富山の中心で「移動手段」と叫ぶ~旅に生きる20181204~
※皆さまの投げ銭を旅費に旅をして記事を書く企画です。炸裂した思考がまとまらず超絶に長い文章です。音楽でも聴きながらお読みください。
地下街を通り駅の反対、富山駅電停に出る途中、広くなっているスペースに竹がぐわーっとなっていた。
「ぐわー」ってなんだよ、ってこんなだ。
ぐわーでしょ?これ何か催し物とか祭りがあって一時的に置いているか、不法投棄かと思ったの。『荷物を置かないでください』って張り紙がしてあったから。
「ずいぶん豪快な粗大ごみやな」と思っていたらこういう展示物らしい。
作家の方ごめんなさい。しかし私には巨大南京玉簾みたいな『とん祭り』の物体にしか見えなかったんだ。節穴なんだ私の目!節!竹だけにな!
旅に出ると色々落とし物を見つける。誰かの靴底。歩きにくかろう。
素晴らしい!
これが見たかった。これに近い風景というと東京の大塚駅だろうか。高田馬場に住んでいたのと、友人がいたから時々降りていた。
あの山手線の下で小さな都電が乗り換えの人を飲み込んでコトコトと走っていく姿は20代だったくせにやたら懐かしさを覚えた。
路面電車にクロスしたのは東京時代だけだ。
福島県にも路面電車があった→(伊達市ホームページ)https://www.city.fukushima-date.lg.jp/soshiki/87/142.html
が、廃止は昭和42年。漫画『こち亀』で都電の話があって「乗ってみたいなぁ」と憧れ、上京してゴタゴタが落ち着いてからまずやったのが都電乗り潰しだった。
正直に言うとがっかりした。路面電車は車や他の乗り物と道路を共有する。道路に線路が敷設してあることを『併用軌道』と呼ぶが都電の併用軌道は飛鳥山~王子駅前のみ。
あとは専用軌道を走るので『あれは路面電車じゃない』という頑固な古老もいるそうです。
もちろん自分はそんなケチなことは言いませんが、違和感は感じる。
これが富山へ来た理由その①
そして皆さんニュースでもご存知かと思うが、『JR北海道の赤字』これが富山へ来た理由その②
『全線区の赤字総額は551億円、2016年度から25億円赤字増。北海道新幹線(新青森~新函館北斗間)は98億7700万赤字』
これです。
一つ前で書いたが、物流や人の移動は人間が滅びない限り続く。たとえ引きこもりになってもネット通販で注文したり、親が食事を運ぶために階段を昇るかもしれない。
国の『血液の流れ』です。
これを単純に『車社会への移行』で済ませてよいのか?
とにもかくにも乗車をする。3駅だけだが、胸が躍って仕方がない。
新しいセントラムには乗れなかった。デ8000形、女性運転手さんがなめらかに滑らせる車両がわりかし加減速のショックをともないながらもゆっくりと進む。
当たり前だが交差点で止まる。
車でもバスでもない視点。それを誰も珍しいと思っていない当たり前。
観光目的は自分と中国か台湾か、とにかくそちら系のカップル。
あとはスマホを触り、車窓になんか目をくれずに日常を生きる人たち。お邪魔するこちらとしては観察するような感じで申し訳ないけれども3区間だからと勝手に謝罪する。
『丸の内』下車。乗ってきた車両を見送り。
本当はずっと撮影とかをしていたい。1日を富山に使いたい。
移動なんか高速道路や鉄道でいいじゃん!と自分に訴えたくなるが、それじゃ『遊び』でね。東京にお出かけするのと違う。
移動もなにもかもテーマをずっと考えて没頭させて『留まらないこと』に注意することで見えることがあるから『旅に生きる』は普通の旅報告と違う切り口ができると思っている。
ぽん、と街中にある城址公園。かなり整備されて残された遺跡物を楽しむというよりは愛された親しみある公園って感じだろうか?
