幸田露伴の随筆「灯火可親(年少の読書)」
灯火可親(年少の読書)
人がまだ幼い時は、歴史や伝記の類の正しい本を読むことが有益である。時間が有るからと云って小説や物語の気に入ったものを読むのは、多少の利益は有るかも知れないが、時に大害がある。
小説や物語の類(たぐい)は元来(がんらい)浮いたことを書いたもので、確かなものを書いたものではない。年の若い心の清い人がこのようなものを読むのは、例えば土の柔らかな地の肥えた花壇に、何とも知れない草花を植えるようなことで、花壇の為にはならない。草花を植えるには由来が確かで、美しく見どころの有るものを植えて、その色を観賞しその香りを楽しむ方が好い。歴史は読み易くないが、伝記は難しいことはない。善い人・大人物・興味ある人の、偽りの少ない正確な伝記を読むのは、興味も多く利益も多い。
逸話はおもしろいものだが、偽り多く正確さを欠くものである。人としては百の逸話を遺(のこ)すより、一ツの事を確実に行う方が優れている。本は百の逸話を集めたものより、一ツの伝記を記した方を重んじたい。逸話には首尾に一貫したものがなく、根拠も不確かなもので、これを喜ぶことが習慣となっては、無益な人の噂話に日を送る愚劣な連中と同様になって仕舞う。すべて人の上に立つ者は、他人の噂をしない、他人の噂を取り上げない、口を閉じ、眼を張って、我が心の判断に誤りの無いようにするものである。逸話を喜んでその真否を考えず、ひたすらに語り継ぎ打ち興じるのは、大変浅はかなことで人の上に立つ資格がない。伝記を読むべきである。
詩歌の正雅(せいが・正しく雅やか)なものは、好んでこれを読み、これを味わい、これを吟じるが善い。心を正しくし、情を喜ばし、気を養うことができる。疲れた時に我を鼓舞する詩歌を声に出して読み上げれば、飢えた時に食を得たようになり、煩わしい時に我を超然と高める詩歌を声に出して読み上げれば、のどの渇いた時に飲み物を得たようになる。苦しく悲しい時に我を慰める詩歌を声に出して読み上げれば、寒い時に暖かい火を得た心地がする。詩歌の高妙なものは人に役立つことが多い。先輩父兄に尋ねて、これを覚え、これを吟じるが善い。
博物学・理化学等の本で、楽しく読めるものはドシドシ読むが善い。害は少なく、役立つことが多い。知らずしらずのうちに、確実堅固な知識を得る。
(大正五年九月)