シャンタル・アケルマンの傑作「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」の家に閉じ込められた女性の虚無
ベルギーの女性監督シャンタル・アケルマンの代表作であり、傑作とも言われている。しかし、正直言って見るのに苦労した。家で見る映画ではない。何度も寝落ちして、何日もかけてようやく見通すことが出来た。なにせ3時間20分と長く、そのほとんどが部屋ごとのワンシーンワンカットの家事の描写だ。台詞もほとんどなく、ドラマもなく、ドキュメンタリー的な家事の記録映画のようだ。
デルフィーヌ・セイリグ演じるジャンヌは、ブリュッセルのアパートで思春期の息子と二人で暮らしている。部屋で売春をしていること以外は、いたって普通の日常的な家事をしている主婦である。朝から夜まで、延々と部屋での様子が映し出される。部屋に据えられたカメラは動かず、ただジャンヌの姿を映し続けるだけ。
料理をし、ジャガイモを鍋にかけ、その間に男を部屋に招き入れ売春する。お金をもらい男を送り、また料理を再開する。セックスは映さない。風呂で身体を洗い、息子が帰ってきて、食事を用意し、二人で食べる。息子はフランス語の勉強をし、ジャンヌは詩の朗読をする。そしてラジオで音楽を聴き、息子のセーターを編む。部屋を移動する度に電気のスイッチを消すので、それがフェイド・アウト、フェイド・インのような効果になっている。夜は二人で散歩をするが、ほとんど暗くて何も見えない。2日目、暗いうちに起きて、息子の靴を磨く。コーヒーの豆をひき、朝食の準備。息子を起こし、朝食を取り、息子に金を渡して送り出す。部屋を片付け皿を洗う後ろ姿。ジャンヌは外へ出かけ、お金をどこかに振り込み、友人と偶然会ってお茶を飲む約束をして、息子の靴を修理に出し、買い物をして家へ帰る。また家の中で家事が続く。赤ちゃんを預かったりもする。赤ちゃんを受け取りに来たお母さんの買い物の話を一方的に聞く。相手は画面に映らず声だけ聞こえる。編み物の毛糸を買って、カフェでひと休み。またしても男と部屋で売春した後に、風呂掃除。ジャガイモを茹でるも失敗し、もう一度ジャガイモを買いに行って、皮をむく。夜に息子から、夫婦のセックスの話を父から聞いてショックだったことや、母のセックスの邪魔をしようと思った話を聞く。性が次第に物語に入り込んでくる。
3日目となると少し、今まで描かれなかったことが描かれる。いつも家事をしていたジャンヌがボーッと考え事をしているのか、食卓や椅子に座ってじっとしているシーンが増える。コーヒーを飲んだり、これまで描かれなかったエレベーターの中が映し出されたりしつつ、どこか何やらうわの空だ。カナダにいる妹からもらったコートの取れたボタンと同じものを探し、何軒かの店をまわるが見つからない。そして、いつも座っていた喫茶店の席に座れず、預かった赤ちゃんを抱っこするが泣き止まない。そして泣いている赤ちゃんをほったらかして、何かを食べている。誰かのためにいつも動いていたジャンヌが、働くのをやめる。これまでの日常と少し違うなと思ったら、売春のセックスシーンが突然挿入される。奇妙なセックスシーンだ。男は人形のように動かず、図らずも感じてしまい悶えるジャンヌ。そして鏡越しで描かれるある行為。最後にフィクション的な出来事が起きるのだ。これまで日常そのものが描かれてきただけに、それが妙に生々しい。鏡の前には夫との写真が置かれている。ラストは、闇に佇むジャンヌの長いカットが映されて映画が終わる。窓から洩れる青い光が、闇に浮かぶ。
淡々とした主婦の日常。息子の世話や家事に追われる毎日。一日動きっぱなしで、人生を楽しむ様子がない。リアルタイムの日常をカットせずに描くことで、退屈な時間と主婦の虚無が浮かび上がる。繰り返される反復とズレ。ラストの生々しさは、繰り返す退屈な反復があればこそ、その裂け目に生まれたズレだ。この閉塞した家に閉じ込められた女性を、シニカルに描いたシャンタル・アケルマンの冷徹さが恐ろしい。
1975年製作/200分/G/ベルギー・フランス合作
原題:Jeanne Dielman, 23, quai du commerce, 1080 Bruxelles
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム
監督・脚本:シャンタル・アケルマン
撮影:バベット・マンゴルト
キャスト:デルフィーヌ・セイリグ、ジャン・ドゥコルト、ジャック・ドニオル=バルクローズ
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