読書感想:体が感じる、場所の違い、方角、未来と過去。
お寝坊しました!といったら、
最高!と言ってもらえたので、楽しく今日も自分の禊をしていきたいと思います。約束を守れない自分だって、何か目的があってそうだったのだとしたら、どうだろうか。
なんて、自分に甘すぎるかな(笑)
でもそんな皆様にお聞きしたい。
「最後に自分を抱きしめてあげたのはいつだい?」 by素敵な後輩
まぁ、正直読んでる人からしてみれば寝坊しただろうかどうでもいい情報かもしれないので、気を取り直して今日はこのだいじゅさんの記事を読んだ感想、そして学んだことを書いていく。
この記事はその前の記事からの続きですね。合わせて読みましょう。
思えばこの記事、1年前にも読んだことを思い出しました。
気になったこと
端的なフィードバッっく「あとは?」「どういうことだろう」はなんていうか、非常にだいじゅさんチーム的な言葉遣いに感じられる。どうしてかうちのスクールでは聞かないなぁ、よしあしではなく、個人的に面白い。
セッションはいつもコーチもクライアントも、思いがけない「一言」で大きく動く気がする。この一言を技術的にいつでも連発できるようになりたい。
何かを自分から引き出そうとしているクライアントの言葉に続けて、かつ邪魔しない言葉なんだ?「それって?」とかかな?
コーチの迷いのなさ、これ結構大事かも。最近、セッションの中で言葉を選んでしまっている気がしていて、ハッとしてしまった。
イメージの世界を扱うなら「十分だと思うぐらい」までやるのがいいのだろうなぁ。きっと、中途半端は何においても、クライアントのためにならない。
とこざかしいことを書いてみたものの、この記事の素晴らしいところは、ポジションチェンジのダイナミックさ、それでいて、実に繊細にクライアントのことをケアしているセッションであること、なるほどこういうコーチングがあるのか、Zoomの画面の前ではできないだろうと容易に想像できる移動をともなったダイナミックなセッション。
セッションといえば、画面の中で、というのが自分の常識の中だったので体感覚を用いたセッションというものの強さを感じた記事だったなぁ。リアルなセッション、いつか自分にも体感できるだろうか。
この、アドラーの引用も素敵。
そう、誤った解釈は見直すことができる。これ、本当にそう。
今日もいい記事を読めた、幸せだ。