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幸田露伴の「努力論①自序・運命と人力と」
自序
努力は一である。しかしこれを考察すると、自然と二種あるのが分かる。一ツは直接の努力で、他の一ツは間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は当面の努力で、事に当たって奮励努力する時のそれである。人はともすると努力が無効に終わることを訴えて嘆く。しかし、努力は効果の有り無しによって、すべきであるとかすべきでないとかを判断すべきではない。努力ということが人の進んで止むことを知らない人間の本性であるから努力すべきなのである。そして、若干の努力が若干の好結果を生じる事実は、間違いなく存在しているのである。ただ時には努力の結果が良くないこともある。それは努力の方向が悪いからか、それとも間接の努力が欠けていて、直接の努力だけが用いられたためである。無理な願望に努力するのは努力の方向が悪いので、無理ではない願望に努力して、そして好結果が得られないのは、間接の努力が欠けているからであろう。ウリの蔓(つる)にナスを求めるようなことは、努力の方向が誤っているので、詩歌の美妙なものを得ようとして、いたずらに篇を連ね、句を累(かさね)るようなことは、間接の努力が欠けているのである。誤った方向の努力は少ないが、間接の努力を欠くことは多い。詩歌のようなものは当面の努力だけで良いものは得られない。朝から暮に至るまで、紙に臨み筆を執(と)ったからといって、字や句の百千万を連ねることは出来ても、それだけで詩歌の逸品は出来ない。この意味に於いて勉強努力は甚だ価値が低い。それで、努力を悦(よろこ)ばず勉強を排斥する人もある。特に芸術の上に於いては自然の生成を貴んで、努力を排斥する者が多い。それも理屈である。努力万能とは断定できない。インドの古伝の技芸天即ち芸術の神のように、芸術は天上世界に遊ぶ者の美睡(まどろみ)の頭脳中から自然に生ずるものかも知れない。当面の努力だけで、必ず努力の好結果が得られるならば、下手の横好きという諺(ことわざ)は世に存在しないことだろう。しかし、それにしてもそれは努力を排斥する根拠とはならないで、却って間接の努力を要求する根拠となっている。努力無効果の事実は、芸術の源泉となり基礎となる準備の努力、即ち自性の醇化、世相の真解、感興の旺溢、製作の自在、それ等のことに努力することが重要であるということを、いたずらに紙に臨み筆を執るだけの直接努力を敢えてしている者に明示しているのである。努力は仮令(たとえ)その効果が無いにしても、人の本性が、人の命ある間は自然にするものである。好き嫌いすることの出来ないものである。
しかし努力を悦ばない傾向が、人に存在することは否定出来ない。今まさに眠ろうとする人や次第に死に向かっている人は、直接の努力も間接の努力も悦ばない。それは燃やすべき石炭が無くなって、火が炎を挙げることを辞退しているのである。
努力は好い。しかし、人が努力するということは、人としては尚(なお)不純である。自分の何処かに納得できないものが存在するのを感じていて、そして、それを自分に鞭打ち之を威圧しながら事に従っている有様である。
努力している、もしくは努力しようとしている、ということを忘れていて、自分の為していることが自然な努力であって欲しい。そうで有ったなら、それは努力の真髄であり醍醐味である。
この冊子の中、運命と人力と、自己革新論、幸福三説、修学の四目標、凡庸の資質と卓絶の事功と、接物宜従厚、四季と一身と、疾病説、以上数篇は明治四十三年より四十四年に於いて成功雜誌の上に、着手の処、努力の堆積二篇は同じ頃の他の雑誌に、静光動光は四十一年成功雑誌に、進潮退潮、説気山下語はこの書の刊に際して起草したものである。努力に関することが多いから、この書を努力論と名付けた。
