ジャ・ジャンクーの『プラットホーム』の青春群像

1979年から1991年の改革開放政策によって大きな変貌を遂げる中国。山西省の小さな田舎町 ・汾陽(フェンヤン)を舞台に文化劇団の若者たちの青春群像を2組のカップルを中心に描いた作品。明亮(ミンリャン/ワン・ホンウェイ)と瑞娟(ルイジュエン/チャオ・タオ)、張軍(チャンジュン/リャン・チントン)と鐘萍(チョンピン/ヤン・ティェンイー)の4人は幼なじみ。

ファッション、風俗、音楽などとともに時代の変化が描かれる。明亮(ミンリャン)たちのラッパズボンから始まり、初めてパーマをかけた女の子・鐘萍(チョンピン)が赤い服を着てフラメンコダンスを踊る場面は印象的。都会から戻ってきた若者が当時のヒット曲「ジンギスカン」を流しながら楽しそうに身体を揺らして踊るパーティー。集団から個人へ、自由の空気を嗅ぎ取っていく若者たちの変化。

地方の若者たちが中心となって活動している文化劇団。最初は毛沢東の故郷の町、革命の希望に向かう列車が舞台で演じられる。バスの中で叫ぶ汽笛の音とともに巡業の旅の物語は始まる。地方を移動しながら、革命の理想を伝えていた劇団は、鄧小平の改革開放政策とともにやがて党の支援もなくなり自立の道を求められる。演目も毛沢東から、ロックやポップミュージックにダンスとショービジネス化していく。地方と都会の格差が次第に進んでいったのだろう。変わり映えしない田舎町にも少しずつ都市の変化の波が押し寄せてくる。最後の方は文化劇団も人気のないドサ回り劇団のようになっていく。トラックを置く場所の許可をもらうために、男たちの前で無駄に踊らされる二人の女の子たち。道路沿いの聴衆も誰もいないトラックの上で踊る二人の女の子たち。そこにはかつての希望や自由もなく、空虚感が支配している。青い夜の山をバックに一人の男(明亮?)が火を焚く場面が象徴的だ。青い画面の中で燃える火の光。

ワンシーンワンカットを多用しながら、引きの画面の長回しが多く、パンを使いながら、あくまでの背景の町の風景とともに人物たちが描かれる。バストショットやアップは全くなく、人物像が分かりづらい。人間ドラマというより、中国の地方都市と若者たちの時代の変化が中心だ。石造りの壁や橋、アーチなどが印象に残る。それと何もない地方を走るトラック。列車が来るのを線路まで走って行って、劇団員たちが興奮して見送る場面がある。列車は経済繁栄の希望の象徴なのか。

人物がフレームイン、フレームアウトを繰り返しながら、交互に画面に一人ずつ現れ、明亮(ミンリャン)が自分との関係を「恋人同士なのか」と瑞娟(ルイジュエン) に問う場面の演出が面白い。自転車で走っていく明亮(ミンリャン)の後を微笑を浮かべて歩いていく瑞娟(ルイジュエン)。心が疼く青春の一場面だ。冒頭で一人っ子政策を呼びかける場面があり、パーマをかけた活発な鐘萍(チョンピン)が妊娠して中絶させられ、夫婦でもないのに男女同室を警察に問い質され、二人の距離は離れてしまう。そして鐘萍(チョンピン)は突然行方不明になって、二人は別れる。張軍(チャンジュン) は一人慟哭し、伸ばした長髪を切る。もう一組のカップルは、ハッキリしないメガネ男の明亮(ミンリャン)と警察官の父を持つ地味な感じの娘瑞(ルイジュエン)。「合わない気がする」と彼女から告げられ別れてしまい、瑞娟(ルイジュエン)は劇団を離れ、税務署の仕事をするようになる。一人で事務所で瑞娟(ルイジュエン)が黄色い服で夜に踊る場面も美しい。瑞娟(ルイジュエン)が明亮(ミンリャン)を自宅に呼んで、タバコばかり吸っているシーンがあり、最後は結局、瑞娟(ルイジュエン) が明亮(ミンリャン)との子供を産んで育てている場面で終わる。ヤカンの音が冒頭の汽笛の音と重なる。

引きの長回しで捉えた青春群像は、大きなスクリーンの映画館で観たい。台湾の地方と都会を描いたホウ・シャオセンの『恋恋風塵』という私の大好きな傑作があるが、そんな中国の地方の若者たちの素朴な感じがなんとも懐かしい。時代の変化を感じながら、それぞれが影響を受けて変わっていく姿が愛おしい。劇的なドラマは起きないが、そこがいい。オフィス北野が出資しており、香港・日本・フランスの合作になっている。


2000年製作/151分/香港・日本・フランス合作
原題:站台
配給:ビターズ・エンド
監督・脚本:ジャ・ジャンクー
プロデューサー: リー・キットミン、市山尚三
エグゼクティブプロデューサー:森昌行
撮影:ユー・リクウァイ
編集:コン・ジンレイ
音楽:半野喜弘
キャスト:ワン・ホンウェイ、チャオ・タオ、リャン・チントン、ヤン・ティェンイー

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