「戦争と水ようかん」-若旦さんの単純な散文#17
本日、8月15日は終戦記念日。
改めまして、先の大戦で亡くなられた多くの御霊に哀悼の誠を捧げるとともに、世界の平和と、更なる発展を祈念いたします。
ご存知の方も多いと思いますが、戦中は一部を除いてほとんどの菓子店が国の指導による強制廃業の憂き目に会いました。
国の指導が出るのが昭和18年ですが、それ以前から戦争の激化に伴って砂糖や小豆、穀類が国の管理下に置かれるようになり、やってるけれどもやってない。そんな状況だったようです。
どんどん、どんどんと日常に溢れていた甘味が贅沢なものとなっていきます。
強制廃業の2年後、昭和20年に日本はポツダム宣言を受諾。
終戦を迎えるわけです。ところが戦争が終わったからといって、すぐに元の生活に戻れた訳では無いようで。
三代目の手記によると、戦争が終わっても原材料のほとんどが国の統制下に置かれたままで、店の再開の目処は中々立たたなかった為、数年間は統制の対象外だった白下糖(これから不純物を取り除くと"和三盆"になる)を販売したり、サッカリンという人工甘味料を使った"なんちゃって水羊羹"を販売するなどして生計を立てていたそうです。
ちなみに、当時甘いものがほとんど手に入らない状態だったこともあって"サッカリンの水羊羹"は、当時のご近所の方からはとても好評だったようです。
もちろん、"生きる為"という側面が大いに強かったと思いますが、自分の手に入るもので、どうやったら人に喜んでもらえるようなものを作れるか、"ナルミの商売の仕方"の原点がそこにあるような気がします。
ちなみに、今も本店では"水羊羹"を販売していますが、
こちらはしっかり"こし餡"を使った"水羊羹"ですのでご安心ください↓
さて、そんなこんなで時代は進み、小豆と砂糖の統制が漸く解除された昭和28年、めでたく復興開店となりました。強制廃業から10年を経ての復興。
その間、そのまま廃業されたお店もあったと聞いています。
復興当日は沢山の人手で大変忙しかったそうですが、当時の写真を見ると、みんなどことなく嬉しそうに仕事をしている様子が残っています。
今日この日に改めて、今の自分が先人達の弛まぬ努力とお客様からご贔屓の賜物である事に感謝し、その先人に負けない、胸を張れるような店にしたい。
そんなふうな事を思いました。
皆さまどうぞ引き続きご声援賜りますよう、お願い申し上げます。