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死と暴力がなくなった世界の子供たち
死がなくなった。
いや、生物学的な死はいまだ克服できていない。
医学が発達し、寿命は伸びた。けれども、いまだ死は不可避のものだ。
しかし、物語や日常から死は消えた。
いまはもう、フィクションの世界には死や暴力は消えてなくなった。
「よかったわ。自分が子供の頃は、ひどい表現が多くて嫌な気分になったもの」
そう妻がいう。
たしかにネットの普及とともに過激な表現がアクセスが取れるからと助長された面があり、それが逆に規制を招いてしまった。
そのご、曖昧な規制は強烈な自主規制を生み出し、また、それを支援する団体が大手を振るうようになり、いつ間にかフィクションの世界にも暴力はご法度になった。
そして物語は、平和になった。
誰も傷付かず、誰も傷つけられない。誰も死なない。誰も悲しまない。
誰も戦わない。
武器を握ったら、暴力的と怒られる。
イタズラをしたら、イタズラを助長すると言われる。
ラブコメを描いたら、男女差別といわれる。
失恋を描いたら、人を悲しませるのはNGといわれる。
恋愛を描いたら、恋愛できない人を差別するといわれる。
物語は もうだれもがいつもニコニコ、だれもが優しい言葉だけで、中身のない、平易な時間だけがスクロールされる。
なにが面白いのか、と思うが、今日は友人家族が子供を連れてきている。
肘を突くわけにもいかず、自分も作り笑いを浮かべながら、過ごす。
「きゃああああああああああああああああ!!!!」
妻の叫びが聞こえた。
声の元に行ってみると、そこには
怪我をして血を流す友人の子供と、そばにたつ自分の子供。
子供の手には、画用紙を着るためにか、ハサミが握られていた。
そのハサミは、血塗れだった。
「な、なにをやってるんだ!!!!」
自分は咄嗟に、自分の子供に駆け寄り、ハサミを奪った。
こどもはきょとんとしている。
「なんでこんなことを・・・あぶないだろう!!!」
すると、子供は「え?」という顔をした。
「危ないって、なに?」