旅に生きる20190226~愛が固めるインフラ整備『境の明神』~
※皆さまからの投げ銭を旅費に旅をする記事です。有料ですが全部読めます。
今回はテーマが『愛』だ。我ながら小難しいテーマにしてしまった。
さらに今回は間違いなく撮影しても「これか!」となるモノは少ないことが出発前からわかっている。
そのため特に説明のいる画像以外はほぼ貼るだけとなる。
またいつも以上に借り物画像が多くなるのでご了承いただきたい。
旅の拠点をどこに置くのかでも迷ってしまった。(旅費的に)
検討の結果、やはり捻らない方法が良いと判断したのでまず国道294号線をほぼそのままなぞる。
福島県から茨城へ行くには118号と294号がいい。また高速でアクセスの悪い県南の地域も実は高速とほぼ変わらない時間でアクセスできたりするので貧乏旅の人は覚えていて損はないルート。
白河からすぐやってくる県境。ここにまず立ち寄ろう。
ちなみに294には一里塚も残っていたり、街道の遺構がたくさんある。あちこちに散らばっているので面倒くさいが時間がある人はぜひドライブしていただきたい。
ここは『県境マニア』にはあまりにメジャーすぎる物件『境の明神』。
福島県側と栃木県側で神社が並んでいて、松尾芭蕉も超えているところです。
とりあえず栃木県側からいってみましょう。
場所と規模のわりに造りが立派なのはやはり国境守護への強い願いでしょう。こちらは『玉津島神社』となっております。
ちゃんと説明文もあります。
見えますか?『奥羽側の住吉神社と並立している』の部分。
この文章にはけっこう謎が含まれているんですがそれをどう説明したらよいのやら。
ざっと上げておくと
『なぜ二柱なのか(同じ神様じゃダメなん?)』
『男女神で内(栃木)と外(福島)を固めるってことが実は根拠ない&昭和の紀行文だと内外入れ替わってたりしてなんかあいまい』でしょうか。
特に男女神の説明に関しては福島県と栃木県の説明が逆なんです。なんででしょー('Д')
ただこれを解けるほど頭も良くないし、知識もありません。
なのでまずここでテーマを炸裂させてこじつけることにします。
狛犬が対だと見た目もそうですけど落ち着きません?
片方だけだと頼りない。
きっと左右や対に守りがあるってことに日本人は非常に精神的安定を求めるんじゃないかと。
ただその時にただの『左右対称』だとデザイン的な話で終わってしまいます。もっとしっかりがっちり強い繋がりで守ってほしい・・・・
となれば『男女』でしょうが!と。
出っ張ってる男子と引っ込んでる女子が繋がればがっちり、さらに子宝で子孫繁栄・・・みたいな発想からそういう設定を好むし、そういう設定の延長線上で対になる物事や事象を受け止めるんじゃないかと。
とりあえずお参りしてから撮影。
小さくても造りがしっかり。こういうところで『関わった人の重要度』がわかる。どのように思っていたのか、どのような人が信仰したのか。
旅行く人、商売で毎日峠を越えていた人がその日の安全を祈りその日の安全を感謝したのは間違いのないことです。
福島県側へ歩いて行きます。軽く勾配があるので交通量は少ないけれど、車からすれば歩行者は不意打ちぽくなる場所ですので訪れるさいは気を付けてくださいね。
石垣がちょっと上に見えます。なんで?
今は切通しで超えていますが昔はこの石垣がある高さに道路が通っていたんです。クネクネではなく一気に超える峠だったのでしょうかね?
さっき車で脱出した福島県へ徒歩で戻るのはだいたい車が堤真一(どういう事だ)になった場合くらいしかないと思います。
ほらね。昔の国境の石碑が高い高い。近づけませんからね。
反対側は行けないこともない場所にありますけど。ちなみに奥州三関のうち『白河の関』はここよりも東にあります。
ただその場所では曽良が詠んでいるんですよ
「卯の花をかざしに関の晴着かな」
福島県側。こっちのほうが立派です。石垣や石灯籠までひたすら豪華。
ちょっと規模に差がありすぎてびっくりしますね。
狛犬さんは現代の道路のおかげでギリギリな感じの場所に座っています。通り過ぎる車を睨み付けている感じでこれはこれで良し。
ね?わかりますかね。最初と最後にさっきの『福島県と栃木県で神社が逆』なのが書いてあります。
最初『ピースポール』の変種かと思った。「ピースポールって何?」よく神社やお寺、果ては海外にもあるこれだ
(画像はTwitter内ピースポール建立場所紹介botさんの画像検索で出るアイコン)
見た事ありますよね?
