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僕なりの本との向き合い方と買い方

書店で書籍を購入する際の判断基準のお話。

普段書籍を購入する際は、Amazon6割、書店4割ぐらいの比率です。Amazonでの購入はピンポイントで目当ての書籍が’ある際に利用することが多いです。新刊ではない場合は、店頭には置いていないことが多く、Amazonで入手するしかないかなと思っています。

Amazonは世界で一番豊富な在庫を持っているのでAmazonにない書籍を手に入れるには古本屋での運命的な出会いに期待するしかないかもしれません。

ただAmazonの欠点というか、実際の書店には敵わないなと思うことは、書籍との偶然性が少ないということです。外山滋比古先生の書籍でお馴染みの「セレンディピティ」の機会が少ないということです。

Amazonで書籍を購入すればするほど、その優秀なAI技術によって、僕自身の趣味趣向に合うようなどんどんレコメンドされます。

それはそれで素晴らしいですが、そうするとどうしても似通った情報、分野の書籍に偏ってしまいます。

ある分野の研究者の方や、自分が学びたい領域が定まっており、一定期間はその分野の研究、情報収集に特化すると決めている場合はAmazonのレコメンド機能は非常に有難い司書さんになると思います。

ですが、僕は飽き性なので、常に新しい発見や分野の開拓が大好きです。

昨日まで全く興味もなければ知りもしなかった分野に今日突然目覚めるなんてことは日常茶飯事です。

そうした自分の好奇心、新規性を刺激してくれる入り口は書籍との出会いがきっかけであることが多いです。

だからこそ、僕はいろいろな書籍を見たいなと思っていて、その点に関してAmazonはやや難しいなと思っています。

ではこの自分の好奇心、新規性を刺激してくれるものは何かと言えば、その一つが書店です。

書店は僕にとってはセレンディピティの宝庫であり、同時に劇薬の詰まった倉庫です。

それまで全く知らなかった世界との出会いを与えてくれる場所である反面、それまで夢中だった世界からの興味を奪う場所でもあります。

ですが僕にとってはその劇薬的な効果ですら大歓迎と思っています。というのも、今まで興味関心のあった分野への意欲が今は影を潜めていても、それらは自分の奥底に一旦沈んでしまっただけであり、チャンスがあれば今か今かと浮上のきっかけを狙っていると思うからです。そして、僕自身もそうした思いがけない浮上を期待しています。

日々の生活が何か同じような繰り返しになっているような閉塞感や、理由ははっきりしないもののなんとなく上手くいかないような状態が続いた時に僕はまず自分が書店に足を運ぶ頻度が落ちていないかを考えます。

そして、大抵は足が遠のいていたことに気がつきます。

自分が書店から足が遠のいていることに気がつくと現状を打開する大きな出発点になることが多いと感じています。あとは、実際に書店に行って、足のむくまま、気のむくままに彷徨います。

煮詰まっていると感じる度合いが大きいほど、行ったことのない書店やそれまでほとんど見向きもしなかった分野のコーナーに行くと思い掛けない発見や気分転換になります。

そして、その時に自分が手にとった書籍を少し読んでみて、数行でも自分にとっていいなと感じた部分があれば、多くの場合購入します。

これは僕の一つの信念のようなものですが、自分が書いた文章が全く見ず知らずの他人の感性を刺激するのはとても尊いことであり、高度なことだと考えています。

僕自身も個人のブログやnoteなどでちょっと文章を書いたりしていますが、相手の感性や感情を刺激する文章を書くのはとても難しいことだと実感しています。

だからこそ、たった数行でも自分の感性や感情を刺激してくれて、新しい気づきや世界の見方を与えてくれた書籍には感謝の意味も込めて、そして、今後も少しでも活動して欲しいと思ってお金という形で応援したいと思うからです。

もちろん友人知人に配ろうなどと一気に数冊買うようなことはできないので偉そうなことは言えませんが(いずれ出来るようになりたいと密かに思ってはいますが)、そういった思いも持って購入するようにしています。

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