世界最初の写真家は誰か
以前に写真とは、日本では「真実の記録の一種」という捉え方が強いが、photographと呼ぶ海外ではアートの一種として捉えられている傾向が強い。という事を書いたと思いますが、果たして最初から写真はアートだったのだろうか。つまり写真家は最初からアーティストだったのだろうか。と言うのを考えてみた話です。
発明家だった「写真家」
現存する世界で一番古い写真は1822年にフランスのジョゼフ・ニセフォール・ニエプスが撮影した「用意された食卓」という写真であるらしいです。"らしい"というのはプリントが残っているものの、いわゆる「ネガ」に当たる原版が失われているからです。
ただしニエプスが光で化学変化を起こして像を定着させる「写真」の研究をしていて最終的にその「発明」に成功した。というのは様々な記録から間違いないと思われます。つまりニエプスが世界最初の写真家だとすれば、彼は写真家というよりも発明家とか新技術を開発した技術者として知られていた。という事らしいです。
現代に当てはめてみれば、まだコンピューターが出現し始めたばかりの頃、CG作品を発表する所がアーティストではなく、スーパーコンピューターを使って絵を描く描画アルゴリズムを開発した「○○電算室」みたいなラボの技術デモだったりする様なものかもしれません。
資料集がアートになった?
アーティストとして知られるようになった最初の写真家は誰なのか・・・諸説あるとは思いますが、今日では「アーティスト」として紹介される人物にウジェーヌ・アジェ(1827年 - 1927年フランス)がいます。
彼は今となっては失われてしまった19世紀のパリの街並みを8000点も撮影しています。この数の多さで際立っているという部分はあるものの、アジェが生きていた当時でもパリの観光名所を写真にして観光客相手に売るという写真家は実は珍しくなかったようです。
彼が他の写真家と異なっていたのはお客さんだったのが観光客ではなく、画家だったという点。そして観光名所ではなく、画家が絵を描く際に資料として使用できる標本というかサンプルのような写真を撮っていた。という点でしょう。その意味でアジェは芸術への情熱をもって写真を撮っていたわけではありませんでした。今日のアジェがアーテイストとして評価されている事を本人が知ったらどう思うでしょうか。
一人の人間としてウジェーヌ・アジェという人物をみると昔のアーティストに時折みられる苦労人と呼ぶべき人生を歩んでいた思われます。親からは神父になることを望まれて神学校に通うもそこを飛び出して商船の給仕として世界中を旅する生き方を選びます。しかしそこにも馴染めずパリで俳優になることを目指して演劇学校に入っても結局中退。地方のドサ回り役者として何度か舞台に立ったようですが、公式な記録には残らない程度の役者であったようです。
その後は画家になることを目指したようですが、これもうまくいかなかったようで結局この頃に現れ始めたガラス乾板のカメラで画家の求める資料として写真を撮って生計を立てる道に進みました。結果的に彼は生前アーティストとして評価されることはありませんでした。
評価は後からついてくる。例え死後であっても
アーティストとしてウジェーヌ・アジェがその名を高めるのは死後。シュルレアリスムの巨匠として有名だったマン・レイ(1890年 - 1976年アメリカ)が彼の写真を「アート」として紹介。ベレニス・アボットという写真家により原版の収集が行われ、MoMA(ニューヨーク近代美術館)に収蔵されるようになってからのことです。
様々な生き方を試した挙句、画家を志したにもかかわらず果たせなかった本人からすれば皮肉な歴史でしょう。幸せになるために努力しているのに死んだ後に望んだ結果がついたとしてそこに何の意味があるのか?と。
ただ、三国志の故事「死せる孔明、生ける仲達を走らす」のように死してなお人に影響を与える生き方が出来たのなら、ある意味生きている間に評価が固まってしまう人生より偉大な生き方と言えるのかも知れません。