奈良の隠れカフェにて、ことばに浸る。
先日奈良旅について投稿したが、そこで訪れた奈良の隠れカフェが最高だった。
閑静な住宅街から、さらに奥に入ったこの一軒。
見つけた味のある看板。もうここから素敵。
わたし、お店の様々な看板、結構好きかもしれない。
席数はさほど多くはないこじんまりとした空間。
先日書いた洞川のお宿しかり、町屋カフェのうどん屋さんしかり古い木の建物に、どうしてこう惹かれるんだろう。
どこを切り取っても、魅力的である。
そもそもわたしは、本のある空間が好きだ。
どれでも手にとって良いという、贅沢さ。
かといって、多すぎたら選ぶのに苦労するのでこのくらいの程よい量が丁度良い。海外の絵本が並んでいる棚もあった。
飲み物や食べ物も申し分なかった。
朝は、ROKUMEI COFFEEブレンドを飲んだので、ここでは紅茶を。
紅茶もロンネフェルトの
「ゴールデンダージリン アールグレイ」「モカルバリエ(アッサム)」
「イングリッシュ ブレックファースト」「スペシャル アールグレイ」
「アイリッシュ モルト」
と5種類の中から選ぶことができた。
ただ「紅茶」と表記されたものより、どれにしようかと悩む楽しさがあってうれしい。
今回は、飲んだことのない種類である「アイリッシュモルト」を選んだ。
一口含んで、驚く。
スモーキーな味わいがありながら、甘い香りという不思議な紅茶。
例えるなら、夫の頼んだ「ゴールデンダージリン アールグレイ」が華やかなお嬢様だとすれば、この「アイリッシュモルト」は美しく年を重ねた淑女。
ミルクを入れると、これまたミルクティーのために生まれた紅茶じゃないんだろうかと思えるくらい相性が良い。味わいながら少しずつ、堪能する。
いつかまたどこかで、「アイリッシュモルト」に出会えたら、わたしはきっとその再会を喜び、朗らかな気持ちでまた注文するに違いない。
飲み物一つとっても、どんどん自分の「好き」が積み重なってゆくのだ。
全くもって、オトナってのは楽しい。
紅茶とくれば、ケーキでしょう。
そう思っていたものの、メニューの「英国式スコーン」が目に入るや否や、そちらに気持ちがぎゅんと傾く。
本日のケーキ「紅茶とプルーンのケーキ」と悩みに悩んだ末に、ここはスコーンを。
トッピングも、クロテッドクリーム、バター、ジャムなどの5種から2種類選ぶことができた。
「人生は選択の連続」というが、こんな幸せな選択ばっかりなら平和なのにね。
そしてこのスコーンも、バターのコクが溶けた、ふんわり甘くて温かいこれ以上ないくらいのスコーンだった。
そのまま食べても、素朴でほっとする美味しさだけど、選んだクロテッドクリームやジャムを合わせても最高。
普段あまり甘い物を食べない夫でさえ、分けてあげた一口では足りなかったようで、「もう一口。」と催促されてしまった。
こんな美味しいものを分けられるわたしは、なんて分別ある人なんだろうか、とひときわ小さくなったスコーンを見つめながら思う。
お腹を満たしたら、本棚に手を伸ばす。
一冊の絵本を手にした瞬間、「あ、この本知っている。」と懐かしい感覚になった。
表紙を見ただけじゃ中身を思い出せないのにも関わらず、「わたしは、この本を読んだことがある」そうはっきりと感じる不思議。
どんな話、だったんだろう。
絵本だから、読んだのは小学校にあがる前か、低学年かな。
気になりつつ、ページをめくる。
「死」という、誰にだって訪れる底深い悲しみをテーマにしつつ、遺された動物たちの記憶、そして想いを優しいことばで描いたこの作品。
切なくて、やさしくて、あったかい物語。
かつてこの絵本を読んだわたしは、何を思ったんだろう。全く思い出せないけれど、その発達段階なりに「死」について何か大切なメッセージを受け取ったんだと思う。
本の内容も大切だけど、そのときそこから何を感じたのかということの方が案外大切なことなのかもしれない。
動物たちがもらった「おくりもの」はなんだったのか、手に取って読んでみて欲しい。
絵本カフェと名付けられているが、絵本以外の本も置かれている。
