時代劇『斬る』虚無のなか堕ちていく孤独
©KADOKAWA1962
柴田錬三郎の原作を新藤兼人が脚色。冒頭、侍女(藤村志保)が側室を刺し殺す場面から始まる。短刀のヨリや俯瞰カット、美しき着物の色など様々なカットをテンポよく組み合わせながら観客を一気に引き込む女の暗殺場面があり、その女の首をはねる丘の上の処刑場面になる。刀と流れる一筋の赤い血。そして時間が経過し、処刑された女の赤ちゃんが駕籠で屋敷に運ばれてくる。女の首をはねたのが、赤ちゃんの父であったという因縁が後でわかる。
そんな出生の秘密を持って育てられた小諸藩の藩士、高倉真吾(市川雷蔵)が、優しい義父と兄思いの義理の妹(渚まゆみ)に囲まれて好青年に成長する。そんな明るいのどかな家族が描かれ、妹を見初めている隣の藩士家族とシンメトリーな構図で交互に描かれたりする。しかし、信吾が3年の旅を経て身に着けた相手のノドを狙う邪剣「三絃の構え」で、ある剣士を倒したことから人生の歯車が狂いだす。恨みを買った隣の親子に義父と義理の妹を殺され、その仇討ちを果たした後、信吾は流浪の旅に出る。生きる目的を失い、暗殺者の母を持つ出生の秘密を知り、天涯孤独となった自分の死に場所を求めて・・・。
森の中でひっそりと亡き母の面影と暮らす実の父(天知茂)を訪ねた信吾。傍らには小さな母の墓があり、母を自らの刀で殺した父は、母の霊とともに生き、ともにあの世で暮らすことを望んでいた。そんな二人でいる場所に信吾の居場所はなく、素浪人になって江戸へと向かう。
旅の途中で信吾は、武士たちに追われている田所主水(成田純一郎)という侍から、姉の佐代(万里昌代)を匿ってくれと頼まれる。しかし、弟が殺されそうになると姉は飛び出していき、着物を一枚一枚脱ぎながら裸になって弟を逃がす。この万里昌代が裸になって殺される場面は、この映画の一つの見せ場だ。弟のために体を張って死んだ姉。義理の妹を守れなかった兄の信吾。あるいは義父を守れなかった息子。殺され、殺し、家族の強い絆がテーマになっていく。
江戸で千葉道場主栄次郎に紹介されて、信吾は水戸藩の幕府大目付松平大炊頭(柳永二郎)に仕えることになる。時代は幕末。尊王攘夷の嵐が吹き荒れ、その急先鋒の水戸藩も刺客が松平大炊頭を狙っており、藩内は荒れていた。暗殺者たちとの河原での殺陣シーン。殺陣は林か河原が多い。斬った後に血をぬぐった懐紙を空に投げ、落ちてくる紙が舞う演出。
松平大炊頭を父のように慕うようになっていた高倉真吾だったが、明日は江戸へ帰還という水戸最後の日、城内に入った大炊頭と信吾はある計略にはまり、大炊頭は殺されてしまう。この城内の暗殺場面が凄い。仏事の焼香のため、刀を取り上げられて仏間で待っていた信吾は、田所主水(成田純一郎)と対峙する。信吾は仏間に飾られていた梅の枝を持って「三絃の構え」で向き合い、相手のノドを突くのだ。そして、大炊頭を探して城内の部屋を次々と走り回る。誰もいない部屋、部屋、部屋。延々と映し出される不在の空間。俯瞰ショットも入れながら、何もできなかった巨大な虚無が押し寄せているようだ。そして、死んでいる大炊頭を見つけ、信吾は自ら切腹して、大炊頭の上へ折り重なって果てるのだ。
つまり、誰かのために生きることができなかった男。虚無の果ての死に場所をやっと見つけて終るのだ。時代劇に殺し殺される「死」が付き物なのは当たり前だが、幸福な家族の姿から孤独に虚無的に堕ちていく様に凄みがある。
1962年製作/71分/日本原題:Destiny's Son
配給:大映
監督:三隅研次
脚色:新藤兼人
原作:柴田錬三郎
企画:宮田豊
撮影:本多省三
美術:内藤昭
音楽:斎藤一郎
照明:加藤博也
編集:菅沼完二
キャスト:市川雷蔵、藤村志保、渚まゆみ、万里昌代、成田純一郎、丹羽又三郎、友田輝、 柳永二郎、天知茂
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