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ついつい写真を裏返してしまう話

またまたソースを失念した話で恐縮ですが、模型というのは実物をそっくりそのまま縮小しても本物らしくは見えないものらしいです。そんなわけでプラモデルメーカーは実物に対してデフォルメを入れて模型化することで、本物らしく見えるようにしている。という話を聞いたことがあります。


現実世界のサムネイル

写真がデジタル化して一番大きく変化したのはプリントしなくなり、ディスプレイで見ることが一般的になったという事ではないでしょうか。

今までいろいろ言ってきておいて身も蓋もないのですが、写真も最も重要な機能は「百聞は一見に如かず」何百の言葉を費やして説明するより一枚のイメージを見せてしまえば誰にとっても明快に説明できるという事でしょう。

従来のフィルムで撮り、印画紙にプリントした写真でも最も期待された役割は記録写真や記念写真で、その場の様子とか、実物がどんな姿をしているかとか、誰がどこで何をしているかとかを一瞬で説明できることを期待されて、つまりサムネイル画像のように使われていたのですが、フィルムやそれをプリントした紙などの物質を利用したイメージである以上画像の作成かかる少なくないコストや、時間経過による消耗/劣化といった限界から逃れられないものでした。

デジタル画像としての存在になることで、そういった物質の束縛を受けることがなくなり、イメージとして理想的な存在になったと言えるでしょう。まあ、デジタルの恩智を受けたのは、写真だけでなく動画なども含めてになりますが。

写真はイメージです。実物とは異なることがあります。

これも従来のフィルムの写真の時代から言われるている事ですが、写真が現実を写したものであるがゆえに、それが世界の全てだと無意識のうちに勘違いしてしまう事がままあるというのもあります。

写真に凝っている人はみなやられていると思うのですが、構図の作り方や撮り方の工夫などで見せたいものだけ写していることがよくあります。

例えば次の写真は、最初にカメラが設定したホワイトバランスでは普通の昼間の写真のようになりましたが、自分には夕日がこんなオレンジ色に見えたので、極端にホワイトバランスを変更して自分の中ではこんな風に見えた。という写真にしてしまいました。

夕方のあべのハルカス展望台ではこう見えていたのだ。自分には。
PENTAX *ist D TOKINA AT-X270 28mm SS=1/60  F=8.0 ISO=200

他にも、「引き算の論理」に従って写ってほしくないものを隠してしまう撮り方をすることがあります。次の写真では拝殿前の「七五三詣」ののぼりの裏に人が隠れているのが分かりますでしょうか。すっきりと建物だけ撮りたかったので、出来るだけ人が写らないようにした結果こうなりました。

腕の良い人ならばこんな小細工にも気づかれない程うまく撮れるのでしょうけど、自分はこれが限界でした。
OLYMPUS E-1 ZUIKO DIGITAL 14-54mm F2.8-3.5 25mm SS=1/320F=8.0 ISO=400

伝えたいものには裏がある

自分でこういう撮り方をしているせいか、人の写真を見ていてもこの写真はどうやって撮ったんだろうかとか、フレーミングされた範囲の外側には何があったんだろうとか、変にうがった見方をする癖がついてしまい、一つの方向から写真を撮った場合、出来るだけ反対方向から撮るようにすることが増えました。(回り込めないことも多いですが)

プリントした写真なんかは実際にひっくり返して裏側を見てしまう事がたまにあります。真っ白なのはわかっているのに。

でも、自分撮って自分でプリントした写真なのにすっかり忘れ去っていたプリントした理由なんかを書いたメモ書きみたいなのを発見して自分で驚いてしまう事がたまにあります。

そんなわけで、他の人が撮った写真。例えば写真展などを見に行った時もついつい裏側に何か書いてないかなとひっくり返してしまいたくなる衝動にかられます。我ながら嫌な客だ・・・

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