだけ遠くに離れた位置に圭司が寝る布団が敷かれた。電灯のスイッチが切られ真っ暗になった。

眠りに落ちかけていた圭司は、自分の名が呼ばれたような気がして、わずかに目を開いた。暗闇の中で、依子が上から圭司を見つめている。寝返りをうてば触れるほど間近に依子の顔があるのがわかる。吐息が頬にあたる。
鼓動が高鳴り、突き上げてくるような動物的な情動を感じながら、圭司はその一方で、依子とはそういう関係を持ちたくないと思った。大柄で筋肉質の晴人と、痩せた自分の体を依子に比べられるのが嫌だった。それに、圭司には思いを告白しようかどうか迷っている幼なじみの女ともだちがいた。彼女のことが脳裏をよぎった。
必死に寝たふりをしていると、やがて依子は音を立てずに自分のベッドに戻っていった。

明かりの消えたペンションの部屋であの時のことを思い出していると、なんだか今の状況が似ているような気がして余計に眠れなくなった。
そのとき、引き戸が静かに開いて淳子が入ってきた。淳子は壁に向いて目を閉じている圭司の隣にゆっくりと横たわった。そして圭司の肩に手をおいた。呼吸をするたび、シャンプーの淡い芳香が圭司の胸に入ってくる。あの時と同じように、男の情動が圭司を内部から突き上げてきた。圭司は迷ったが、羞恥心に支えられた理性が、圭司を動物に変えまいと抵抗した。

もし今、淳子を抱いたら、そのことは必ず依子にも知られるだろう。それは圭司にとって恥ずかしいことだった。アレは吊り下げたジーンズのポケットに入れたままだ。もしアレを使おうとポケットを探ったら、替えの肌着と歯ブラシを買ってくると言って出ていった時にコンビニでそれを買ったことが、淳子に悟られるに違いない。
明日からの、姉妹に対する気まずさを考えると、ここはどうしても耐え抜きたい。

淳子も依子がそうしたように、寝たふりを続ける圭司に無理に求めようとせず、静かに自分の部屋に戻っていった。

那覇空港はバカンスを終えた観光客で混み合っていた。待ち合わせに指定されたカフェで冷たいものを飲んでいると、少し遅れて依子がやってきた。依子は笑顔を崩さず、昨夜の急な予定変更をふたりに詫びた。
依子は何かを探るように圭司の顔をじっと見つめ、それから視線を淳子に向けた。淳子は依子に軽く首を横に振って見せた。その途端、姉妹は同時にプッと吹き出し、キャハハと高い笑い声をあげた。いったい何事かと圭司はふたりの顔を交互に見た。

「あたしの勝ちってことよね」

親指を立てて拳を握り、依子は満面の笑顔でガッポーズを見せた。

「ねえ、まけてよ」

淳子は悔しげに口を尖らせて、圭司を睨んだ。イタズラっぽい笑みがまじっている。

「そうね。あたしの方がよく知ってるんだから、半額でいいよ」

淳子は千円札を5枚数えて依子に突き出した。

「なに?何か賭けでもしてたの?」

圭司は、説明を求めた。

「ごめんね。昨日の夜、急に思いついてさ。圭司くんがペンションで淳子に手を出すかどうか、賭けてたの。手を出さない方に、あたしは賭けたわけ。だからあたしの勝ち」

顔が真っ赤に熱くなるのが、圭司は自分でもわかった。
依子は屈託のない笑顔のまま、淳子から勝ち取った5枚の千円札を、扇のようにひらひらとあおって見せた。

手荷物検査場の前まできて、依子は圭司の手を取り握手をした。

「圭司くん、今回はありがとう。いい夏休みを過ごせたわ。
 …圭司くんはやっぱり変わらない。キミはステキな男だよ」

依子の手に力が入った。淳子も目を細めて微笑んでいる。
検査機を通り抜ける前に、淳子が振り向いて手を振った。

「また来るから。今度は三人でゆっくりしようね」

圭司は笑顔を作って手を振り返した。
ふたりが搭乗口へ向かう雑踏に消えていくのを見届けてから、歩きだした。

「なんちゅう姉妹だ。もう勘弁してくれよ」

ジーンズのポケットに突っ込んだものが嵩張って邪魔になっているのを思い出し、それを素早くゴミ箱に捨てて、圭司は空港ロビーの出口に向かった。
                (了)


©️2024九竜なな也



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