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【モラハラ】にとっての不登校

いちは全く登校しなくなった

その様子を朝の出勤前にチラッと見て
「学校行かんかい!!!」
「なにサボっとんや!!!」
と怒鳴りつけるモラハラ旦那

ワタシには
「ちゃんと行かせよ!」とだけ


当時のワタシの中には
不登校という現実を認めたくない気持ち
でももうこれは不登校という状態だろうという諦めの気持ち
いやでも少し休めばまた行けるようになるだろうというすがるような気持ち

そういうものが渦巻いていた

さらには
モラ旦那の叱責が
どうすれば行けるようになるのか
行かせるために自分にできることとは
このまま行けなかったらどうなるのか
という不安を掻き立てていたな…

本やネットの情報を読み漁り
いろんな方法を試しては失敗挫折し
行けないいちと
行かせろと言うモラ旦那の板挟みで
ヘトヘトになっていた記憶


不登校になってからも
せめて勉強は遅らせまいと
学校からもらったプリントやワークを促し
タブレット学習を申し込み与える
最初は興味を示してもすぐに飽きてしまう

では長い一日
何をしているのかといえばゲーム

一日◯時間までという制限をしたところで
毎日家の中だけで生きている子どもにとったら
そんなものは一瞬で過ぎていってしまう


仕事から帰ったモラ旦那は
また学校を休んでゲームしているいちを見て
「学校も行かんとなんしょんや!」
「毎日サボりやがって!」
「やることやらんのにゲームなんかするな!」
といちからゲーム機を取り上げた


「じゃあオレは何したらえんや……」
そうつぶやくいちの悲しそうな顔を今も覚えている


モラ旦那のしたことは
学校へ行かないことへの制裁

「ゲームしたかったら学校へ行け」


確かに当時のワタシにもそういう気持ちがあったのは事実
楽しいことをしたければ嫌なことも我慢してやるべき

でも
今は考え方が変わった


当時はスマホもパソコンもまだ持たない小学生
ワタシもゲームばかりの日々をいいとは思ってなかった
かといって取り上げたら学校へ行く?

そんな単純なものではないんだよね不登校って


大人の私たちは
車でドライブに出掛けたり
カラオケやショッピングでストレス発散したり
友達とカフェで話したり
自由とお金と手段を持っている



子どもたちはどうだろう

社会のほとんどが家と学校ではないだろうか
昼間に外を出歩くと田舎では目立つ
学校にいるべき時間に子どもがウロウロすると
奇異の目にさらされる

親以外の人間と喋ることもなく
お金も移動手段も持たず
居場所である家では叱責され
唯一の拠り所であるゲームも取り上げられる

それってつらくない?


学校に行けないことは
子ども自身も苦しんでるんだよね

行けばゲームもできて
親も怒らなくて
平穏に暮らせるのに

それができたら苦労しないのに

でも行けない

できなくて苦しいのに

誰もわかってくれない

わかろうとしてくれない



今ワタシが
成長した子どもたちとしあわせに暮らせているのは
この時の認識を変えられたからだと思ってる

子どもたちもママが変わってくれてよかったと話してくれる
簡単に変われたわけではもちろんなくて
長い時間をかけて
悶絶しながら手放し取り入れて
子どもとの信頼関係を取り戻した

その経緯も書いていきますね

一方
モラ旦那にとって不登校は
「サボり」という認識しかなく

その後ついに
ワタシと子どもたちが不登校と向き合った数年間
彼の認識は変わることはなかったのです




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