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やさしくて、つよくて、かしこい少年と、芋掘りに行ったはなし
芋掘り、行ったった。
友達家族を誘って芋掘りに行った。
ずっとずっと会いたかった友達。会いたいからこそ会えなかった友達。
独身時代からの長い付き合いで、お互いこどもが生まれてからは家族ぐるみで付き合ってきた。いっしょに旅行をしたり、それぞれの家にお泊まりをし合ったり。年に何度も会うのが当たり前の関係だった。
だけど、世界がこんな風になってしまって、彼らを大切に思うからこそ、ずっと会えずにいた。会いたいと思うほどに、会いたくないと思った。会いたいからこそ、いまは会えないと思っていた。
緊急事態宣言中も「オンラインランチ」をしたりして、「顔」は合わせていたけれど、だけどやっぱり、ちゃんと会いたいと、ずっとずっと思っていた。
屋外なら会ってもいいよね。それぞれの車で現地集合にしてさ。
お弁当作っていけば、家族ごとでシートに座って食べれば大丈夫じゃない?
お互いに案を出し合って、「芋掘り」という結論に至ったとき、とても感動した。
たかだか芋掘りに行くだけなのに。
その日がくるのが待ち遠しくて、毎日わくわくしていた。
こども同士はひさしぶりに会ったせいか、すこし照れ合っていたけれど、またいつものようにすぐに打ち解けてじゃれあっていた。
そんな姿を見ながら、大好きな友達夫婦とマスク越しにおしゃべりをする。
ああ、楽しい。楽しくて、せつない。
いつもどおりに見えて、いつもとは違う。
だけど、いまはこれでいい。これで十分。
彼らとはきっといつかこの日を思い出話にしてお酒が飲めるくらい、ずっと長く付き合っていくんだもの。焦らなくても、ずっとずっと友達でいられるもの。
友達夫婦の小学4年生になる息子は、仲良しのお友達とも屋外だけで遊ぶようにしているらしい。おうちへの行き来はないけれど、オンラインでいっしょにゲームをして遊ぶのだとか。現代っ子らしい工夫の仕方で感心する。
「お友達と自由に遊べないのつらいね、早く好きなように遊べるようになるといいのにね」と言ったら、彼は真面目な顔でこう答える。
「いままでみたいに遊べないのは残念だけど、ぼくは、ぼくが知らない間にだれかに病気をうつして、そのひとが苦しむのは悲しいから我慢できるよ」
とてもやさしい。やさしくて、つよくて、かしこい。
こどもたちはこの状況で制限ばかりされてかわいそうだと思っていたけれど、こうして大切なひとのことを考える、想う、そして自分の行動を決める、という貴重な経験をしているこの子たちは、きっと大人になったとき、ちゃんと自分の大切なものを守れるひとになれると思う。
無駄になる時間なんてひとつもない。ひとが経験したことを経験できなくても、ひとが経験しなかったことを経験できる。それはすこしも「かわいそう」じゃないのかも知れない。
「いつかまたお泊まり会しようね」と言ったら、彼は黙ってうなずいた。
こどもたちは別れ際、いやだいやだと言って泣いた。
会うたびにくり返されるいつもどおりのその光景も、今日はこころを突き刺した。
早く、ほんものの「いつもどおり」が訪れますように。
やさしくて、つよくて、かしこい少年が、心配事をすっかり忘れて、大切なひとたちとこころゆくまで遊べる日がきますように。
今夜は、芋ごはんを炊いた。思い出といっしょに、食べた。