自分はまったくこういうことに抵抗を感じない。復興天守だって大阪城はいまや近代建築として価値が出てきた。ベストな手法だったかは別として、それなりの、いろんな形の郷土愛なんだよ。破壊したり、埋められてしまうよりはいい(埋没保存っていうのもありますよ)
まずこれに驚いた。レンタルの電動自転車。しかもこれを借りるシステムが
タッチパネルで超近未来感満載!(現代です)
よく考えたら「あると思われるが確認ができない」ことが何百年も経って科学的に実証されることがある。
それを当時の人がなんて呼んでいたか、どう解釈していたかは『その当時』の水準限界なんだ。
たとえば大昔の人にスマホ見せたら
「鬼じゃ!」「あなや!」って怖れるだろう。
で、一瞬、自分がわかってる常識内のテクノロジーで作られたものしか置いてないのにあまりに組み合わせが便利すぎてとまどって
「おゝ!」ってなった。こういうのも見慣れないところに行くから見れる。
海外なんか行くことない。日本全部を知ろうとしたって一生かかっても無理なくらい未知にあふれているのだから。
ほんと、驚いたよ!
犬の散歩もOKな大らかさ。
鳩。わたしは鳥が苦手なんです。目が怖くて。
発掘や修復で出てきた古い石をそのまま展示してます。
盗むバカはいない、と思うでしょう?持ち帰れそうなサイズもあって無防備な富山スタイル。
配置図。
明治期、県議会議事堂があったその壁?かな。これなんかお持ち帰りできる。やっちゃダメだぞ(;´・ω・)
これは知らなかった。今作ったらどれくらいになるのか?
『殉職警防団員の慰霊碑』、昭和15年、いわゆる皇紀2600年に建立された碑で、警棒団とは今でいう消防団のことだ。
富山大空襲もからも免れた奇跡の碑である。
明治天皇の詠んだ『事しあらば 火にも水にもいりなむと
思ふがやがて やまとだましひ』
という歌が横にある。
このあたりから少し画像がブレている。設定が間違っていたらしいので申し訳ない。
こちら『前田正甫』の銅像。とても立派。
富山の薬売りの基礎を築いた名君である。・・・・が、左手がかわいい感じになって
「あのすいません、今月の声優グランプリは売り切れですか?」って感じの一コマに見えます(失礼)
復興天守、ではなく模擬天守。外観復元天守と違うのは元々天守が無かったり、資料が乏しい天守を作ったものを言うのだが、富山城は天守はあった。1858年の地震で崩れてしまいそのまま再建しなかったところに、これを建てたので模擬になったってことだろう。
しかしそれでも古い趣の建築物と現代の高層建築物、今建てている建物のクレーンが並ぶとやはり時代感覚がズレるというのは『物語』の範囲なら楽しいのだ。
本当に自分がタイムスリップしたら泣き叫ぶかもしれないけれど、異世界や転生するのもみんな違った世界が見たいからだ。
この富山城を見て歩きながら実は頭の中はどうやって文章をまとめようか全力フル回転していた。
しかしまとまらない。テーマは決まった。素材もある。
しかし切れない。切ってしまったら伝わらない。しかし切らねば視界からはみだす巨大な、ただの横たわる文字の羅列になり思考が伝わるか難しい。
わかりやすさと切り取りのバランスが今あなたが読んでいる文章です。
佐々成政歌碑。『何事も かはりはてたる 世の中に 知らでや雪の白くふるらん』
彼の武将としての功績は「さらさら越え」だと思われる。
厳冬期の日本アルプスを越えたのだよ?しかも近代登山でも困難なことを、貧相な装備(時代的にそうだと思われる)で超えたわけだ。
人の移動でも困難を選ぶ人もいる。それが趣味や何か発見や冒険のためならまだしも、生き残るために自ら選択する人は本当に『強い魂』の持ち主なだろう、といつも思わされるエピソードだ。
馬が見れるらしい。もちろん朝でいない。しかし生活しているわけではなくても馬の匂いってわかる。好きだよ。
君たちは嫌いなんだよ、追い払ったりはしないけど、とりあえず遠くに行っておくれよ( ;∀;)
千歳御門。唯一現存する千歳御殿の建築物。
日本庭園エリア。小さいがとても美しい。
小さいと言ったって四季の移ろいを感じ、川と野山を再現するなんてとんでもない贅沢だ。
