手作りの味わい
NOTEのクリエイターの皆さんで、家の中で家族への伝言メモなどを描くとき、上手い下手はひとまず置いて、伝言を書いた鉛筆なりサインペンなりでさらっと相手を気遣うイラストを添えたりすることが出来る方はいますでしょうか。自分はそんなことをそん事思いつきもしない不愛想な人間だったので、謹んで最大級の敬意を送りたいと思います。
今回は、そんな上手い下手はひとまず置いて世のため人のために役立とうという気持ちにあふれているものが存在した。そして消えてしまった。というお話です。
隅田駅の記憶
JR西日本の和歌山本線に隅田(すだ)駅と言う小さな無人駅があります。
現在は特にこれといった特徴のない、コンクリート造りの無人駅舎なのですが2年前、2022年ごろまでは初めて見た人が驚くような建物全体がド派手なアートで彩られた唯一無二の駅舎が建っていました。
この隅田駅。建物自体は国鉄時代から引き継がれたもので、和歌山線が電化された際に無人駅となり、最も近い大規模な駅の橋本駅の管理下に入ったようです。
その後、駅舎内への落書きなどを防ぐ目的で橋本駅の駅長さんが駅舎に絵を描くことを発案したようで、依頼を受けた地元の隅田中学校の美術部の中学生の皆さんが駅舎全体を覆うアートを描いたのだそうです。
恋し野の里あじさい園への道
この駅の存在を知ったのは、駅から南に進んだ山の中、「恋し野」という中々に映える地名の場所にある恋し野の里あじさい園へ行くための最寄り駅として降り立って仰天したのが最初でした。
この駅は秘境駅という訳ではないものの、無人駅であることからも分かるように、駅が存在する和歌山線が単線の路線なこともあり、停車する本数も少なく、たどり着くのにそれなりに苦労する場所で、正直言って電車でここへ行くくらいならば、車を使った方が早いんじゃないかという場所です。
隅田駅のある隅田町が和歌山 - 奈良の県境にあって雰囲気的に過疎の田舎町(無礼な表現ご容赦を!)なのですが、それでもこの駅が地元の人々には大切な存在でお金のかかることは出来なくても、地元の人々でできる事を一所懸命やって盛り上げていこうという意思が感じられます。
きちんと調べたわけではないので、実際のところは分かりませんが、経年劣化に対して修復などが行われたような形跡もあり、この駅舎アートがただの中学生のイベント的なものではなく、駅舎と共に地元の財産のような扱いを受けていたのではないでしょうか。
今はもう見られない駅舎アート
そんな唯一無二の隅田駅も建物自体の老朽化で実用に供するには危険が伴うようになるのは防ぎようがなく、2022年に現在のコンクリート造りの普通の駅舎に取って代わられてしまいました。
自分は幸運だ。と思うのは駅舎が立て替えられる前、あじさい祭りが行われるたびに隅田駅を訪れていて、何回かこの駅舎アートを写真に撮っていたことです。撮影していた時はこれがいつの日か見られなくなってしまうなんて夢にも思っていなかったのですが・・・
こういういつも身近にあって無くなるはずがないと思い込んでいたものがいつの間にか無くなってしまうと、それによって直接影響を受けることがなかったとしても思いのほか衝撃を受けるものだと思いました。
ただ、今でも隅田駅の駅舎アートを見る方法は残れさています。驚いたことにGoogleストリートビューで駅舎を見てみると今でも2年前の旧駅舎の画像で表示されるようになっています。単に付近の画像更新が遅れているだけで、新駅舎の画像にさし代わってしまうのは時間の問題なのでしょうが・・・
そして、現地である隅田駅。駅舎アートは無くなってしまいましたが駅の近く、奈良県との県境となる場所に存在する歴史旧跡として「飛び越え石」というものがあるのですが、そこへ向かうための案内板。駅舎アートと同じ隅田中学校美術部の皆さんの手によるです。
芸術的価値でもなく、技術でもなく
以前の投稿にあったアメリカのパブリックアートの存在を知った時にも思ったことですが、こういった種類のアートは美術館などに展示される「作品」と比べると芸術的な価値や技術では一段低いものに見られる印象があるのですが、「駅舎への落書きを防いで風紀を保つ。そして地元の活性化につなげていく」という社会的に意味のあるアートが有名な芸術家ではなく、地元の中学生の手で作られたという点に大いに意義があると思うのです。
アートで世のため人のために役立とうとするとき、条件によっては芸術的な技術も価値も必要なく、ただ人々のために貢献したいという気持ちだけで成立するアートだってあるのだ。と。