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幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話・芭蕉の献立」

芭蕉の献立

 「元禄七年と云えば芭蕉五十一の年で、自派の俳諧が一世を風靡して、江戸や京・大阪にその名は溢れ、既に天下の宗匠として人にも仰ぎ尊まれていた時である。その五月十一日に江戸深川の庵を出て名古屋に荷兮・野水・露川を、京に去来・支考を、膳所(ぜぜ)に曲水を、大津に木節を訪ね、七月に兄の半左衛門からの便りを受けて、故郷に帰った。錦を着て故郷に帰ると云うのではないが、功成り名を遂げて、「身は竹斎に似たる哉」の木枯しの中で侘びた昔とは違い、幼い頃の馴染み深い山川にふたたび出会い、菩提所の愛染院に盂蘭盆参りをした後に、しばらく滞在していた折りの事である。兄の家に庵が新築されて、その名を赤坂庵と云う。その祝いに月見の宴を兼ねて、馴染の伊賀衆を招いた一会があった。主人は兄であったか弟であったか、また兄弟連名であったか知らないが、その時の献立表と云うものが今に伝わっていて、それは芭蕉が書いたものだと云われている。芭蕉が幼い頃習っていた絵の裏に書かれたものなので、その絵の竹の影が映って見えると云う。献立は次のようである。