お金持ちやホテル、料亭なら現代でもあるし作れる。
しかしどんな権力者だって現代の機械やクレーンなどをタイムスリップさせることはできない。つまり今の権力者よりも昔の権力者はそれだけ
『力を自分のために使わせること』もできたし、
『資材や巨木巨石を全国から集め運ばせる』ことができたってことだ。
また物の動きの話が出てきた。
結局インフラということになる。人が生きる。そこにインフラができる。
原始的な生活でも物々交換は発生する。そうすればどこが何を欲しいのか調べる。どうやってその地にたどり着くか、その地へどうやって運搬するのかを考える。
牛馬、車輪、そして石畳・・・・。
しかし近代化がなされるまで世界中どこでも最大に物資を運べる手段は『船』だった。蒸気機関が発明され交通や物流への流用で一番早く成功したのも蒸気船だ。
ところが日本では船の発展が止まった。大航海時代は来なかった。あくまで島国であった。
それでも船が遠く、速く運ぶ手段なのは変わらない。
日本では道を舗装しなかった。どんなに道幅を広げても舗装はしない。
技術はある。京都をはじめとした寺院は貴族や天皇の参詣のため石畳だし、熊野古道にも石畳が整備されていた区間もある。
やらなかったのだ。
そうなればより船への重要度は増す。しかし遠洋に出れる強度が無い和船は
海岸線を舐めるように、細かく港に立ち寄りながら航海することを余儀なくされる。
で、教科書で習う『樽廻船』や『菱垣廻船』などが活躍するわけだ。
航海技術と造船技術の高まりで最短6日で紀州と江戸を繋いだらしい。
しかしあくまで太平洋側は『関西と江戸の直行便』という色合いが強い。
では今回訪れた富山はじめ日本海側を航海していた北前船はどうなのか?
これはまず航海距離。蝦夷から大阪まで。そして立ち寄る港の数の多さ。
しかも風待ちではなく、積み荷のやり取りで立ち寄る。
『交流』という意味合いではむしろ日本海側は濃いと個人的には断定する。
よく考えてみる。
自分は関西にとんと縁がないので正確にはわからないのだが、イメージや数値から推し量ればとにかく京都ってのは周りからもらっていないと生きていけない『典型的都市』なわけ。
もちろん京野菜とかあるっちゃあるけれども、
丹波豆って『丹波国』のものだ。
鯖寿司の鯖は福井、『若狭国』のものだ。
ぐじも鱧もそうだし。
食べ物ばかりじゃない、実ははっきりわかるデータがある。
小さい画像で申し訳ない。
これは京都周辺、『祈念構造物のための木材伐採圏』という図だ。
京都に祈念目的(まさしく寺社とかそういうの)の建物を建てる建材をどこから持ってきているか?というもので西暦800年にすでに関西周辺は森林が枯渇しているのだ。
大きい建材がない、ということはまさしく柴刈り、日常の煮炊き用の薪やちょっとした木材しかなかったということだ。
そして1700年にはほぼ日本全土からかき集めている。蝦夷からも調達しているのがわかる。
なんで都なのに疫病?餓死?みたいな事を思わなかっただろうか?
人口が増えたのに森林がない。もちろん農地も人口を支えるには足りないはず。
なぜ?そりゃ今は糖質制限とか言いますけど昔は米を食わなければ死ぬ。
何をするにも人力なのだから食べないことは即=死を意味する。
エコな社会ではなかったんだよね。物資を関東へ求め。足りなくなれば奥州へ。もっと足りなくなれば蝦夷へ。
江戸の町民がリサイクル社会なだけでそれ以前はやはり日本は『使い捨て』だった。植林をすれば関西だけで木材が賄えていたかもしれないのだから。
完璧に隔離されたわけではない、近代的な建物やレンタルサイクルに囲まれたこの城跡だからこそ考えるべき、『インフラの歴史』
そしてただ運ぶだけではなく『立ち寄りながらやり取りをする』物流と交流が重なり合った『移動する文化』をいま考えるべきだ。
鯉がくっそデカい(;´Д`)
びっくりした。しかしこの時点で汗ばむほどに気温が高い。
朝なのに17℃、12月、まさか北陸で自分の国より暖かいことになろうとは。
さて唐突にJR北海道赤字の話を出す。
そして路面電車を絡める。
移動する文化に。
北海道で鉄路ってとても大切なんだ。冬の道路って怖いでしょ?
