
奴との遭遇〜学校編〜
「先生〜!」
廊下から、少し緊迫感のある声が響いた。わたしのクラスの子だ。その時は昼休みの真っ只中。
誰かと誰かが喧嘩でもしているのか、転んで怪我でもしたか。そんなことを考えながら、丸つけ中のプリントと赤ペンを置いて廊下に向かう。
「どしたん?何かあった?」
「ほら!!!」
と大きな声をあげて、廊下から私を呼んだNくんは、廊下の壁を指さす。
・・・・・奴だった。奴が、いた。
そう、名前を読んではいけないあのひ、いや虫。
おそらくマスクの下で口を開きかけたNくんに、わたしはカッと目を見開き、口の前にシッと、人差し指を立て、眼力とジェスチャーで、彼が言わんとすることを封じる。
虫を見つけた時の活発な小学生男児の第一声なんて、
「みんな―――――!!虫おる―――――!」
と、どんな虫であろうと、とりあえず仲間に知らせると、決まっているのだ。
大声で呼びかければ、「なになに〜」とわらわらと教室や廊下にいる子どもたちが、集まるだろう。一瞬で、ザ・密の極み。
彼らの中にソーシャルディスタンス、なんて概念は皆無だ。
しかも、昼休みはあと5分。もうじきチャイムが鳴る。授業前に、きゃーきゃーわーわーと、興奮状態にさせるのは、避けたい。
察しが良いNくんは、マスクの下で(おそらく)開きかけた口を閉じ、一緒に静かにその場にいることにしたようだ。
黒々と鈍く光り、触覚と羽根がうごうごと動く5センチ大の、奴。
な、なんて、おぞましい。
「先生!つかまえてん!!」
と満面の笑みで、顔面20センチ前に突きつけられるカマキリだとか、
「手、出して。いいものあげる!」
と出した手にちょこんと乗せられるダンゴムシだとか、虫との触れ合いはもう、こちらが望もうが望まないが、日常の一部と化している。
なのでわたしは、虫に対する抵抗は、少ない方だと自負している。
が、奴だけは本当に無理だ。
一目見ただけで、なんかこう全身がぞわぞわしてきて、寒気がする。生理的に無理、とはまさにこのことを言うんだろう。
もし自分の部屋で遭遇したならば、間違いなく奇声を上げ、右往左往する。
(以前書いた、奴との出会い at わたしの部屋はこちら)
けれどここは、学校であり、わたしは先生で、子どもたちの前。そんな情けない姿をさらすわけにはいかない!!
ほらあれ、自己啓発本とかでよく言われるやつ、立場は人をつくる!
奴をやっつけるのに、主に選択肢は2つ。
1つ目、潰す。すぱーん!と丸めた新聞紙やスリッパで叩く。
・・・・無理無理無理!つぶし損ねてこっちに向かってきたら?ごめん、もうその場から全力で逃げる。
2つ目。みんなの力強い味方、ゴ〇ジェット。
いやいやそんな武器、学校には常備していない。それに代わる、何かかけられる液体は?
とっさに、机から持ってきたのは、服にかけるとひんやりする「シャ〇クール」。(これ、暑がりな人におすすめ)
主成分はエタノールなので、殺虫剤ほどの即効性はなくとも、奴に大量に浴びせれば有害だろう。
よし!立ち向かえ、わたし!!
頑張れ頑張れ わ・た・しー!!
と心の中で大いに鼓舞しつつ、奴と対峙する。これといって悪さをしているわけではかもしれないけれど、存在がもう悪の帝王なのである。
気分は悪と戦うセーラームーンかおジャ魔女ドレミ。
手には魔法のステッキならぬ、シャツクール!!
うごうご。シュー!
うごうご。シュシュー!
くっしぶといわね、なかなか動きが止まらない。
うごうご。シュシュシュシュ―!
内心半泣きになりながら追いかけ、シャツクールをまき散らす。もうこれでもかってくらい、吹きかけ、ようやく奴は、動かなくなった。
やれやれ戦いは終わった・・・。平和を脅かす存在はこれでいなくなった。
汗をぬぐいながら、いつの間にか運動場から帰って、わたしの背中の後ろで戦いを見守っていた群衆に、どやぁ、、、と振り返る。
だがしかし、返ってきた言葉は
「かわいそう、、、。」
「あー死んじゃった、、、」
「なんで逃がさんかったん?」
「なんで殺したん?」
という奴への同情とわたしへの非難だった。
思い返せばわたしは普段、小さい蜘蛛やバッタ、蝶なんかが教室に迷いこんだとき、
「小さい生き物にも、命があるからね。」
なんて言いながら、紙やチリトリに乗せたり、窓を大きく開けたりして何とかして、外に逃がしていたんだった。
今回は逃がす、なんて発想、一ミリ足りともなかった。
わたしにとっては、おぞましい悪の帝王でも、その時その場所にいた彼らには、ただの虫の一種に過ぎなかったのか。
ごめん、次遭遇したとしても、先生逃がせる自信はないです。
逃がすなら、自分たちでどうにかして、、、。
ちなみに、動かなくなった奴の処理、
わたしの口から、「無理無理無理.....」と漏れ出したのを聞いて、見ていた勇敢な子が、
「わたしやるよ!」と名乗り出て、ビニールで掴んで捨ててくれましたとさ。