その中でも、特に今回わたしが惹かれたのは西尾勝彦さんの詩集。
小学校の先生という仕事柄、様々な詩に触れるものの、私生活で詩集を手に取ることはほとんどなかった。
買ったことのある詩集といえば、「自分の感受性くらい」が有名な茨城のり子さんの詩集くらい。
詩は小説やエッセイといった文章よりも随分抽象度が高くて、作品によってはあまりよく分からない、という苦手意識が、詩に対するちょっとした構え。
けれど、彼のことばは詩という短いことばの連なりだからこそ、すっとわたしに沁みてゆくのを感じた。
わたしの中で、まだ名前のついていない感情や感覚がことばによって彩られてゆく。
何篇かの詩によって描かれるのは、とある遠い記憶かもしれないし、今大切にしているものかもしれないし、未知なる世界かもしれない。
ことばによって、目の前にいない誰かと感覚を共有できるというのは、不思議であり、愛しい営みだなあ、なんて考えた。
そんなことを考えるのは、彼の詩にあることばでいうところの「質の高いぼんやり」な時間を過ごせているからかもしれない。
わたしは、1年半前くらいから「いいな」と思った言葉たちを書き留める「ことばノート」なるものを作っている。
エッセイの一部、小説の一部、詩、コピーライティング、歌詞。
ジャンルを問わず、美しいと思った言葉、励まされた言葉、はっとした言葉など日常の中で見つけた、心が動いた言葉たちを書き留めているのだ。
わたしがちょっとずつちょっとずつそんな言葉たちを集めた、このノートはいわば、ことばの宝箱。
今日また新たなページに、そんな「たからもの」が増えた。
少し時間が経ってから、今日集めた「たからもの」が傷ついたわたしや弱ったわたしを癒す日が来るのかもしれない。
美味しい紅茶を片手に、本に夢中になっているうちに、時間が溶けていった。
また何かつまみたいなあ、なんて思うものの、先刻注文したスコーンは遥か昔にその姿を消している。
「お腹が空いたら、どっちも食べればいいじゃない。」心の中のマリーアントワネットならぬ、まりが呟く。
ー気づいたら、目の前に鎮座していた、ケーキ。
そう、先ほどスコーンと迷った本日のケーキの「紅茶とプルーンのケーキ」である。
ふわふわと口どけの良いケーキも良いけれど、わたしがより好きなのはしっとりどっしりした存在感のあるケーキ。うれしいことに、このケーキもそんな後者のケーキだった。
木のぬくもりのある落ち着いた建物に、並ぶ本たち、そして美味しい飲み物と甘い物。
そしてそんな空間にゆったり漂うジャズの音楽。
ことばに浸るのに、これ以上の素晴らしい空間があるだろうか。
ここは、わたしを幸せにする要素で満ちている。
そして、いいなと感じたもう一つに、お客さんたちの雰囲気がある。
折角良い雰囲気の店であっても、その場に場違いな声量の談笑や、場にそぐわない会話などによっては、台無しになってしまうこともある。
ここでは、どのお客さんもお喋りは控えめな声でし、各々が注文した飲み物や食べ物を片手に本のページをめくっていた。
ーきっとみんな、わざわざここに本を読みに来たのだ。
そう思えるほど、ページをめくる微かな音が聞こえてきそうなくらい、静かな空間。
ちなみにお店に入ってから、しばらくしてわたしたちの隣に席に座ったのは、背が高いヨーロッパ系の同じ年代くらいの男の人だった。
分かりやすい場所にあるわけではないこの場所を選ぶなんて珍しいな、そう思いながら、視界の端で彼をちらりと盗み見る。
彼は、注文したケーキと飲み物を食べ終わると、わたしが先ほどスルーした棚の外国の絵本に手を伸ばした。
そしてそのうちの何冊か、手に取り開いて時折小さな声でクスクス笑いながら、その絵本を楽しんでいる。
ああ彼もまた、この空間と本を楽しみに、駅から離れたここまではるばる来たのかもしれない、なんて思うと急に親近感が湧いてきた。
本が好きな人たちが集う、言葉を介しない静かでゆるやかなつながり。
「絵本とコーヒーのパビリオン」そんな空間も含めて心地良かった。
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