自分は『完全自動運転は一部の運送とタクシーと長距離移動しか普及しない』と思っている。
なぜ?
あなたは「たばこを買いに行こう」って車に乗って
「セブンイレ〇ン田村市店の駐車場」って言うんですか?
また軽トラで畑行くときに畑の地番言うんですか?自動運転の車は認識するんですか、畑を。
また路面状況が変化(豪雪、海沿いなら波を被る、凍結時のスリップ事故など)した場合、万が一の脱出に対応できるのは人間だけです。
だから本当は『地方ほど鉄路』が整備されていなければならないと思うわけです。
『レールの上を走る』って「楽勝モード」な例えに使われますが、まさしくその通りで、除雪と凍結防止の範囲が道路のように広範囲じゃなくて済むんです。
自分が子供の時に59豪雪ってのがありまして。
あの時は1週間電気と水道が止まったらしいんです(なにせ子供なので記憶がない)
それでもお外に出たら2mに迫る積雪があった記憶がうっすらあります。
寒いし、古く小さい掘立の賃貸住宅で震えて幼稚園も休みでした。
除雪なんて来なかった。今と違っていたのもある。
けど逆に言えば公共の交通機関が動けばいい。駅まで歩けばいいからだ。
安定した移動に鉄道はものすごく強い。アメリカだってあれだけ車社会でありながらも鉄道はいまだに健在だ。
長距離は長大な貨物でトラックの何倍もの物量を一気に動かす。
都市部は路面電車がニューヨークやロサンゼルスなどにいくつも走っている。また急斜面を昇るためだけの『エンジェルスフライト』という世界一短いケーブルカーもあるくらいだし。
しかしここで問題がある。駅に出るまでに時間がかかる場合がほとんどだ。
だから車で駅まで接近し、大きく移動、その地域の中心となる都市部内を路面電車って言うよく立ち上がりながら消える『ライトレール構想』などは理想なのだが・・・・そうは問屋が卸さない!
まあ土地とかどうするんだ、と。それと運賃収入どうするんだ、と。
無駄な箱もの作って浮かれてた時にしっかり考えていればよかっただけなんだが、まあそんなことはなく地方に1億バラまいて延べ棒にしてみたりしてたよね、あの頃の大人、というかおじいちゃん達(´_ゝ`)
で、一番今の体、あとは通院や仕事との兼ね合いでたどり着ける路面電車のある都市が『富山市』だったわけです。
本当は黒部ダム行きたい!観光なら行けるね。
しかしこれは観光ではないのだ。
旅に生きるは逗留や物見遊山とは違う(そういうお出かけは『東京』の時みたいにずーっとつぶやきをあげる)のです。
旅の終わり、帰ってきたらまとめあげてUPしてそこから
『悩みと好奇心のスタート』であり永遠に旅をしなければいけないものなのです。
長崎電鉄ほどではなくても距離関係なく200円(ICカード使うと180円になるんですね、お得。ただし全国区の交通ICカードが使用不可)
という低料金でやっていけるには秘訣やサイドビジネスとか色々あるだろうけど、まず一番は利用者に愛されていなければならない。
そして通勤時間帯にわざわざ市内へ突入して見えたのは
やはり『歩行者が多い』だった。
歩いている人がいるってことはコンパクトな街ってことです。
それは規模のことではありません。
東京はデカいけど例えば1駅範囲でだいたい用事済むでしょ?散髪、銭湯、スーパー、飲み屋。
こういうことです。徒歩圏内に生活がまとまる『コンパクトさ』は面積ではなく区画の問題でしょうか?
