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何故か世界が私に優しく感じる???
▽なんとなく、不思議に思ったことの羅列。
何故か世界が私に優しい???大好きなパン屋さん
久しぶりに大好きなパン屋さんに行けた。
パンの価格は上がっていて、1つ300円から400円を超えるものが増えた。
行くたびに3,000円以上を使ってしまう。
高いんだけど、確かに高いんだけど。
パンを持つとずっしりと重い。
値段の分の価値をしっかり感じられるよう。
結構な?金額を使ってしまうからか、たまた
あまりに自分の容量を超えるくらい、愛を大きくしないで
コントロールが効くくらいにしておこう。
一方的な愛が大きくなり、私の手を離れてしまったら、度を越した、図々しさが大きな顔をするんだろうか。恩義せがましいやかましいやつにはなりたくない。距離の測りを壊さないようにしておきたい。
私が吐いた嘘に、ちょこっとだけ混ぜたのは、願望で。
それを信用して、応援してくれたことが嬉しくて。
勇気がなくて、エイプリルフールってものを盾にこっそり忍ばせた本心を、
あり得るだろうなって疑うことなく、すぐに反応してくれる。
大事にとっておくね。
友人が私にくれたお守りだから。
フリーターなのだから肩の力を抜いて、
そう、
フリーターなのだから、もっとフリーに生きてしまえばいい。
気負うのやめよう。
中途半端に正社員時代の私の責任感が顔を出してくるけど、今はいらない。
アルバイトでも、正社員くらいの仕事をしたい!なんて思っていたけど、
中途半端にやられても、困るだけだなと気がついた。
私は、今、アルバイトなのだ。
時給で働いた分だけお給料をいただく、アルバイト。
巫女さんバイトの時に改めて気づいた。
私はア
飾ってある写真の中にいる小さな私
私はどれほど自分の目から見える世界を信じよう思っただろうか?
目の前にあるもの、見た感じだけで判断して、そこにちゃんとあるその人の気持ちに気づくことは出来なかったように思う。
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幼い頃、私より他の兄弟が祖父母に可愛がられてたって言われてた。
それに対してすっごく残念な気持ちになったりはしなくて、ただ、どこかへ連れて行ってもらえる兄弟が羨ましい気持ちはあった。
わたしは黒さを容認する
私は正しく生きてはいけないと気づいてから
随分苦しかったと思います。
正しくなくても、生きていける ということをたくさん読んだ本に宿る想いたちが教えてくれました。
おかげで、苦しさは和らいだように思います。
正しい人たちだけが生きていいってことはないんですよね。
周りを見渡せば素晴らしい人がいる一方で、
そう思えないような方もいます。
みんな、生きています。
だから、
やっちゃいけないことだけはや
仮面を外すにはもう少し勇気が必要だ…
私は自分が傷つかないように、仮面をすることで、それが私だとすることで自分を守ってきた。
長いこと被りつづけた仮面は、気づいたら私になってしまっていた。
そして、自己防衛の反応が異常なくらい、私という核心をズラし続けてきてしまった。
それが今、自分を苦しめているなんて…。
仮面を取らないと次へは行けないみたい。
でも、勇気がない。
ずっと私を守ってきた殻から出ることは出来るんだろうか?
私が私として
もしかしたら、と気づきたいだけ。
私は東京に行っていた頃、こんなことを思ったことがある。
この人で溢れている交差点に、山手線に、もしかしたら、この中に凄い人がいるのかもしれない。
そうワクワクした思いを持っていた。
でも、私は分野ごとに凄い人は知らない。
結局、凄い人がいたとしても気づかないんだ…。
となんだか、残念な気持ちになった。2016年のことだ。
というのも、なぜか私には凄い人を知っていたいという想いがある。何故か。
知
負の遺伝はもういらない
※非常に気分が悪い若干暗い話になります。
私はある人を長いこと、恨んでいた。
社会人になり少し経ってから漸く、恨んでいたと過去形にすることができたと思う。
今だからこそ言えることで、当時はただただ、私の苦しさの元凶だとその人に押し付けていた。
年齢が上がれば、見えてくるものがある。
小学生になってから、私の苦しいが始まるようになった。
きっかけは、兄弟で私だけが祖父母から可愛がられないという
だから、私はフリをする
まず、
今から私がここに書くことは、
誰かを傷つけてしまうこともあると思います。
ごめんなさい。
先に謝ります。
ただ、私は私の経験では、こうだったんじゃないかと思うことを書きます。
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大学生になって、あることに気づいた私は、必要なときは、自信があるフリをするようになった。
自信がないようにみえないように、舐められないような格好も選ぶようになった。
偉そ
目隠しに気づいている
私は気づいたら自分の本心に目隠しをすることがとても得意になっていた。
私がいいと思うことより、あの人がいいように見てもらえる方を私なりに選択してきたから。
だから、私がこうしたい より、 あの人はどう思うかな?と、私のことなのに、判断の基準にあの人を思い浮かべていた。(今、思い出すと、全てをあの人のために選択してきたわけではなかったけれど、私の心底にはあの人の存在は大きかった)
驚く話なのだが