お久しぶりです 大きく環境が変わり日々神経をすり減らしていますが周囲からそう思われない可哀想な私(笑)事情を知る友人達はよく引き受けたなぁと呆れられていますが理想を目指して頑張っています。たまに心が折れてますが 周囲の支えのお陰でリカバリーも早くなったかな?
その時感じた気持ちを忘れないように思い出すことがある。 就労継続B型事業所で働き始めた頃 利用者さんたちは職員を「先生」と呼んでいた。「先生」と言う言葉に利用者に対する万能感を持ちつつあり、利用者は庇護されるべきもので解らないのだから指導しなくてはいけないと思うようになった。 仕事自体は日々忙しかったが和気藹々と時間が過ぎ、利用者がおもしろいくらい自分の指導に従ってくるので生産性や技術が向上してきた。 ある日技術指導をしていると、それまで素直に私の指導に応じてきた利用者さんが
私がやってみたいなぁ〜と思っている事が一つありまして… B型にいる頃に支援学校でた子供達の専門学校…という事業所ができまして、当時にしたら画期的な視点で「なんだろう?」と興味を持ちました。 勤務していたB型に見学に来た男の子がいて、家からも近いし事業所の雰囲気もきっとマッチングしてるから契約結んでくれるはずと思っていたのに 「大好きなダンスを沢山させて色々な経験をさせてあげたい」と言うお母さんの願いでその事業所へ通所を決めました。 当時の私の考えは、支援学校をで
あけましておめでとうございます。 今年の抱負を考えていたのですが良いものが浮かばなくてnoteが止まっていました。 去年は新しい職場について支援に取り組みましたがチームとして機能していない職場で働く難しさを感じました。 やりたい事思っている事は頭の中に沢山あるけど実行するには一人では難しく、口に出すと全部背負う羽目になるので黙って従ってみたり。 自分のことを割と保守的な人間で組織内で安定して長く働きたいなと願って就職活動してきたのですが、どうも間違ったいたような… しかしふ
B型事業所に支援員として働き始めた頃 中学校の支援級の男子2人が職場実習にきました。 2人で仲良く作業を行う姿は微笑ましく、2人とも楽しそうに過ごしていました。 なんで?なんで?と人懐こくて物怖じしないA君😊なかなか背も高くイケメンで何でもそつなく出来るタイプ そのお友達のB君😊いつもニコニコ A君が何かを行う度に さすがA君じゃ!俺はかなわんなぁA君はほんまにすげえわ‼️と褒める褒める A君はまんざらでも無い様子で得意げ A君は手のかからなくて人懐こいから他人に好かれますと
支援員を始めた当初は送迎サービスがなく、利用者さんは各自で公共機関や保護者の送迎やタクシーや自転車などで通所していました。 バスを利用しているグループがバス内で色々あるらしく仲裁に入る事も だいたいはたわいのない事で 〇〇さんがバスの席を占領してるからほかの乗客が迷惑している そんな○○さんと同じ仲間と思われたら嫌 △△くんが最近一緒にすわってくれない □□さんが他の人と話をしたら怒る…などなど そんなクレーム?をバスで通所しているグループはよく揉めていましたが毎朝賑やかに登
残暑が厳しい日々ですね。昨日はウォーキングを希望される利用者さんと歩いていました。暑い中も風は少し涼しくなってるなぁと思いながらフッと昔の事を思い出しました。 B型事業所に勤め出した頃、利用者さんのメインのお仕事はお箸入れでした。当時の養護学校でも授業のカリキュラムに入っており、手足が不自由な重度の知的障害の弟も職員に手を添えられながらお箸入れの実習をしている写真があります。約10年前は作業所ものんびりと日々の生活を送っていました。 夏の終わりにOBの利用者さんとお母さん
同居してた祖母は難しい人で母親に嫁いびりをするし私にはきつかったけど、今思えば障害をもった弟に関しては母親に文句を言ったことないし、弟の世話をしていたなぁ… よく聞く、うちの血筋にはこんな子いないとか、無理解からくる無神経な言葉かけとかなかった。 知的で多動で家から脱走する弟を探しに行ったり母親がパートに行く時は世話をしたり…近所でも有名な意地悪婆さんだったけど障害児の弟に対しては優しい婆さんだったのねぇ… 母親が秋にミカンの収穫のパートに行ってるとき学校の迎えを婆さんが代わ
職安の職員と訓練校に入るために時間がなかった会社から退職証明を訓練校の受験申し込みの最終日迄に間に合わせる為にどのタイミングで退職を告げるかアドバイスを受け、ギリギリのタイミングで初任者研修の講座に入ることかできました。 3ヶ月間毎日朝から晩まで講義や実技や実習がありましたが、担当の先生(看護師としてキャリアをもつケアマネさんでした)福祉の基本を正しく学ばないといけない。福祉って科学的なものなんですよ!適当に職場の人から伝授された方法で行ってはいけませんよ。と教えてくれまし
ときおり福祉の資格について色々な考えを目にする事がありますね。 現場が第一だから上手く支援できてるなら資格はいらない。資格を持っていても何もならない。経験が長い無資格者の方が経験の短い有資格者より良い…など 確かに資格が沢山あっても生かせなきゃ意味もないし、無資格でも優れた人もいる。でも私は自分の経験上、福祉関係の資格は取った方が絶対良いと思います。 無資格でB型事業所で管理者として働き始めた頃は根拠のない自信に溢れた人だったと思う。支援が上手く行き利用者も増え、工賃も
B型事業所に勤務していたときに思っていた事 私たちには職業を選択したり、退職や転職もあるのに何故利用者さんにはないのか? A型事業所の派手なチラシが入り、障害者でも最低賃金の時給が貰える、同じB型なのに経営しているレストランがあり、そこで働くと今の倍以上の工賃が貰える…そんな話が利用者さん達に知れ渡るようになった頃、支援学校でて20年以上も作業所のエースとして頑張ってきた利用者さんが 僕…レストランの見学に行ってみたいと呟いた 当時施設外就労が始まり工賃もあがっていっ
最近人の出会いは必然であって偶然ではないんだなぁ…今の出来事は未来の何かに繋がっているんだな…と思う事がありました。 私が無資格で支援員を始めた頃、勤務先の法人自体が人が安定していなくトラブルが続いてる感じで、所属先も同じように職員の人間関係や利用者への支援に悩んでいました。 もう辛くて辛くて辞めてしまいたい‼️しかし不景気で主人の収入も安定せず私も正社員として働かざるを得ない状況で、毎日繰り広げられる利用者との格闘に疲労困憊してしまい、遂に心療内科迄通いながら働いていま
書くぞ書くぞと言いつつ放置していたnoteですがやっと書く気になりした(笑) とりあえず自己紹介です。私は障害者支援施設に勤務してかれこれ10年になる支援員です。 大した実績もスキルも熱意も(こらっ!)ありませんが、利用者さん達がその人らしく人生を送れるように、そのお手伝いをできたらいいなって日々思っています。 困難事例の利用者さんに立ち向かった事もありますし、管理者として利用者さんを沢山増やして褒められましたが、失敗も沢山しました…始末書も書きました…ついでにパワハラ