都市建設の専門家ではないんでまったく何もわかりませんがなんとなく伝わってほしい。
それと『徒歩で済む場所までの移動手段がある』ってことです。
これはとても大切だ。
つまりJRやその他鉄道や路面電車でアプローチできるってことですから。
まさか富山市では賃貸やマンションの人が移動はひたすら歩きまくるってわけでもないでしょうし。
で・も・!
富山市内中心部まで接近しなければならない範囲の人で公共交通機関が『バス』の人だと、
自家用車通勤になると思うんです。
というか地方で自動車通勤の人って「本数さえあればバスで通えるのに」って人いると思う。
しかしとにかく徒歩では買い物もままならないから車が必須、でトロトロ走るバスより自分の運転のほうが早く到着できる・・・って判断しますわ。
通勤手当が一律とかならガソリン代のほうがいいかもしれん。
全額や%で出るなら定期だろうけど。
これが『地方の車社会』の根本原因なのは誰もがわかっている。
で、富山はどうだ!っていうと
道路は激しいラッシュだった。地方の都市としてもかなり激しい部類に入ると思う。
幹線道路はそんなに激しいわけではない。
市内へ入ると急激に流れなくなる。福島から330Km、MTジムニーのクラッチを切り続けてきた左足には少々厳しい。
そうなのだ。
『車で接近する人』に必要なもの、それは
『駐車場』だ。
当たり前の話だ。
だがそんなに大量の車を飲み込む場所を作るのも大変だし、またガソリン代に+駐車場代も毎日払っていたらそれこそ通勤のために働くようになってしまう。
せっかく市内と市内に車以外でアプローチできる人が徒歩を謳歌しているのに、車の人はそれを享受することはできない。
車ゼロはありえない。もちろんそれはわかってる。
車でアプローチした人も『最後は都市交通』を使うことができればいい。
そうすれば何も廃止したところを完全復興することもなく、赤字路線を延命することもなく必要なところだけを担う交通機関は成立すると思う。
そして路面電車の重要なところは砂利のような管理もいらず(一部をのぞき地方の鉄道レールの枕木下は砂利のはず。安いのと手直しは頻繁にやらねばならないが簡単だということ)
車と共存が可能だということ。
ここらで突然話を変えてみよう。
日本って『島国』じゃない?
でさ、どういうことかっていうと『島国』なのよ(笑)
例えば「天皇制はいらない!」ってイデオロギーの人がいる。
それは自由だ。
しかしね、もし天皇制を廃止するなら国の形が完全完璧草木しか残らないくらいに変わる必要がある。
なぜ過去の為政者達は『天皇』という最終的には形骸化してしまうのに『権威』だけの地位とその一族を消し去らなかったか。
一番わかりやすい答えは『明治維新』だと思う。
もちろん頼朝も家康も、それどころか信長もわかってて天皇制を維持した。
これはわたしのイデオロギーではないよ、
島国だから他国からの脅威や干渉で国が変わる可能性はあるが、それが収束し再度まとまり平穏になるには日本だけで完結しなきゃいけない。
たとえば信長が『唐攻め』をしようとしてたのは天皇を移してしまう、もしくは新天地に武将や民を移せばそれだけ富は増えるし海を隔てるので『1国2制度』にできる、と思っていた節を感じる。まあさんざん歴史家も言ってる。
逆に滅ぼして『日本の王』となれば
「逆賊」と必ず反対する人間達が対抗する旗印とする。
錦の御旗でなくても天皇が座しておる方向へ兵を向ければそれだけで『朝敵』にできる。
日本には『御霊信仰』がある。
どういう人が祀られ信仰されるかは知ってるね?
『位が高い、能力があった人間が理不尽で悲惨な死に方をした場合、祟りを起こす』って法則なわけだ。
崇徳上皇、菅原道真、平将門····
みな政治の争いや深い悔いや恨みを遺して亡くなったと思われる。
そして彼らが亡くなった後に起こる自然災害や疫病を『祟り』としたわけだ。
それが当時の科学的な考えだってことだよね。
清涼殿に落雷したのが死者が原因なんてまあちょいと考えても無理がある。
だが荒れ狂う自然災害に『畏怖』を抱きただお祀りすることで生きてきた島国日本人は逃げる場所がない。
自分達に平穏が訪れるには蹴り落としていった人間の御霊を鎮めるしかない!
