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常にこの世は

王様はこう言いました 「みんなが同じものを作ってくれればいい世の中が作れるのだ 同じだけ働き、同じだけ幸せを感じられる そういう世の中であればいいのだ」 だからみんなは働きました 同じものを作れるように一生懸命頑張りました 同じものを作れない者は笑われました 厄介だと疎まれて除け者にされました 除け者にされた人々は自分を責め 曇った瞳にさせるこころを持ちました その者達に気付いた人々は 除け者にするのではなくその者達に治ってもらうようにしました そうやって世の中が続

    • 答えを拗らせてる質問

      • 文章さんへ 一人間より

        文章を書くのが苦手。とにかくにがて。 というか、苦手意識なのか? ”苦手” ”苦手意識” ”にがて” この違いは? そんなことを考えて 調べているうちに なんだか疲れる 「おい言葉よ、自由にさせてくれ」って思う 「君はまるで人間が体験したありのままを汲み取っているような態度だけど、違うのだぞ」 でも言葉に言われそう 『人間さん達が言葉に重みをどんどんつけているんじゃないのかい?』と 「誰だよ言葉を作ったの」って人類の歴史を恨みたくなる これは何て言葉で表したらいい

        • ペンで書くか/打って書くか

          アナログかデジタルかの話。 どちらが良いとかの話をしたいのではない。 文章を書くのが苦手だけど何か表したいと思う1人の人間の感想。 アナログ。 浮かんだことをそのまま書く。 とにかく思いの丈を書く。 鬱屈した時も思いが高まった時も書く。 言葉がするすると出てきて、ペンが走る走る。 どちらかといえば、内面を書く。 自分の気持ちの中から動いた出来事を書く。 書く位置を変えられる自由さ。 シュルシュルと柔軟な空間。 文字でその日の気持ちを何となく知れる。 デジタル。 言葉

          ラジオでAppleがVRを発売すると聴いた。VRが当たり前の世界になって、現実世界に戻るのは有料みたいなことってら起きるのかな。

          ラジオでAppleがVRを発売すると聴いた。VRが当たり前の世界になって、現実世界に戻るのは有料みたいなことってら起きるのかな。

          追悼の思いで坂本龍一さんのTANGOを聴いていた。椎名林檎さんが歌ったら、また違った素敵な曲へ衣替えするなと感じ、ぜひどこかで歌ってもらいたいと思った。

          追悼の思いで坂本龍一さんのTANGOを聴いていた。椎名林檎さんが歌ったら、また違った素敵な曲へ衣替えするなと感じ、ぜひどこかで歌ってもらいたいと思った。

          昭和のコメディアンから気づいたこと。

           最近、なぜか昭和のコメディアンにハマっている。 YouTubeで「クレイジーキャッツ」とか「コント55号」「ドリフ」と検索するようになってる。 お笑いも今年に入って、ライブに行ってより好きになる。 今朝、欽ちゃんの本を読んでいたら、『間』のことが書かれてて、その例に昭和コメディアンが挙げられていた。 そうか、私は『間』が気になってるのかも!と直感が働いた。 言葉になったらまた書こう。。。

          昭和のコメディアンから気づいたこと。

          最先端って

          東京駅。 都会を代表する日本の玄関。 美味しいスイーツを求めにやって来た。 『東京限定』の文字があっちこっちにヒラヒラしている。 バターがまるっと入ってたりとか、 果物がゼリーの中を綺麗に泳いでるものとか、 ハンバーガー形をしたチョコとか、、、 でも、何か違う。 東京に想像を裏切って欲しかったけど、違う。 見た目のマヤカシにかかっている。 日本の表情に、 マヤカシが漂ってる気がした。

          最先端って

          『ミッドナイトスワン』を観て

          久しぶりに鑑賞に没頭した作品だった。 始めは、凪沙のキャラクターにどこか可愛らしさを感じ、微笑ましく感じていた余裕があったのだが、次第に当事者にしか知り得ないであろう苦い場面に心が苦しくなった。 しかし、自分らしさを忘れない凪沙の姿勢には どこか逞しさも感じられ、 人間として、同性として、誇らしく感じた。 一果を預かる日が重なるにつれて、 芽生える母性。 自分のアイデンティティの一部を削ってでも 愛情を注ぐようになる姿と、 そこに現る産みの母によって立ちはだかる辛さは

          『ミッドナイトスワン』を観て

          『風立ちぬ』を観て

          これまで観たジブリ作品は、 ファンタジー的要素に煌びやかさを感じて、 現実とは別の世界に浸ることを楽しんでいた節があった。 今回の作品は、現実的に起こり得る世界観の中に生きることの希望を細やかに感じる、ジブリ作品の中で始めての感覚だった。 二郎はすごい。 少年期からのきらきらしたものを離さず貫いた。 世知辛い世の中の状況や価値観に飲み込まれず、 ただ純粋に飛行機への希望を追い続けていた。 戦争の武器として見られる世の中で、飛ぶことへのワクワク感を忘れない純粋さが良かっ

          『風立ちぬ』を観て

          ガラスにぶつかるトンボ

          久しぶりにトンボを見た。 ガラス窓に頭突きし続けていた。 私から見ると外の出口はすぐなのに トンボはずっとガラスに当たってた。 外に出たがっているのだろう。 私がトンボを叩いて外に追いやれば、 望んでいた外に出られるのだろう。 でも、 トンボは外に誘われた気がするのか? 人間の手がおそろしくて、 遠ざかろうとするだろう。 だから私は見守ることにした。

          ガラスにぶつかるトンボ

          本能的感覚を覚ましたくて始めたこと

          はじめに私は,夜10時になったら電子ツールに一切触れないことを習慣にしている。 理由は,タイトル通り”本能的感覚"を覚ましたかったのだ。 ”本能的感覚":幼少期に巡らせていた自由な発想,センシティブな感覚,とらわれない視点 きっかけどうしてこんなことを思い立ったのか。 きっかけは,頭が重く感じたこと。 朝目が覚めると,昨日職場で起こった嫌な場面や昨夜に観た動画のシーン,引っかかった言葉,今日のやること,何故か耳に残っている音… スマホで連写しているかのように私の五感

          本能的感覚を覚ましたくて始めたこと