努力して努力する、それは真の良いものではない。努力を忘れて努力する、それが真の良いものである。しかしその境地に至るには愛か捨(しゃ)かを体得しなければならない、そうでなければ三阿僧祗劫(さんあそうぎごう・生きている時間)の間なりとも努力しなければならない。愛の道、捨の道をこの冊子には説いていない、よって努力論と題している。
壬子(大正元年)の夏
著者識
運命と人力と
世に運命というものが無ければそれまでだが、もし真に運命というようなものが有るとすれば、個人・団体・国家・世界、即ち運命の支配を受ける者と、これを支配する運命との間に、何等かの関係が結ばれていなくてはならない。もちろん昔の英雄豪傑には、「我は運命に支配されるのを好まない、我自(みずか)ら運命を支配するだけである」というような、荒鷲のような意気感情を持つ者が有ったことは争えない事実で、彼(か)の「天子は命(めい)を造る、命を言うべからず」と言い放した言葉なども、「天子という者は人間に於ける大権の所有者で、造物主が絶対権を持つと同じく運命を造るべき者である、それが我が運命の不利を嘆いたりするような薄弱なことであってはならない」と英雄的に言い放したものである。いかにも面白い言葉であって、およそ英雄的性格を持っている人は、常にこのような意気感情を持っていると云ってもよいくらいであって、そしてまたこのような激烈勇猛な意気感情を抱いているのが、即ち英雄的性格の人物の特長であると云っても差支えないくらいである。運命が良い悪いと云って、女々(めめ)しい泣き言を並べて、他人の同情を買おうとするような行動をする者は、凡人以下の人間である。少なくとも英雄の気象があり、豪傑の気骨がある者は、「大丈夫、命(めい)を造るべし、命を言うべからず」と豪語して、自分で大斧(おおおの)を揮い、巨鑿(おおのみ)を使って、我が運命を刻み出して当然なのである。いたずらに卜筮者(占い)、観相者(人相見)、推命者(姓名判断)達の言葉などの、「運命前定説(運命は前もって決まっているという説)」の捕虜となって、幸運が我に味方しないと嘆くようなことをすべきではない。
およそ世の中に、運命が自分の誕生の日の十干十二支(年回り)や、九宮二十八宿(星回り)なんぞによって前定していると信じたり、又は自分の持つ骨格や血色なんぞに因って、前定しているものと信じて、そして自分が幸運でないことを嘆く者ほど、悲しむべき不幸な人はない。何故ならば、そのような貧小薄弱な意気や感情や思想は、直ちに不運を招き幸運を遠ざけるところのもので有るからである。生れた年月や、生まれつきの面貌(かおつき)が、真にその人の運命に関係するかしないかは別問題としても、そのようなことに頭を悩ましたり心を苦しめたりするということが、既に余り感心しないことである。
『荀子(じゅんし)』に非相の篇があって、相貌と運命とは関係しないことを説いているのは二千余年の昔である。『論衡』に命虚の論があって、生れた年月と運命とは関係しないと言っているのは中国の漢の時代である。仮令(たとえ)それ等の論議が真を得ていないで、面貌(かおつき)が運命に関係し、生年月日が運命に関係するとしたところで、彼(か)の因襲的で従順的な中国人の間にさえ、そういう運命の前定というような思想に屈服しない者が、遠い昔から存在したことを思うと、甚だ頼もしい気がすると同時に、今の人にして尚かつ運命前定説に屈伏するような情無い思想を抱いている者が有るかと思うと、嘆息しない訳にはいかないのである。
