今週の読書 8/10「心を病んだらいけないの?」
「心を病んだらいけないの?」を読んでいる。
ちょっと読むスピードが鈍化してきて、緩やかに読めない時期に突入しつつある。
この本を読んでいると、物事は繰り返し続けていて、いまはなぜそのループが生まれるのか、そもそもこれはなぜ起こったのか、そう言ったことが解決されないまま、なんとなくその物事が一見解決したかのように終わっていき、時が流れ、また同じようなことが起こる。ハラスメント然り、鬱の問題、承認の話。そういう小さな物語は数限りなく繰り返されている。そういう小さな物語が繰り返されているから、もちろんそういう我々がいきている社会でも繰り返されるわけだ。
いつもの悲劇を繰り返さないように、結末を書き換えることが必要だと思う。どこかで聞いたセリフだ。私たちの社会に必要なのはカウンセリングなのかもしれない。なんてね。
ダイバーシティに関しても確かに今は一面的な捉え方というか、有益な人は少数派でも優遇しよう、みたいな方向になってしまっている気は少ししていた。
病気をしたり、職を失ったりして「もう価値がない」と思った自分でもここにいていいし、必ず誰かが声をかけてくれるんだと。そう感じられる環境こそがダイバーシティなのだから
ダイバーシティこそが最も基礎的なセーフティネットだというのは、当たっていると思います。人間教が蔓延する日本だからこそ、病気や失業で(少なくとも一時的には)「機能しなく」なった人にも、社会に包摂され承認される権利があるんだということを、しっかり伝えていかないといけませんね。
これが本来のダイバーシティなのであれば、これは実現するといいと心から思う。仕事ができなかろうが、できようが、損なわれていようが、いまいが、この社会に居場所があると確信をもてるといいと思う。
「たしかに上司やモンスタークレーマーがクリニックに来たら、病気と診断される可能性は高い。ただ彼らはたまたま、いまのところ地位や立場に守られていて<本人が困難を感じていない>から、来院せず、病気だと言われていないだけですよ」
これは面白い。地位や立場が変われば、病気になったり、ならなかったりする。立場や地位を変えれば、病気にはならない。
ポリフォニーという言葉を初めて知った。ハーモニーではなく、ポリフォニーだと。
ポリフォニーとは、わかりやすく言い換えると、「他者の他者性」を理解するための言葉なんです。自分と相手との間には決定的な違いがあり、しかしどんな相手にも個別の尊厳が備わっていること。その他者の主体性は尊重すべきだし、自分の主体性もまた尊重されるべきであること。
意見の一致を目指さず、対話すること。これはOD、オープンダイアローグという複数で対話を重ねることにより、回復に導く手法らしい。従来の精神分析療法とは一線を画する。とても興味深い。
とりあえず、今日はここまで。