仏教に怨霊鎮魂の役割が任されるのはだいぶ後でそれは
『神道の効き目うすい、新しい科学的な封じ込めはないか?』という事になったわけだ。
怪談話で般若心経を唱えて悪霊が苦しむのは
本来のお経の役割から逸脱したおかしな話なのだ。
なんで突然こんな話になったか?
そういう島国の歴史ってのは大陸や半島とは違うのだ(ここで言う半島とはヨーロッパも含む。地図見てみ?ユーラシア大陸のどん詰まり。あとアラビアは半島であり交流点でありチョークポイントだ)
基本、大陸は更地の繰り返し。
恨みもクソも全部ぶち殺してしまえばええので
街を破壊し新たに築き上げる。
なので海外だと『市街·旧市街』の区別は侵略、占領、国の崩壊で隔離された別物だったりすることがままある。
しかし島国は前の政権のモノをぶち壊していては大変だ。なにせ物資をあちこちからかき集めるにも海が邪魔をする。
だから『層にしていく』
歴史と都市が折り重なった国は
イギリスと日本だけだ。共通点はもちろん『島国』
どちらも自分達で収束させなければいけないと分かっているから。海を渡った侵略者はそうそう来ないし苦労する。
狭い島国で大陸的に制圧すれば恨みを買う。
恨みからの反撃を潰すために殺して殺して殺しつくしたら今度は人がいなくなってしまう。陸続きじゃないから人はやってこないのだ。
で、そんな島国だから交流物流もへばりつき、適度なお世話様感と距離感で溶け込むしかない。
さらに味気ない移動や運搬ではなく
動くことで心震わせる、そういう古臭いものを
現代のテクノロジーで維持してあげるならば
まだワンチャンありそうだ。
交通弱者には手助けが必要だ。
渋滞やあまりに広がりすぎる栄えたベッドタウンは損失も大きい。
車商売にしてるから本来は鉄路は敵視したほうがいいのかもしれない。
でも常に鉄路と車は共に生きてきた。
厳しい島国の地形にへばりつきより重く、大きくなモノを素早く力強く運ぶための鉄路、
列車からリレーして個別に運びいれるトラック。
それがなくなったからトラックの『1回の航海(と呼ぶんだよね)で何か所もの荷物を降ろしたりする』って言う船や鉄道貨物がやっていたことをやっているわけです。
それもトラック野郎が爆走していたころならいざ知れず、
厳しくなり、リアルタイムでスピードと位置を管理され、
デフレでケチになった荷主の無理な値下げ&中抜きだけする『運送をしない運送会社』などのために安い運賃で長時間睡眠を削り邪魔者扱いで走る。
一方鉄道は大正義東京を抑えるJR東日本やドル箱を持っているJR東海、不動産でドーピングしているJR九州以外は呼吸が止まっている。
そしてJR北海道の赤字だが、国が『支援しない』と断言した。
だがね、たしかにクソ生意気な態度の駅員や極左に乗っ取られ迷惑の極み遵法闘争したりしてた国鉄。
それを半民半官で長距離移動と貨物を引き継いでいたら変わっていたのではないか?
今第三セクターになっているところももっとたくさん有効に活用できたのではないか?
そしてバリアフリーの点でもバスなどより自由度が高いと思われる。
駅でも車いす用階段昇降機や、スロープ対応など人力を裂く部分があったとしても、一度に輸送できる人数と距離、疲労度が違う。
逆に車は現在各種福祉タクシーや施設が使っているような個別の送迎、移動で最終的な移動を補完する。
これは夢だよ?
