
社会人になって頑張ってた頃の話⑤_支部長
そろそろ、打ち切りにしたいような気持もあ
るけど、
この会社を辞めるとこまでは書いてみようと
思います。
宇都宮の室長の次は、同じエリアの支部長に
昇格。
今風?にいうと、エリアマネージャー。
30歳くらいだった。
仙台の教室が2つ
山形の教室が1つ
土浦に教室が1つ
栃木にもう一個あったな、覚えてない(笑)
じみ~な教室やった。
宇都宮教室を拠点に支部長としての仕事が
始まった。
何したらいいんやろ?
分からん。
この時ばかりは、何をしたらいいのか皆目
分からなかった。
自分の支部の目標を達成するために、
毎日どこかの教室に行って話をしていた。
幸いどこの教室の室長もよい人ばかりで、
やり易かったが、
人柄がよいだけでは、目標は達成できない。
教室の規模や室長の力量を考えて、
支部としての目標をそれぞれに割り振った。
そういえば、
損益分岐点なんて考えてやってた(笑)
目標の話になると、
やっぱりそれなりに「ノルマ」の響きが
ある人もいて、
そこのところの意識を変えていくことが結構
課題だったような記憶がある。
仙台と土浦の室長さんが手ごわかったのを
思いだした(笑)
いい人すぎて、話がかみ合わないって事もある。
仕事する人、っていうより、
二人とも「先生」だったんだと思う。
話しをしている土俵が違ったが、
同じ土俵にあげる話力が私にはなかったんだと
今は感じる。
困った時は、例の課長さん
誰やそれ、を知りたい人は④を読んで下さい(笑)
https://note.com/725natsuko/n/n53be9d56a8b5
色々アドバイスをもらった。
「数字はマジックだ」
「目標はゲーム感覚で達成を楽しめ」
「目標が達成できなくても死ぬことはない」
死なない、が好きな人やね
「自分の給料が上がるように考えろ。
自分が稼がなければ部下は稼げない」
これは結構響く言葉だったな。
自分のためじゃなく部下に給料をたくさん
入るように。
「愛が大事」
何を言ってるのか当時は理解できなかった(笑)
この課長さんの言っていた事、
考え方、凄かったんだと、今頃思う。
当時は何言われているか理解できてなかった。
または理解が浅かった。
そんなこんなで支部の運営は順調だったけど、
あー因みにだんだん雑になってきたけど、
それだけ支部運営はそれなりに
平和に過ぎたという事です。
目標を絶対に達成する、と力まなくても
よかったが、
課題というか、問題は自分の体力にあった。
毎日教室を巡回して回るのは、体力が必要。
仕事は体力勝負、という事が理解できた経験
でした。
今日はここまで。
ありがとうございました。