テレビ春ドラマが終盤戦 感想あれこれ 『季節のない街』『光る君へ』『Destiny』『95』『からかい上手の高木さん』
テレビ春ドラマについての感想をあれこれ
◆『季節のない街』企画・脚本・監督:宮藤官九郎 (テレビ東京)
「プールのある家」の回が印象に残っている。又吉直樹演じるインテリ
ホームレスが、息子に建築の知識を披瀝し続け、喋り続ける。息子を
死なせる原因になった「しめ鯖」だが、加熱して食べろと言われた忠告を
聞かずに、自分の知識を押し通した。息子に死が迫っていても、何も行動
できず、喋り続けることしか出来ないインテリの無力さが描かれていて
やるせなかった。子役を演じた大沢一菜(かな)くんは、映画『こちら
あみ子』で女の子を演じていた子役の子でした。『こちらあみ子』も傑作
でした!
さらに「がんもどき前・後編」の主役となった三浦透子と渡辺大知のエピ
ソード。追い詰められた三浦透子の自分でも理解できない「あの行動」は
せつな過ぎます。
泉谷しげるの名曲「春夏秋冬」の渡辺大知の歌にいきなりハモり出した
ところは笑えました。彼女はシンガーなので歌が上手いんですよね。
『季節のない街』はこの歌のイメージだったんですね。
さらに池松壮亮演じるライターも住民たちのことを報告するスパイ活動に
よって金銭をもらっている裏切り行為をしている。「書くこと」の後ろめ
たさが描かれている。はてさてどういう決着になるのか、楽しみである。
◆『光る君へ』脚本:大石静 (NHK)
一方で「書くこと」で自らの哀しみを救い、人のために書くことで
それぞれが救われていくという物語が、NHK大河ドラマ『光る君へ』だ。
代筆業から始まったまひろ(吉田由里子)の「書くこと」は、人のために
歌を代筆することで人の心に寄り添う大切さを学び、散楽師たちの散楽
の戯曲を描くことで、厳しい生活の中から庶民の笑いを求める気持ちを
知った。お家崩壊で憔悴しきっている定子(高畑充希)をなぐさめるため
に、まひろはききょう(ファーストサマーウイカ)に四季折々の言葉を書
くことを勧めた。紫式部が清少納言の「枕草子」を書かせたキッカケに
なっているという本作のオリジナルアイディアだが、誰かのために
「書くこと」こそ意味のあることだという本作の重要なメッセージが
込められている。
恋を失い、何をしていいかわからなかったまひろが石山寺で道綱の母、
寧子(財前直見)と出会い、「私は日記を書くことで、己の哀しみを
救いました」という『蜻蛉日記』の成り立ちを知る。
まひろの友であるさわは、まひろの字を書き写すことで、まひろに
近づこうとした。自分の書くことが誰かの救いになるかもしれない
という経験、言葉を通じた人との連なりが、のちの『源氏物語』に
つながっていく。
藤原道長(柄本佑)とまひろ(吉高由里子)がソウルメイトだったと
いう物語を中心に展開していく本作。同じ月を見続け、同じ民の暮らし
を救う政(まつりごと)を希求しながら、それぞれは違う立場。お互いが
離れていてもお互いを意識し続ける今後の展開も楽しみだ。
◆『Destiny』脚本:吉田紀子 (テレビ朝日)
もっとも輝かしかった青春時代を引きずっている大人たち。
「あの頃が一番幸せだった」と語る石原さとみと亀梨和也。
石原さとみの検察官の父を自殺に追い込んだ弁護士は、亀梨和也の父
だった。親が犯した罪に翻弄されるかつての恋人たちの運命の皮肉。
青春時代から前に進めない人生の哀しさが描かれている。
元恋人たちは検察官と被疑者になり、愛のために検察官人生を捨てる
ほど石原さとみは愚かにはなれない。
エンディングテーマの椎名林檎の歌「人間として」が妙にハマっている。
◆『95』原作:早見和真 脚本:喜安浩平 演出:城定秀夫
(テレビ東京開局60周年連続ドラマ)
1995年、ノストラダムスの大予言で世界が終わると思っていた当時の
渋谷の若者たち。オウムのサリンでテロが起き、女子高生の援助交際があ
り、カツアゲなどチームで暴れるチンピラたち。
「ダセェ大人になりたくない」ともがく若者たち。
高橋海人演じるQの何もできないブザマなダメ男ぶりが痛い。
そんなダメ男からどう成長していくのか?苦い青春が描かれる。
松本穂香を傷つけてしまう後悔や苦さ。
渋谷を仕切る闇社会の大人の暴力も描きつつ、時代に抗おうとする
姿が映画のように描かれていく力作。
暴力描写が深夜枠でなければ成立しなかった企画だろう。
ダメな過去のほろ苦い思い出。かつての苦い青春にこだわるドラマは
『Destiny』とも共通している。
◆『からかい上手の高木さん』原作:山本崇一朗
脚本:金沢知樹、萩森淳、今泉力哉 監督:今泉力哉 (TBS)
女性の方が上の立場にいて賢くて、単純で機転のきかない男の方が
「からかわれる」という構図は、理想的な男女関係なのかもしれない。
男は好きな女性にからかわれて、面白がられて、そのことが逆に嬉しい。
男がリードを取って優越的な立場にいて、父権的な振る舞いをするより
も、女性が主導権を持っているほうがよっぽどうまくいくような気がす
る。母親と男の子という関係がベースにあるからだろうか?
そういう男女の型にはまった考え方そのものが偏見であり、ジェンダー
差別につながると言うべきなのかもしれない。エディプス・コンプレック
スとエレクトラ・コンプレックスというフロイトの概念はもう古いと
いうことか。
いずれにせよこのドラマを見ていると、いつもニコニコしてからかって
くるこんな理想的な女の子は存在しないし、からかわれて悔しがりつつ
嬉しがっている男の子もまた存在しない。現実にはあり得ないファンタ
ジーなのだ。負の感情が出てこない理想的なカップル。こんな気持ちで
いつまでもいられるなら誰もが幸せだろうというドラマである。
この中学生の高木さん演じる月島琉衣の屈託のない笑顔が、映画で大人
になった高木さんが永野芽郁になってもしっくりくるのかはよく分から
ない。そんな屈託のない笑顔を大人になっても維持し続けられるもの
なのか。中学生だからこそ成立するファンタジーだったような気もする
が、映画がどうなっているかは見てみないとわからない。