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切なくなった、子どもの一言。

朝、確認した雨雲レーダーでは、4時頃から降る予定だったのになあ…。
恨みがましく、運動場を見やる。
ぽつぽつと降り出した雨粒は、みるみる間に地面の色を変えていった。空模様を見るに、しばらく雨は降り続くだろう。


これは、わたしが低学年を担任していたときの話だ。

「ええ〜雨が降ってきちゃったよ!」
「先生、5時間目何するん?」

わやわやと口々に声をあげる子どもたち。
これから始まる5時間目は、運動場での体育の予定だった。特に低学年は、身体を動かすことが好きな子たちが多く、週2回の運動場での体育を楽しみにしている子も多いのだろう。

「雨降って無理なら、体育館でやればいいやん!」
「そうそう!」

わたしもできることならそうしたい。
けれど、運動場や体育館は、〇曜日の○時間目は4-2の配当時間、といったようにあらかじめ各学級、使用時間を割り当てられている。

どのクラスも使わない時間帯もあるにはあるが、少なくとも前日には使用する旨を全体に周知しておかなければならない。そういった大人の事情、というか学校の事情を子どもたちに説明すると、しぶしぶ納得したようである。

さあ、問題はこの5時間目、何をするか。 

こういったときのために、文法や漢字のプリントを多めに印刷してある。それらをしても良かったが、生憎その日の時間割は6時間目も国語である。午後からの授業が2時間とも国語、しかも体育の代わりとしては子どもたちの不満が噴出するだろう。

かといって、この時間は先程の割り当ての都合上、図書室も使えない。道徳も今日の2時間目にやったばかりだ。急遽、来週の図工でやる予定だった作品作りに取り掛かっても良かったけれど、まだ業者に発注した画用紙が届いていない。
明日、学活で月に一度の「お楽しみ会」をするので、今日もみんなで遊ぶ時間を取るのもなあ。低学年なので、タブレットで1時間持たせるのも厳しい。


かくなる上は…
「図工をします。後ろのロッカーから、粘土板と粘土を取りに行っておいで」
そう声をかけた途端、
「いよっしゃー!!!」
と沸き上がる歓声。
粘土、こういったときの低学年の頼もしい助っ人である。

小学校において粘土は、遊び道具ではなく、学習に使う「教具」である。よって、粘土を使う場合もその時間に何を習得させるのかどこをゴールにするのかなど、学習のめあてがあり、その時々に適した題材を用意する。

しかし、今日だけは特別。

「先生、今日は粘土で何作るん?」
「今日だけ特別に自由にします。作りたいもの、何でもいいよ」

またもや響く、喜びの声。しばらくすると、子どもたちは自分の感性に従って思い思いのものへと粘土の形を変え始めた。

「見て~!恐竜!」
「おお、かっこいいねえ」

「なあ、見て見て!おもろいもんできた」
「まあ、立派な。りょうくんの?」
「ううん、先生のうんこ!」

他にも様々な生き物を作る子、ケーキ屋さんと称して様々なケーキを作る子、粘土を紐のように細くしていろいろな文字を生み出す子、巨大迷路を作る子…。

それぞれが熱中して手を動かしている。たまに子どもたちから声をかけられたり、かけたりしながら、彼らの机の間を回る。
たまには題材を決めずにこうやって自由にやらせるのもいいなあ…なんて思いながら。

ふと、歩みを止める。
端の席のたっくん(仮)は、粘土の塊をケースから出したきりで、止まっている。
子どもたちの中には、絵画や工作、作文など何かを生み出す際、充分にイメージできていないと手を動かし始めることが難しい子もいる。何か彼が困っているか、声をかけてみた。

「先生、わからへんねん…」
たっくんは、小さな声で訴える。
どうやって作り始めるといいのかわからないのかな。そう考えながら
「そっか…、何がわからへんか教えて」
と尋ねた。
「ぼく、何を作ったらいいか、わからへん」
…そこだったか。確かに急に「なんでも」と言われても困る子もいるのかもしれない。

「何でもいいんだけど、例えばたっくんの好きなものとかは?好きな生き物とか食べ物とか」

そう声をかけても、なお彼の表情は曇ったまんま。友だちが何を作っているのかを知ったら参考になるかもしれない、と先程見てきた作品たちを伝える。

「そうくんは恐竜作ってたよ。かんなちゃんはケーキ。みきちゃんはうさぎかな。ひびきちゃんは、巨大迷路。…ほんで、りょうくんはおっきなうんこ」

たっくんは、わずかに表情を崩したものの、すぐに困り顔に戻る。
「先生、」
「ん?どしたん?」
その後に続いた、彼の泣きそうな声にわたしは、一瞬言葉を失ってしまった。

「ぼくは、何を作ったらほめられる?」

その言葉を聞いて瞬時によぎったのは、 
「たっくんのママ、めっちゃきびしいんだよ」という彼の友だちの言葉。
個人懇談会で、「うちの子の課題を教えてください」と聞いたことをメモするきっちりしたお母さん。

もしかしたら、彼の行動基準は「褒められるかどうか」という大人からの評価で成り立っているのかもしれない。
もしかしたら、たっくんは普段から自分がしたいことややりたいこと、で物事を選べていないのかもしれない。なんだか、切なくなってしまった。

「何を作ってもいいんだよ。一生懸命やったら、もうそれで花丸。どんなものでも、何をしても、一生懸命にできたら先生はたっくんをすごいと思うよ。」

伝わってるかな、伝わるといいな。
粘土で何を作るか、だけじゃないよ。
全部の物事においてそうだよ。
そう思いながらゆっくり、彼の目を見て言った。

彼は小さくうなづいて、彼の好きな乗り物である、ヘリコプターを作り始めた。

その一件があってから、わたしはよりクラスの中での彼の様子を気に掛けるようになった。

時折、何かに取り組む際、不安そうな表情でこちらを伺う彼に、
「それで大丈夫だよ」
「一生懸命やれたことが、花丸」
結果ではなくて、過程だとか取り組む姿勢だとか、自分で選んで行動したことを肯定し続けた。彼のお母さんにも、そんな様子をできるだけ伝えることを心がけた。

たっくんと過ごせたのは、たった1年間。

以前よりも、笑顔が増えたような気がしないでもないが、特に大きな変化もなく、彼がわたしの言葉をどう受け止めたのか、わたしの言葉が影響があったのかどうかも分からない。

あれから何年も経つが、「自主性」「自己肯定感」といった言葉を耳にするたびに、彼の「何を作ったらほめられる?」という言葉と声が、ひりひりと蘇る。

自分の選択に自信が持てる中学生になれているといいな。

#小学校の先生
#小学生


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