もうまったく真逆の方向へ日本のインフラは舵を切った。
景気が壊滅的に悪い時、物流は嘘をつかないデータになる。
中国のように『公式のデータそのものが改ざん』されている国なんかでは
『その地域からどれだけ貨物扱いの車両や列車が出たか』を見るんだ。
共産党には地方の役人から本当のデータは上がらない。国も本当のデータを把握しているのはごく一部の人間だけだ。
国内がそんな感じだから中国を注視する各国の学者や研究者はインフラの利用を調べる。
日本はトラック輸送に頼り切りじゃないだろうか?(ちなみに割合でいうとトラックが60%ほどだが次点は船!38%ほどを海運が担っている。もちろんフェリーもあるからトラックもお世話になるわけだね)
高速道路と新幹線はある程度までで良かった。
航空なんか実はスピードでは最強だけれども弱点がある。
『重量』だ。重量だけは絶対にオーバーできない。
離陸ができなくなるし、航続距離に関わる。
なのであれやこれや言われて発展しているように見えるが日本は航空便は0.2%ほど。旅客扱いでも5%くらいなのだ。
そしてあまりに2地点の直行だけを考えたインフラ整備は『交流』を失う。
人口流出はもちろん、観光も減る。
あげくコストカットのために海外の木材や野菜を輸入するため地方は疲弊する。
乗り換えという文化がなくなるから通過地点と化した都市はシャッターが降りていく。
そういう意味では日本海側はまだ各都市部に若干『新しい日本に負けなかったちょっと前の日本』が残っている。(新潟は都市規模がデカすぎて車社会が逆にフィットしているが福井にも路面電車があるし、東北人からすれば交通網はかなり羨ましい)
かつて日本が一度だけ大陸的な『更地』をやれたことがある。
『関東大震災』からの復興。
これ解体するのかな?
時の内務大臣、後藤新平は大きく幅の広い道路を放射線と環状線で伸ばすことを決めた。
だが震災に耐えた地区は手を付けていなかった。
なので完璧な更地スタートではないが、まっさらな都市をつくることをした。
その時に医師である後藤新平が施したことは『道路という都市インフラ整備』なのだ。
ちなみにこの後藤新平はとても面白い。
鉄道院総裁の時は鉄道国有化を断行している。まさに今の鉄道網のお父さん。
満鉄でも総裁を務めインフラ整備を進めている。
さらに台湾総統時代はインフラ整備はもちろん阿片を『免許制にしてゆるやかに減らしていく』ことなど。
東京市長時代、水道に塩素を入れ幼児死亡率を減らした。今の水道インフラのお父さんでもある。
だが、本人は今でいう『左翼』な人で彼が支援した人間の多くがのちの『左翼の大物』になっている。運動や団体の指導者もいるが、マスコミなどに入り込んだ『世論操作系左翼』の育ての親ともいえる。
なので彼の功績は間違いなく『素晴らしい』のだがことのほか持ち上げまくる人はちょっとあっちな人が多い戦後の事情・・・てのもあるらしい。
おっと話が逸れてしまった。
でもそういう天変地異でも起きない限りは日本は前の為政者が作った建物を取り壊したりはしないし、自分が死に追いやった政敵を手厚く葬り、一族の墓を暴くような真似はしない。
やはり『層として積み重ねる』歴史。
そしてそんな狭い島なのに山がちで、ぬかるみ開けた土地は雨が降れば土砂が押し寄せる。
全裸!芸術なら全裸OK。
8号線で超えてしまうため撮影はできなかったが、富山県には暴れ川の『常願寺川』がある。
流域の73%が標高1000m以上で、それを一気に海へ下り落ちてくる河川だ。
これが氾濫しないわけがない。
だが暴れ川がないと日本の平野は豊かにならぬ。
関東平野は利根川と徳川家が戦い勝利した。
新潟平野は昭和になるまで深田が当たり前で、船で田を移動し、胸まで浸かって田植えをしていた。
富山平野を形成する七大河川も橋をかけられなかったり、それを乗り越えて治水に成功した。
米が作れる平野と人口を抱える平野は危険な場所、それが日本だ。
もちろん山は火山で大地は揺れる。
山も海も津波が起きる。豊かだとは言うが現代のインフラと保健衛生がなければ相当に罰ゲームな国土だ。
