深い傷の癒やし方
何かに深く傷ついた時
傷を癒すため美味しいご飯を食べに行ったり
気になっていたところに足を運んでみたりする。
もちろんそれも一種の前を向く策だし気は紛れる。
ただ、どうしてこんなに苦しいのかという
感情から目を逸らしている状態ではあるので
かえって、なんだかしんどくなったりもする。
今の私は恐らくその状態だ。
人間関係の諸々で趣味の場を離れ
新しく、似たようなことができる場に通い始めた。
もちろん楽しいという思いもある。
身体を動かすとスッキリして爽快感があるし
その時間は余計なことを考えないで済む。
これまでとは違う新鮮さもある。
ただ、ふと虚無感に襲われる瞬間がある。
無理してその場を好きになり楽しもうとしている気がする。
心から純粋に楽しい、通いたいと思っているのではなく
楽しいと思わなくては、もっとハマらなくては
前の場より今の場を好きだと思わなくては。
そんな風に自分で自分の首を絞めている感覚がある。
もしかしたら私に必要なのは
前に進むためにすぐに動き出すことではなくて
ゆっくり休んで気持ちを整える時間だったのかもしれない。
とはいえ何事も最初のうちは
2つを比べてしまうもので。
それこそ転職した時もそうだった。
時間の経過と共に今の環境を気に入ったけれど
前の会社はこうだったのにとやり辛さを覚えたり
慣れないことが続いて向いていないかもと落ち込んだり
最初の頃は自分の選択に自信を持てなかった。
今までの場が自分に馴染んでいるわけだから
すぐに新しいものを全て受け入れられるはずがないのに。
一つ、自分の気持ちで新しく気づいたことがある。
私が恋しいのはあの場所
あの場で出会った人ではなくて
あの場で作られた思い出であって
思い出に執着しているということ。
そしてこんなに傷つき悲しい思いをしたのだから
あの場でその傷を癒したかったと意固地になっていること。
もう今戻っても、当時のような楽しい時間は過ごせないし
大切にしていた人に会えるわけでもない。
酷い言い方をしてしまえば全部死んでしまった。
私の気持ちを満たしてくれていたものは何もない。
あまりにもキラキラした思い出ばかりだから
そう簡単に手放すことができないし恋しくなるけれど。
時間を巻き戻して
同じ時をもう一度過ごすなんて出来ない。
あの時間は自分にとって
とても大切なものだった。
楽しくて、幸せなものだった。
だからこれからもその記憶を
大切にし続けることは良いけども
それはそれとしてもう一度と求めるわけにはいかない。
もちろん無理して新しい場を好きになる必要も
ハマりきれないまま続ける必要もないけれど
少しの間、気が向いた時に楽しんでいくうちに
また何か開けるものがあるかもしれない。
本当に心から、対抗心のようなものではなく
楽しいと思えたり、もっと行きたいと思える
そんな日が来るかもしれない。
だから暫くは頑張ってみようと思っている。
少しずつでも、傷が塞がるかもしれないから。