八月十五日夜
芋煮〆

のっぺいしょうかの煮物
 ふ、こんにゃく、こほう、小くらげ、里いも
吸物
 ゆ、つかみとうふ、しめし、めうが
仲ちょく
 もみふりくるみ
こうの物

 にんしん、焼き初茸、しほり汁、す、すり山ノいも、しょうゆ、くわしかき、
吸物松茸
冷めし
とりさかな

 客は誰々であったか、また幾人であったか、詳しく記されていない。今はただ遺った献立を見て少々の心遣いの為されたことを知る。今は一般に、人を招くことはあっても、主人自らが献立を作ることなどしない。先ず古人は物に不足にして、情の豊かさで悦ばせると云うべきで、今は古に愧じると云うべきである。最初の芋の煮〆はおもしろい。八月の十五夜の月見には芋のきぬかつぎを湯で煮て、十五夜に因んで十五個を三方膳に載せて、月に供えることを習慣とする。それなので、俳言に芋名月とさえ云う。この夜に芋は無くてはならず、そのため芋煮〆がある。煮〆は予め醤油などで煮しめて置いたもので、冷たいものである。煮物は暖かいものである。酒は無銘であり、もちろん地酒である。煮物の、「ふ」は麩である。何の麩かは知り難いが、古(いにしえ)は麩の類は甚だ多く、今の人はただ焼麩を知るだけだが、生麩などには滋味在るものが多い。味の素と云って今の人が賞美するのは、本(もと)はこれ麩の変化したものである。解釈するまでもなく「こんにゃく」は蒟蒻で「こほう」は牛蒡である。「木くらげ」はその生える樹によって良非があるが、伊賀は山国なので推測するに良品があったであろう。「里いも」はこの季節の最中のものである。この五種を一緒に煮たものであり、特別に煮て付け合わせたものではない。肩書に「のっぺい」とあるのは、その煮方を云うのである。葛粉をおとして物を煮るのを「のっぺい」と云う、葛のためになめらかになる。「なめらか」の「なめ」が変化して「のっぺい」となったのである。汁のやや多いものを「のっぺい汁」と云う。江戸では「信楽のっぺい」などが名物であったが、今は「のっぺい」のことを云う人が少なくなった。「しょうが」はおろし生姜のことで、「のっぺい」に少し加えるのであろう。「吸物」とあるのは羹(あつもの)であり汁である。本来はここは「汁」と記すべきだが、同じものなので「吸物」と記したのであろう。「ゆ」とあるのは柚子のことで、「吸物」に香りを添える所謂吸い口である。「つかみとうふ」は掴み豆腐で、豆腐を包丁で切らないで、掴んで出来た大小の破片をそのままにしたものを云う。八盃などに切ったのならば正式な連歌のようであろう。「しめし」はしめじ茸、「めうが」は茗荷のことで、この「吸物」はすまし汁であろう。「中ちょく」は陶器のやや深く小さい器で、酒杯の猪口よりは少し大きいので中猪口と云う。当時はこれに盛られた食物を中猪口と云っていた。今も古風な人の用いることがある語である。「もみふり」は揉み瓜であり、「くるみ」は胡桃である。瓜に胡桃をあしらうことなどは、今はする人も少なくなったが素朴で妙趣あるものである。次に「こうの物」は、何であるかを知らない。ありきたりのものであったのだろう。「肴」とあるのは、酒の進むものを即ち酒の肴を云う、魚のことではない。当時は「しひざかな」などと云う語もあって、次に記してあるのが即ち肴である。「にんしん」は人参、「焼き初茸」は塩を少し振って焼くのである。「しほり汁」とあるのは、思うに橙や柚子や柚柑の類の搾り汁の香酢、「しょうゆ」は醤油で、これを用いて擦り山芋につけて食すのである。この肴も山国の自然の中から簡単にとれる佳肴である。つぎに「くわしかき」は柿の一種でこれも好い。「吸物松茸」とある、ここの吸物は前の吸物と異なって、今であれば、前の吸物は汁、又は椀盛りと記し、ここのこそ吸物と記して宜しいところで、前のは醤油味、ここのは塩味の汁なのは勿論である。次に「冷めし」とあり、甚だおもしろい。冷の一字は下し得て俳諧味の頂上と云える。俳諧に遊ぶ者の多くは会談も夜深くに及んで、奈良茶飯などで空腹をしのぐ。それなので当時に、「三石の奈良茶を食って後(のち)、俳諧ようやくその味を得るに至る」と云う諺がある。奈良茶飯に大豆・小豆・菜などを加え炊きして、東大寺の僧などが仕始めたものか。もちろん侘びたものである。しかし今は奈良茶にも及ばずに冷や飯で済ます。いよいよ俳諧の自在を発揮すると云える。最後の「とりさかな」とあるのは、その品は知らないが、どちらにしても美味なものではないだろう。芭蕉招宴の献立はこのようである。人はその質素な宴を或いは憐れむかも知れないが、私はその清淡を悦びたい。このようにして主客は歓を尽し、閑談曼酌して、古句のいわゆる「蒟蒻ばかり残る明月」に至る。これまたよろしい。

注解①
・身は竹齋に似たる哉:木枯の身は竹齋に似たる哉。野ざらし紀行(名古屋)の句。竹齋は、その頃流行の仮名草子の主人公の藪医者。下男を連れて諸国を行脚する和製ドン・キホーテ物語。芭蕉は自らのやつれた姿と俳諧に掛ける尋常ならざる想いを竹斎の風狂になぞらえた。俳句を詠みながら木がらしに吹かれて歩いている自分は,よくもまあ、あの竹斎に似ていることよ。との句意。
・芋のきぬかつぎ:里芋の小芋を皮付きのまま茹でたり蒸したりしたもので、皮を剥いて食べる。
・俳言:俳諧に用いられる語。
・吸い口:汁ものに香りを添えて、味を引き立てるためのもの。すまし汁やみそ汁などをよそってから最後に添える。
・八盃などに切る:「のっぺい汁」や「八盃汁」に入れる豆腐は細長く切る。細長く短冊形に切るということか?。
・正式な連歌:短冊形の豆腐が連なる様は正式な連歌のようだと云うことか?。
・奈良茶飯:炊き込みご飯の一種。
・三石の奈良茶を食って後、俳諧ようやくその味を得るに至る:支考の『俳諧十論』によれば、芭蕉は、「奈良茶三石喰ふて後、はじめて俳諧の意味を知るべし」と弟子に語ったとある。
・閑談曼酌:ゆったりと酒を酌みながらぽつりぽつり語り合う。?
・蒟蒻ばかり残る明月:芭蕉七部集の一つ「炭俵」の句。野坡の前句「終宵尼の持病を押へける」を受けた連句の一句。このような句会のあったことを想像させる。


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