なんだコレ?宗教・宗派問わずあちこちにありますがこれを建てている団体がそもそも『白光真宏会』という宗教団体です。
どんな団体かはわかりませんが寺社巡りをしている人なら嫌というほど目撃します。別になんか縄張りを主張するとかそういうんじゃなくとにかくたくさん建てているだけなんですが、まあ世界遺産に登録された神社仏閣だと時々「目ざわり」みたいに言う人もいます。たしかに入口や鳥居の横にいるんで気に障る人は障るんでしょう。
わたしは賛否言いにくいですが、移動や撤去する判断を素直に受け入れてくれるならいいんじゃないかって感じです。
たくさん書いてあるよ(適当)
こちらは『和算』の奉納されたやつをカラーにしてくれたやつ。
神輿がありました。ここから出るんでしょうか?
別に福島アゲをするわけではないんですが、雰囲気はこっちのほうが数倍いい。苔むした立派な灯篭が『源平討魔伝』のようでぁゃιぃ。
「神様は死んだ
悪魔は去った
太古より巣食いし
狂える地虫の嬌声も
今は、はるか
郷愁の彼方へ消え去り
盛衰の於母影を
ただ君の切々たる胸中に
残すのみ
神も悪魔も降り立たぬ荒野に我々はいる
故深谷正一氏に捧ぐ」
エンディングは壮大な曲に泣けるポエム。いいゲームやった・・・・(´;ω;`)
『元治元甲子年』あんまり普通の人は馴染みない言葉ですが
これは1864年の元治元年が『甲子の年』だったからです。干支(干支って六十干支で一回りなんですよ。十二干支はこれの一つのくくりというか単位)の1番目なのですが「革命がおきやすい」と言われるのでよく改元されます。
『越後新発田~城主』で読めませんがこれは新発田藩溝口家の寄進。新発田城って書いたあったんでしょうかね?
越後街道(国道49号線。以前の西会津の記事)から白河街道を経てこの陸羽街道を参勤交代に使っていたから寄進したのでしょうかね?
溝口家が白河にどんな縁があるのかとかはちょっと調べでは出ませんでした。
あるようでない『常夜灯』もちろん今は灯る火はありませんが、ここ人が常駐していた、そして夜間も人が来たってことかと。
それは特別な祭礼や年末年始ばかりではなく、日がな一日通り抜けていたのではないかと。
夜道は昔は今と違い完全な闇です。それでも月がある夜は提灯を持って急ぎ旅の人が宿場を通り越す強行旅程をしたり、早立ちで世も開けぬうちに峠を越す人がここを訪れ、手を合わせて無事を願ったのではないかと。
ここからは句碑とかそういうのを。
なぜひとくくりなのかというと金峰山神社くらいしか読み取れず、あとは達筆&掠れて読めませんでしたとさ(;´д`)トホホ…
この中に芭蕉の句「風流のはじめや奥の田植え歌」 があるらしいです。わからんち・・・・
突 然 の B B Q 感
懐かしい!昔はありましたよね、こういう陶器の土管のゴミ箱や灰皿。
ここにおったんけ!ワレ!よく考えたら引っこ抜いてゴミばっさばさ回収してまた戻してたんでしょうか?昭和はわからん。
ちなみに神社の反対側には何やら荒れた家が・・・・
何?いきなり(;´Д`)す、相撲ですか
これは『白河二所ノ関址碑』。書いてある内容は元々旗宿にあった関がこっちの街道へ遷され、さらにまた元に戻ったからこっちも関所があった!的な内容だったはず。もう各自調べて(ぶん投げ)
ちなみに廃墟みたいなお家はここで茶屋をやっていた人の子孫のお宅だったそうですが、まったく人気がなく荒れてました。
はっきり言う。
写真の充実度でいえば本編よりもこの『境の明神』のほうが厚い(;´Д`)
それくらい訪れた場所は何もなかった。
だからこそ考えなければいけない事もあった。
ここ境の明神が守るは『国境の防御』だ。もちろん実際に人を守っていたのは関所のチェックや各宿場だ。
国がやらねばならないこと、国が国であるための条件の中に『守る』がある。
それは国防、治安維持、災害などからの救済全てを含む。
守れない国や為政者にはあっけなくNOを突きつけるのが民衆だ。
黙って年貢を取られていたわけではない。
だがなぜ政府を倒すこと『革命=暴力』になるのか、と言えばそれは「その時「政治を担う」体制が不安定、もしくは古く圧政を敷くようなものだから成り立つ。
民主主義や議会政治がすでに開かれた国で選挙、もしくは法に乗っ取った主張をできないってことは
『もうダメ』なのだ。
つまり暴力革命なんざ起きない。やろうとしている人間は『成功するはずがない』ことに夢見ている。
日本が一番大きく変わったのはやはり明治維新。ただその時に政治とともに『インフラ』の概念が変わった。
そこには夢ではなく、ただひたすらに自然を倒そうと立ち向かった技師達の厳しい現実がある。
それが私たちの生活に大きい影を落としている側面もある。
それが『愛』と一緒に語らねばならないこと。
それを語るには『エロい場所』が必要なのだ、日本の場合。
『エロとインフラと愛』
どうつながるのだろうか。ヒントは『足』です。
ここから先は
¥ 100
投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。