小説:妻はAC/HSP ①長いトンネル
第一話 長いトンネル
(974文字)
同じ家に暮らしていながら、俺と美鈴はほとんど顔を合わせず話もしない、暗黒のような時期が一年半続いた。話すことがあるとしたら、子供の学校のことや、二人で営んできた事務所の経理に関する事務連絡のみであった。それも極力LINEで。直接顔をあわせて肉声で話すということはかなり稀だった。
日中は、家事や事務所の経理をするため美鈴はリビングいることが多かった筈だ。それが、俺が帰ってくる頃になると、隣の畳のある部屋に引きこもる。「ただいま」と言っても、当然返事は返ってこない。
このような事態に陥ったのは、美鈴の言い分では俺に非があるらしい。しかし、俺は美鈴が問題にしているような意味の言葉は決して言っていないし、そういう気持ちも持っていない。これは俺の気持ちであり意志なのだから、誰が否定できようか。しかしこの押し問答は、結局決着はつかなかった。俺から言わせれば、いつの頃からか美鈴のイラつきがひどくなり、俺も仕事の疲れが増して不寛容になり、衝突する頻度が増えていった。だからお互いに非があった。どちらも悪かったのではないかと思っている。
美鈴は、仲の良かった友人や、家族ぐるみで世話になっていた恩師と言える知人と、突然交流を絶つということを何度か繰り返した。もちろんその原因は相手側にあった。ただ、これまで仲良く付き合ってきた人を、ある日突然遠ざけるほど、相手の非が重いものであったとも考えにくい。美鈴は極端に人を嫌う傾向がある。そして、近くに住む実母とも、三年近く絶交状態にあったことがある。美鈴から聞いたところによる義母の言動からすると、その理由はわからないでもないが、理由はそれだけではなく、美鈴の母親に対する積年の怒りが背景にあったのではないか。
他人を裁き、嫌い、遠ざける。その矛先が、誰よりも長く一緒にいる夫の俺に、いつか向けられる日が来るだろうことは、予想というか、覚悟はしていた。
それが、あの一年半だった。
しかしそれが終わったのだ。ある日突然に。
長く暗いトンネルから列車が抜け出すように。
天照大御神が天の岩戸から出てきたように、家の雰囲気ががらりと変わった。暗い時代が終わったのだ。
美鈴は話した。
「あたしは、HSPだとわかったの」
Highly Sensitive Person
初めて聞く言葉だった。
つづく
©️2024九竜なな也
感想、コメントいただけると嬉しいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?