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ヨガ留学①
意味分からんと思いますがヨガを学びにインドに1ヶ月滞在しています。
頭の整理を兼ねてまとめ記事。有識者の方、間違ってたら指摘をお願いします。
ヨガとは
ヨガとは心の動きをコントロールすること。
ヨガの目的はサマディという産まれたときの無垢な状態を目指すこと。偏見も執着もない、己の心と体と魂が一致した状態。自分自身を知り、ひとつずつ柵から解放され自由になって行き、サマディを目指す。
そのための手段がヨガで、①バーヴァナ・ヨガ(心のコントロール)と②プラーナサマヤマナ・ヨガ(生命エネルギーのコントロール)に分かれており、哲学や心の在り方など内面的なことは前者。アーサナー(ポーズ)やプラーナヤマ(呼吸法)など肉体的なことは後者に含まれる。
どのヨガを学ぶかはその人それぞれの求めるもの、目指したいところによって選択すべきである。
多くの人は、自分自身が何者か、自分が何を考えて生きているのか分かれていない。
自分自身を理解すること、自分自身のマインド(意識・心)をコントロールすることは難しい。しかし心と体は繋がっているため、心が分からないときは体の状態からそれを知ることができる。
まずは自分の体をコントロールし、自分の体と繋がることが出来てから心のコントロールへ移る…というステップを踏むためにプラーナーヤマ(呼吸法)とアーサナー(ポーズ)が生み出された。
アーサナー
アーサナーは英語ではポーズと表すことができるが、単なるエクササイズではなく、意識的に体を動かしてマインド(心・意識)と体を繋げるヒーリングプロセスである。
教典ヨーガスートラによるとアーサナーとは"心も体も安定して心地の良い状態"である。その状態を目指すためにアーサナーの練習を重ね、強く健康な体をつくっていく。
プラーナーヤマ
プラーナとは生命エネルギーのこと、アーヤーマとはコントロールという意味である。
ヨガの考えの根本に、プラーナ(生命エネルギー)の存在がある。
この世のすべては、空,風,火,水,地の五大元素から成っており、食事,呼吸,日光浴などでそれらのプラーナを取り込めると考えられている。
プラーナーヤマ(呼吸法)は、意識的に呼吸を行うことで体内の必要な箇所に必要なプラーナを取り込んだり排出したりする方法である。
バーヴァナ・ヨガ(心のコントロール)
先に述べたバーヴァナ・ヨガの中にも種類がある。これらは心のコントロールを目指すための行動である。
ギャーナ・ヨガ(知識のヨガ)
教典,聖書,学問などを学び、あらゆる知識を自分ごととして落とし込み、自分自身を知っていくことで心のコントロールを目指す。
バクティ・ヨガ(献身のヨガ)
この世の理を司る崇高な存在(死,時間,自然,天候などを司ると考えられている存在)に100%の信頼を持って向き合うこと。最高の愛を持って受け入れること。
献身とは、期待をせず不安や恐れを感じずありのままのすべてを愛し、そのままの形で受け入れることである。
100%の愛を持って生きることで悟りを目指す。
カルマ・ヨガ(行動のヨガ)
心を清めるための行動規範。自分が正しいと思うことをする。自分に素直に行動する。自分の心を裏切らない。自分の心が納得していないことはしない。行動にエゴや執着を持たず、善良に生きる。そうすることで心を清め、自由で平和な精神を目指す。
ラージャ・ヨガ(ヨガへの高貴な道)
授業で割愛されたので理解不足。省略。
プラーナサマヤマナ・ヨガ(生命エネルギーのコントロール)
アシュタンガ・ヨガ,ハタ・ヨガ,クンダリーニ・ヨガ,ホット・ヨガなど多くのヨガが存在する。流派は違えど目指すところは精神と肉体の健康である。
たくさんのヨガがあるため、自身の興味や適正、必要とするものから好きに組み合わせていくことで心身の健康を目指すべきである。
マインドとメディテーション
ヨガを勉強しているとよく"マインド"という言葉を耳にする。これは意識とか心とか気持ちとかといったニュアンスである。
ヨガでは、生命体は肉体という器の中に魂とマインドが入っていると考えられている。
中心に魂があり、その周囲にマインドがあり、それらを肉体が包んでいるイメージである。
人には経験から成る記憶があり、それにより嫉妬や執着あるいは怒りや悲しみ、喜びを覚える。これらの記憶(良いものも悪いものも)が個人の中に溜まっていくとマインドと魂が乖離していく。
この記憶たちを手放していく作業がメディテーション(瞑想)である。
メディテーションはリラックスした状態で行い、マインドを使わないように練習する。
コントロールは抑圧ではないことを知り、リラックスして目を閉じた状態で浮かんでくる記憶や感情を客観的に眺めて流していく。なぜ浮かんで来たのか、善悪、批判、思考は行わない。自分の体と感覚を客観的に観察する。感情が溢れて来た場合、決してコントロールしようとせず、途中でやめず最後まで向き合う。そうすることでその記憶あるいはトラウマを手放すことができる。
最終的には何も浮かんでこないあるいは浮かんでも心を乱されない状態を目指す。
ヨガ的思考
刺激を受けた場合、1stステップとして、その刺激を観察し、ありのままを事実として受け止める。2ndステップとして、マインドを使う。そして3rdステップとして刺激に対して何をするか何をしないかなどを決定する。
抽象的過ぎるので例。
・空腹(刺激)
1stステップ「お腹が減っているな」
2ndステップ「夜も遅いし食べるのをやめておこうかな」「でもイライラして寝れなくなっちゃうしな」「少し何か胃に入れようかな」
3rdステップ→お水を飲む
・資料を渡す際に舌打ちをされた(刺激)
1stステップ 「チッという音がした」「険しい表情だった」「足早に去って行った」
2ndステップ 「余裕がないのね」「さっき部長に怒られてたもんな」「え?わたし何かした?」「あの人お腹空いたら不機嫌だよな」
3rdステップ→八つ当たり乙。放っておく。
どんな言葉や行動を受けても、どう感じるかどう受け止めるかは自分で選択できる。傷付くか怒るか悲しむか笑うか、主導権は自分にある。
また、怒りや悲しみの背景には、期待や信頼があることに気付くべきである。ありのままの状態を愛する気持ちであれば期待は生まれず、怒りや悲しみに苦しむこともなくなる。愛とはありのままの存在をそのまま受け止めることである。
感想
ざっとまとめてみました。
まだ授業も途中ですし分かり切れていないですが、最初は個人的にヨガってスピリチュアルで宗教的なもので、極めたらやべえやつになるのでは?と思っていました。
実際勉強してみると、「健全な精神は健全な肉体に宿る」を徹底して実践している印象を受けました。精神からも肉体からもアプローチしてる。あと解剖学とか生理学とかの分野とも繋がりがあって、意外とエビデンスもあって驚きました。
知ることは楽しいですし、出来なかったことが出来るようになるのも楽しいです。めちゃんこ体硬かったのですが、前屈で足先を掴めるようになりました。進歩。
また続きも書けたらなーと思います。
今回はこのへんで。