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映画「敵」
吉田大八監督、長塚京三主演映画「敵」を見た。予告編を見て繰り返される「敵」という得体の知れない言葉に興味を惹かれた。筒井康隆の同名作品の映画化と知り面白そうだと思った。また瀧内公美が出演しており、これも見に行こうと思った理由の一つだ。昨年の大河「光る君へ」での存在感のある演技で好きになった女優だ。
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午前、家を出る前にシネ・リーブル神戸のサイトから予約を取る。午後3時前の上映開始だからなのか、席はあまり埋まっていない。映画館には20分前くらいに到着。開場を待っていると知人に声をかけられた。
以前の職場の先輩で、近所のスーパーでたまに会い、立ち話で互いの近況報告をしあう方だ。映画館に着いてからチケットを買ったそうだが、もう空席はあまりないと言う。公開2週間ほどだが結構人気を博しているようだ。
映画は白黒作品で、はじめはレトロな映画のようにも感じられたが慣れると違和感は無くなった。主人公は妻に先立たれたフランス文学の元教授。映画はまず彼の日常を淡々と追っていく。
祖父母の時代からの古い家屋に住み、朝起床すると洗面、朝食を丁寧に作っては食べ、食器を洗い、掃除をし、コーヒーを挽いて飲む。自分一人の食事だが、食材を買いに出かけ、昼食や夕食も手を抜かずにきちんと作る。たまには教え子の女性に料理を振る舞うこともある。そんな姿が繰り返される。
退職後には時折の講演や雑誌連載の執筆で多少の収入はあるものの、生活の質は落とさず貯金を切り崩しながらの生活だ。貯金がなくなる時が死ぬ時だと考えている。妻を亡くして独り身だが、知り合いや教え子との交流も時折はある。そんな日常の中、メーリングリストから北の方から攻めてくる「敵」の情報が届く。
時折届く「敵」の情報を彼は受け流しているように見える。映画はそんな主人公の生活を描いていくのだが、少しずつ睡眠中の夢の様子が現れる。最初は現実との乖離がないので観客は見ていて現実と取り違え、夢とわかっては現実にリセットする。
ところが夢が幾度も現れると、夢と現実の区別がつかなくなってくる。亡くなった妻が現れる現実離れした状況を夢だと受け取っていると、今度は本人の認知の問題のようにも思えてくる。そうして、現実なのか夢なのか本人の認知の問題なのかもわからない混乱した状態に引き込まれる。そして最後には謎の「敵」の来襲に見舞われ、意識は白濁して終焉を迎えるのを見届けることになる。
後半の現実と夢と認知の問題が絡まって何が現実かわからなくなった様子が、まさに主人公の見ている状態なのだろう。そんな中で妻や教え子の女性が話す言葉は、彼自身の後悔や後ろめたさの気持ちの現れのようで痛々しい。老いていく身にはSFでも何でもないリアリティーである。「敵」とは残された時間か、認知の歪みか、死そのものか、はたまたこれまでの自分の人生に対する後悔なのだろうか。
筒井康隆著『敵』を読んでの記事はこちら。