実に荀子(じゅんし・中国の戦国時代末の思想家)の言った通り、相貌は似ていて志(こころざし)の似ていない者もあり、王充(おうじゅう・『論衡』の著者)の言った通り、同時に埋殺された趙の捕虜何十万が皆同じ生年月であった訳でもないだろうが、それ等の事は此処では論外として措いて、とにかく運命前定論などに屈伏仕難いのが、人の自然な感情であることは争われない。我々は或いは運命に支配されているものであろう、しかし運命に支配されるよりは運命を支配したいというのが、我々の偽りない欲望であり感情である。であれば、即ち何を顧みて自分を卑しくし自分を小にしようかである。直ちに進んで自分で運命を造るだけである。このような気象を英雄的気象といい、このような気象を持って終にこれを実現する者を英雄というのである。
もし運命というものがないのであれば、人の未来はすべて数学的に測り知ることのできるもので、三々が九となり五々が二十五となるように、明白に今日の行為をもって明日の結果を知り得るはずである。しかし人事は複雑で世相は紛糾しているから、単純に同じ行為が同じ結果に到達するとは云えない。そこで誰の頭にも運命というようなものがボンヤリと意識されて、そしてその運命というものが偉大な力で我々を支配するかのように思われるのである。某(ぼう)は運命の寵児であって某は運命の虐待を受けているように見えることがある。自分自身にしても或る時は運命の順潮に舟を行(や)って快適を得(え)、或る時は運命の逆風に帆を下(おろ)して滞留するように見えることがある。そこで「運命」という語は容易でない権威のある語として我々の耳に響き胸に徹するのである。
ただし聡明な観察者となれないまでも、注意深い観察者となって世間の実際を見渡したならば、我々は忽ち一ツの大きな急所を見出すことが出来るだろう。それは世の中の成功者は皆、自分の意志や知恵や勤勉や仁徳の力によって自分の好結果を収め得たと信じており、そして失敗者は皆、自分の罪ではなく運命がそうさせた為に失敗の苦境に陥ったと嘆いているという事実である。即ち成功者は自分の力として運命を解釈し、失敗者は運命の力として自分を解釈しているのである。この二つの相反している見解は、その何(ど)の一方が正しくて、何の一方が正しくないかは知らないが、互に自分を欺(あざむ)いている見解では無いに違いない。成功者には自分の力が大に見え、失敗者には運命の力が大に見えるに違いない。
このような事実はそもそも何を語っているのだろうか。この二ツの見解はどれもその半分は真なのであって、二ツの見解を併合する時は全部が真となるのでは無いだろうか。即ち運命というものも存在していて、そしてまた人間を幸不幸にしているに違いないが、個人の力というものも存在していて、そしてまた人間を幸不幸にしているに違いないということに帰着するのである。ただその間に於いて成功者は運命の側(がわ)を忘れ、失敗者は個人の力の側を忘れ、各々(おのおの)一方に偏った観察をしているのである。
川を挟んで同じ様な農村がある。左岸の農夫も豆を植え、右岸の農夫も豆を作った。であるのに洪水が起こり左岸の堤防は決壊し、左岸の堤防の決壊によって右岸の堤防は決壊を免れたという事実がある。この時に於いて、左岸の農夫は運命が我に味方しないのを嘆き、右岸の農夫は自分の労苦の結果によって収穫を得たと喜んだとすれば、その両者は何れも欺かない、また誤りのない、真事実と真感想とを語っているのである。その相反している故(ゆえ)をもって、左岸の者の言葉と右岸の者の言葉の、どの一方かが虚為で有り誤りであるということは言えないのである。そして運命も実に有り人力も実に有ることを否定する訳にはいかない。ただ左岸の者は人力を忘れて運命を言い、右岸の者は運命を忘れて人力を言っているのに過ぎなく、その人力や運命は川の左右によって偏っているのでは無いことも明らかである。
さて既に運命というハッキリとしないものがあって流行する以上は、運命流行の原則を知って、そして幸運を招致し不運を拒否したいのは誰もが抱く思いである。そこでこの当然な欲望に乗じて、推命者だの観相者だの卜筮者だのが起って神秘的な言説を弄するのであるが、神秘的なことは此処では論じまい。我々は飽までも理智の灯(あかり)を執って暗がりを照らすべきである。ここに於いて理智は我々に何を教えるだろう。理智は我々に教えて言う、運命流行の原則は運命そのものだけが之を知る。ただ運命と人力との関係については我が能(よ)く之を知ると。