そして今、日本は岐路を見誤り、そのリカバリーができるかもしれないチャンスをみすみす投げ捨ててついにデッドエンドにたどりついた。
行き過ぎて偏った利便性と合理化のツケ。
インフラの老朽化に対応できない。海外のゴーストタウンや橋の落下、建築物の崩壊が対岸の火事で笑っていられなくなってきた。トンネル崩で生き残るには青のインプレッサだ。
(画像が尽きております)
日本は間違えた。
壊すべき物を残し、壊してはいけない物を消した。
そういった物の代表がインフラの劣化や廃止、不便化だと思う。
しかし「なくなるのは寂しい」と言うやつほど普段使わない。
環境とか、そういうのではっ!と気が付く人もタイミング的には遅い。
もっと「車乗らない日作ればいいのに~」って誰でも一回は考えたことがある単純明快さが必要だったのかもしれない。
でもお手軽なほうへ舵を切った。
高いモノは海外から安く。輸送費も値下げ値下げ&新規参入規制緩和で中抜きするだけの運送会社乱発で運賃ダンピング。
あなたが受け取っていたその段ボールがどういうコストで運ばれているか、
そしてその利便性でどれだけ『コミュニティとコミュニケーション』を失ったか。
昔、駅に荷物引き受け所あったじゃないですか?『チッキ』ってやつ。
乗客の小荷物とは別に宅配便の受け取りもあって親戚からおすそ分けとかそういう取り扱いで駅に受け取りに行った記憶がうっすらあるんです。
昭和59年くらいまでやってたと思うんですよ船引駅。
もちろんトラックで宅配をしてくれましたけど別料金なので、取に行くんじゃなかったかな。
で、引き換えの券が必要でそれが緑色の転写紙だったのをなぜか鮮やかに覚えているんです。
駅まで徒歩。その間に抜ける商店街。その間にあるお店で全部生活できてた。
今、その間を車で走るってもやっているお店はひとつもない。全部が閉まっている。跡形もなくなっているところもある。
町おこしの実験というか大学生の授業に駅前の商店街が使われたことがある。
その時の大学生が
「シャッター通りなので、幼稚園生や小学生にシャッターアートを描いてもらうといいと思います!」って発言してさ。
「ヘイ、町おこしだ。シャッター開けさせるんだ。閉めてるシャッター見せてどうすんだ?」
って心の中で叫んだよ。
そういうやつが今頃どっかの地方自治体で地域課とか
どっか企業で都市計画とか
町おこしという『住んでる人間からすれば生死問題』にヘラヘラ手突っ込んで掻きまわしてんじゃねーかと心配になる。
便利はいいけど、絶対にたくさん失ってこうなった。
当たり前に渡っている橋や道路、鉄道のことなんかみんな気にも留めないし、止める余裕もないほど疲弊している。
インフラが崩壊する社会はどんなに金持ちがいようが、ネオンが輝こうが、それは光りに照らされてできる『影』が増えるだけのこと。
灯りの強さを強くしても影は消えない。街灯を増やせばいいけどそれは面倒なのでやらない。
照らされない闇はただひたすらに沈む。
そういうモノをまあ、小説とか映画とか何かドキュメンタリーとかニュースとか偉い人の公演とかで知るのもいいけど、
足元や街並みを見れば答えは返ってくる。毎日実は答え合わせをさせられてるんだよ。
インフラは人間がいないと産まれないけれど人間が維持し続けないと必ず『裏切る』
それは地震津波なんかよりも確実だ。
そんな時に共存、復活、利用の再検討、有効活用して
移動と交流でクロスするポイントを作ってやらないと国とかそういう前に
地域が無くなる。
『地球市民が~』とか『宇宙に行きたい~』とかじゃないよ。
夢見る前に街を見ろ。
夢見る前にインフラを見ろ。
インフラは主義主張思想宗教身分を択ばない。平等だ。(黒人差別やカーストで交通機関の差別をする場合だってそれは人の心がするものだ)
だから何かトラブルが起きればみんな『平等に困る』んです。
私だけ助かろうってわけにはいかない。
ミネラルウォーターを買い込んでも水がいつか復旧してくれなければ避難生活そのものが収束しない。
コンクリ―トは嘘つかない。
人が嘘をつく。
そういうことを富山城でがーって考えた。
富山は理想にかなり近い街だ。
今度は遊びで訪れたい。
グッバイ(゚д゚)トヤマ