諏訪神社国道49号線__2_

2019/06/27 旅に生きる ~地形考⑪~

※皆さまからの投げ銭で旅をする企画です。

その① その② その③ その④ その⑤ その⑥ その⑦ その⑧

その⑨ その9.5 その⑩

国道49号線、車峠を下り車を降りる。

ここは49号線を走った人は「あっ!」となるかもしれない。

越後街道の頃から篤く信仰された『諏訪神社』場所としては上野尻だが、国道で参道が分断されているので国道からお邪魔するのは実は横から。

こちらが本来の参道。田んぼのあぜ道の中にあって昔からの鎮守の森へのいざない方をしている。趣があって大変によろしいのだが、車がガンガン走っている国道49号線を横断するのは非常に危険なのでオススメはしない。

理解されがたい感覚が日本始め各国にはそれぞれある。それを『お国柄』や『独自性』とまとめて呼ぶわけである。

それはちょっと奇妙なもの、不快な思いを与えるかもしれないもの、最悪は死を招く深刻なものまでたくさんある。だいたいは民族的、宗教的な規律だ。

だが日本には文章化されておらず、経典に書いてあるわけでもない。さらに親から子へ教え伝えられているわけでもいない奇妙な『決まり事』がある。

一般的な『空気を読む』にも通ずるものだが、もっと根本的なこと。

それが『納得』だ。

言葉としては日常的に使う。だが『精神的納得』を綺麗に説明している人はそんなにいない。

これは神道でも仏教でもない『日本教』と呼ぶべきかもしれない。

例えば偶数人数しか一度に入れない施設に奇数人数で訪れる。係の人が案内するシステムなので待つしかない。

「待ち時間はお土産売り場を見ていただいて大丈夫ですよ。でも順番が来た場合ここにいなかったら後回しになりますので気をつけてくださいね」とアナウンスする

もちろん案内に引き伸ばしや短縮はなくみな平等。


「はーい('ω')ノ」

この返事は日本人にとってとても曖昧な意味を持つのが厄介なのだ。


どうしてもお土産売り場だけに留まっていられない人がいる。

A「眠くなったのでバスに戻って寝ていただけだ!待たせるのが悪い!」

B「お腹が痛くなってトイレに籠ってたんだ!」

C「飽きたので散歩しただけだ!」

みなさんはもうこの時点でA・B・Cの順位付けを自然としていないだろうか?

「この場を離れたのがいけないんですよ」

とばっさり斬れないのは実に優しい日本人的な人だ。そして少々屁理屈かもしれない。

「トイレはしょうがないだろう」

こうやってまず悪人ではない人を排除しようとするのも優しい。

「寝ていたのは自業自得だろ」「散歩はそもそも言いつけ守れてない」

との指摘はまさに正論だ。

ここでだいたい収まる。学校ならばゲンコツで(今はやらないだろうけど)仲間内なら偉い人がとりなって。

だが町内会のような横並びの所帯なら話が変わる。

「長旅で疲れてたんじゃないの?」「せっかく来たんだもの、周りを見るくらい許してやったらいいじゃん」

アクロバティックな擁護であるが、これを日本人は『納得がいっていない状態』ととる。

一般人なら「?」かもしれないが、例えばそれこそ農家の水路、土地、政治家お役所との話し合い、事故など民事裁判である状態。

逆に『納得がいく状態』とはなんだというと

『全員が反論しない』ことだ。

もっというと『話し合いで決まってみんなが異議を唱えない状態』をさす。

どういう経過をだどるかを書いたらキリがないのだが、やいのやいのやりあって、わかるっちゃわかるAも生理現象のBも我慢しろよのCも

「ごめんなさい」

で矛をおさめて最後に見学・・・・

これが『納得』になる。

この掴みようのない、基準もあいまいな法則は日本人当事者ですら戸惑いイラつきを覚える。

だが

「自然を守れ!」と言いながら土砂崩れの中継映像を見て「やっぱり斜面は危ないわぁ」と煎餅をかじり、草刈りが無くて楽だとマンションに住んで、綺麗に整えられた芝生の公園に犬のお散歩に行くのはまったく日本人として

『納得している』状態である。

納得していないとできない生活である。

自然のままであるから斜面は崩れる。もちろん工事をすれば景観は崩れる。

芝生は手を入れ続けなければ維持ができない人工的な緑なのにそれに自然や安らぎを感じこそすれ違和感は覚えない。

そしてこの矛盾が起きている日常にまったく驚かない自分に異議を唱えない。

日本人は産まれながらに『納得』しているのである。

こんな地形、納得しなければ生きていけるわけがない。

山また山、泥と水の湿地。あちこちで噴火地震雪崩津波が日常的にある。

それに文句を言っても別に助かるわけではない。

朝鮮出兵で日本がそれほど進軍できなかったのは兵站を軽く見たこと、そして気候だろう。あちらは寒い。だが先軍を勤めたのは九州・と中国地方の大名、そしてそれらが率いた軍勢。その軍は地元の非戦闘員(いわゆる農兵)が3~4割を占めていた。寒さに耐えてむしろ長持ちしたほうだ。

逆にそれなりに装備も時代も進んだ満州事変で重い装備に武器を背負いながらも行進をし、敵をよく撃破できたのは東北の農村出身の兵が多かったからだ。

暖かいことは素晴らしいことで豊かだし、生活は貧しくても苦しいことはない。

寒いことは厳しいし何かを得るために失う対価が大きい。

別に『東北史観』のようなことは言い出したくはないのだが、上層部が暴走してガチンコをやる時の矢面はいつも東北だ。

終戦も沖縄と原爆ばかり取り上げるが、占守島の戦いや満州・樺太引き揚げ、ソ連抑留の非人道的行為などなぜかみな『北』から目をそらす。

でも東北は耐えてきたと思うのだよ。

その⑫に続きます


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だʅ(´⊙౪⊙`)ʃま
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