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真言宗豊山派/長命寺(高野台) 真言宗智山派/三宝寺(石神井公園) 真言宗智山派/三宝寺(石神井公園) 真言宗智山派/三宝寺(石神井公園) 真言宗智山派/三宝寺(石神井公園) 浄土宗/仲台寺(旭町) 浄土宗/仲台寺(旭町) 浄土宗/仲台寺(旭町) 真言宗智山派/三宝寺(石神井公園) 真言宗豊山派/荘厳寺(氷川台) 真言宗智山派/三宝寺(石神井公園) 真言宗智山派/三宝寺(石神井公園) 真言宗智山派/三宝寺(石神井公園)
4/11~23日まで 石神井公園ふるさと文化館2階ギャラリーにて
『秋雨に 濡れて化かされ 狐様』 (新座市 武野神社) 台風の雨の間を見て、家を出る。保谷駅の北口から初めてバスに乗り、駅から一番遠い場所で降りて散歩した。 人気のない神社に入り込む。 聖なる空間に相応しいような澄んだ空気の中、次のチャンスを狙ってかぽつぽつと雨が垂れていた。 泥濘の先に、白狐の群れを見て、階段を登り近づこうと思うが、 たどり着いたとたん、雨が強くなり、後に戻れなくなりはしないか。 これが化かされたということかもしれない。 最後の力を振り絞り蝉が泣き叫ぶ中
『ともかくも 秋来て町に 旗が咲く』 (日蓮宗大本山 池上本門寺への道すがら) まだ暑かったが、駅を降りると店へと誘う秋の実りを祝うのぼり旗がはためき、町が自然とともに生きることを感じながら日蓮宗大本山 池上本門寺と向かう。 特に目的があったわけではないが、立派な寺院であり、それを囲む生活を巻き込んで豊かさをもたらしているのかもしれないと思った。 東京に生まれながらこの寺院を知らなかったのは驚きであったが、ここに住む人は、当然、この寺のことは知っている人は多いだろうし、結
『展覧会 昔を思い 先急ぐ』 (ちひろ美術館・東京 展覧会『ちひろ・花に映るもの』訪問時) 自分が小さいころ、実家にいわさきちひろの絵が飾れれていた。家族でその絵のことを話したことはなかったが、その飾られた絵の、繊細で脆く消えそうな色は、大きくなってからもずっと覚えていました。 彼女が描写する色が交じり合う水彩や、彼女の言葉『大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。』に接し、美術館の図書室にある世界の絵本を眺め
『夏休み 気がつき生まる 渡る橋』 (国立新美術館開館15周年記念 李禹煥観覧時) 8月の終わりに訪問した。 関係項と名付けられた岩や石畳、その他描かれた絵にはどのような意味があるか分からなかった。 芸術家の言葉として飾られていた文字がある。 正確にはわからないが、『限りなく行くものがあれば、限りなく来るものあり』、『その交差に同義あり』というようなことが書かれており、『関係項』と名付けられた索引と重ね合わせて、ある画家の『絵は作り手と鑑賞者の共同作品である』というニ
『風鈴や 音追いかけて 太子堂』 (三軒茶屋 太子堂八幡神社)
『民主主義 手を上げ挑む 潔癖や 立ち去る君を 抱く人あり』 (世田谷区 豪徳寺) 幸せを呼び寄せる彼らの姿を見て、なぜか人々が集い主張する姿を思い起こし、同時に、小さな家族の一員でありながら、たまに甘えてくるものの、いつも遠慮しがちで静かであり、そして僕らに幸せな時間を与えてくれるクロネコのことを思い出しました。
『からからと 下駄音響く 護国寺の 木陰を超えて 江戸を去る』 護国寺にて。 裏門から、平日、人のまばらの境内に入り、階段を下り、昼休みに木陰に佇む人々と同じように木陰のベンチで休んだ後、街中へと戻る。
『高円寺 寺巡りかな 夏季休暇 宿題残り さてどうしよう』 (休暇時の高円寺界隈散歩中) 西照寺長善寺宿鳳山 高円寺高円寺氷川神社
向日葵や 姿隠して どこにいる (熊谷スポーツ文化公園) 自分の勝手の思い込みでしょうが、僕は向日葵のあるべき笑顔に出会ったことがありません。 もっと完璧なはずなので、どこか違うのです。時期を逸しているのかもしれません。そもそも、今自分が見ている姿が真実なのかもしれません。 盆休み 夏草揺れる 墳墓かな (行田市 さきたま古墳公園) 近くで見ると、ただ、草が風に揺れているのが見えるだけ。 ドローンを使い上から見るとその苦労して建築された古墳の姿が鮮やかに映し出されるので
明かり点く 駅に残れり 虫の音や (神戸(ごうど)駅) わたらせ渓谷鐵道に乗る。 その古い個体が目的地の一つ前、神戸駅に着くと、 停車時間は十分にあるので大丈夫ですと白い髪の混じったキュウリ販売の男性の声が響く。 プラットフォームに出ると、つめたくやわから水分の多いキュウリの一夜漬けが100円で販売している。 みんなで、『ふるさと』を盛り上げようということなのであろうか。 売り上げの金額の話ではないような気がした。 https://watetsu.com/sightse
『籤亡き世勇気どこからああセミよ』 (吉祥寺) 八幡宮の横にひっそりと横たわる安養寺に六地蔵とお米が静かに蒔かれた庚申塔の前を横切り入り込む。猛暑の夏、除暗のため灯籠を持つ鬼が静かに怒りと共に立つ。誰がこの苦労を分かるのかという気持ちもあるのかもしれない。蝉の鳴く八幡宮に入ると、おみくじは終了致しましたとの紙が貼られている。くじのない世の中は、なんと寂しい世の中だろうか。鬼は希望を失い悲嘆に暮れたい気持ちを抑えられるであろうか。 真言宗豊山派 岸光山 安養寺武蔵野八幡宮浄
『城跡や ただ進むなり 夏木立』 (石神井公園)
『武蔵野や 根に甲虫 夢の声』 (平林寺)
『万緑や雨濡れる道最合傘』 (大宮 氷川神社) 東光寺 氷川神社 氷川神社~北大宮駅