運命とは何であるか。時計の針の進行が即ち運命である。一時の次に二時が来て、二時の次に三時が来て、四時五時六時となり、七時八時九時十時となり、このようにして一日が去り一日が来て、一月(ひとつき)が去り一月が来て、春が去り夏が来て、秋が去り冬が来て、年(とし)が去り年が来て、人が生れ人が死に、地球が成り地球が壊れる、それが即ち運命である。世界や国家や団体や個人に取っての幸運や不運というものは、実は運命の一小断片であって、そしてそれに対して人間が私的な評価を付けたものに過ぎないのである。しかし既に幸運と云うべきものを見、不運と云うべきものあるのを覚えた以上は、その幸運を招致し不運を拒否したいのは当然な欲求である。そこで、もし運命を引き寄せられる綱があるなら、人力で以ってその幸運を引いて来て招きさえすれば良いのである。即ち人力と幸運とを結び付けたいので、人力と不運とを結び付けたくないのである。それが万人の欺かない欲望である。
注意深い観察者となって世の中を見渡すことは最良の教えを得る道である。失敗者を観て、成功者を観て、幸福者を観て、不幸者を観て、そして或る者がどんな綱を手にして幸運を引き出し、或る者がどんな綱を手にして不運を引き出したかを観る時、我々は明らかに一大教訓を得る。それは即ち幸運を引き出すことの出来る綱は之を引く者の掌(てのひら)に流血を滴らせ、不運を引き出すべき綱は滑らかで柔らかなものであるという事実である。即ち幸運を引き出す人は常に自分を責め、自分の掌から紅血を滴らし、そして堪え難い苦痛を忍んでその綱を引き動かして、終に大きな体躯の幸運の神を招致するのである。何事によらず自分を責める精神に富み、一切の過失や齟齬や不足や不妙や、あらゆる拙劣なこと、愚劣なこと、良くないことの原因を自分自身に帰して、決して部下を責めず、朋友を責めず、他人を咎(とが)めず、運命を咎め怨まず、ただただ我が掌の皮薄く我が腕の力足りず幸運を招致することが出来ないとして、非常の苦痛を忍びつつ努力して事に従う者は、世の中の成功者に必ず認められる事例である。確かに自分を責めるという事ほど有力に自分の欠陥を補(おぎな)えることはなく、自分の欠陥を補うことほど自分に成功者の資格を得させることの無いのは明らかである。また自分を責めるということほど有力に他者の同情を惹(ひ)くことはなく、他の同情を惹くことほど自分の事業を成功に近づけることが無いのも明らかである。
前に挙げた左岸の農夫が豆を植えて収穫が得られない場合に、その農夫が運命を怨み咎めるよりも自分を責める念(おもい)が強く、「これ我が智が足りず、予想が密でなく,このような結果となった。来年は豆を高地に播種し低地にはトウモロコシを作ろう。」というように損害の苦痛を忍んで次年の計画を良くしたならば幸運が終に来ないとは限るまい。すべて昔の偉人傑士の伝記を繙(ひもと)いて見れば、何人(なんびと)もその人は必ず自分を責める人であって、人を責めて他を怨むような人ではない事を見出すであろうし、それからまた飜(ひるがえ)って、各種不祥の事を引き起こした人の経歴を考え調べたならば、必ずその人が自分を責める念(おもい)に乏しくて、他を責めて人を怨む心の強い人である事を見出すだろう。不運を引き出す人は常に自分を責めないで他人を責め怨むものである、そして柔らかな手触りのよい綱を手にして自分の掌の痛む程の事もしないで、容易で軽くかつ醜い不運の神を引き出して来るのである。
自分の掌より紅血を滴らすか、手触りのよい柔らかなものだけを握るか、この二ツは、明らかに人力と運命との関係の良否を語る目安である。運命の何れかを招致しようとする者は深く考えなければならない。(努力論②につづく)