「野の医者は笑う」
「野の医者は笑う 心の治療とは何か?」を読んだ。
http://www.seishinshobo.co.jp/smp/book/b200599.html
東畑さんの文章はいつも明快で面白い。この本もまた笑えるし、わかりやすい。
心の治療とは何か?
これは大きな問いだと思う。そもそも何を目指すものなのだろうか。他の医療のように、悪いものを取り除くこと、元に戻ること、とはまた違う。
医療機関に行く人もいれば、スピリチュアルなもので癒されて再起できる人もいる。ではこの両者の違いはなんだろうか。雰囲気的にスピリチュアルはうさんくさい、みたいなイメージはあるし、割と早く結果が出るようなアピールをしている気がする。
共に心の問題を持った人を支援して、その人なりの人生を歩めるようにすることではあるのだろうけれど。
自分は臨床心理士からカウンセリングを受けている。個人的には、お金を払ってこんなしんどい話をして疲れるより、このお金をもっと楽しいことに使った方が、効果あるんじゃないか、と思うことは正直しょっちゅうだ。しかも、長い長い時間がかかる。臨床心理学ってなんなんだろうか、心の治療ってなんだろう、と常々思っていた。
何かで読んでから、最近は臨床心理士からカウンセリングを受けるということは、一種の教育を受ける事なんじゃないか、と少し納得している。セッションで示唆を受け、それについて考えることによって、心理学的な考え方や、どうしてそうなるのかのメカニズムを心理学的に理解すること。そしてそれを人生に活かすことではないかと。
この本を読んで、なんとなく考えていた答えに支えができた気がした。
スピリチュアルは、スピリチュアルな考え方を身につけて、ある種の法則と理解して、それを人生に活かすことなのか。
いずれを選ぶかに良い悪いはなく、その人の送りたい人生によって、自発的に選ばれているものなのだと思う。当たり前のことだが。
もちろん詐欺はいけないけれど。この本に出てくるスピリチュアルな野の医者は、笑えるけれどみな真摯なもののようだった。
この本は沖縄でもフィールドワークなので、沖縄ならではの現象もある気がする。収入の低さや、離婚率の高さなど。この本を読んで「文化と治療」の関係性は確かにあると思った。
沖縄の野の医者たちの、病んだものが自分を癒すために、他人を癒す、という関係性はとても興味深い。これは沖縄に特有なのか、全国的なものなのかは気になる。
治癒の過程にはやはり他者が必要なんだなぁ、となぜか感慨深く感じる。
野の医者の核心は、病んだ人を「癒す病む人」にするプロセスにある。
野の医者は治癒を与えるのではない。生き方を与えるのだ。
生き方を与える。それは治癒より踏み込んでいるような、依存と背中わせなようなそんな気がした。
心の治療とは、クライエントをそれぞれの治療法の価値観へと巻き込んでいく営みである。
治療とはある文化の価値観を取り入れて、その人が生き方を再構築すること。
心の治療とは、いろんなものに巻き込まれて、翻弄されながら、自分が良いと思ったものを選び取りながら、作り上げていく、ブリコラージュしていくものなのか、と。
治癒の過程に他者は必要だが、作り上げるのはあくまでも自分。そこが一筋縄ではいかないところだ。この本で描かれるエピソードは、笑える。どんなに矛盾があっても、笑えるならそれはそれでいいじゃないか、と思う。
なんとなく肩の力が抜けるような気持ちだ。ままならない現実を笑って受け止めて、歩いていければ、過程がなんであれそれで良いんじゃないか、そんな風に思えた。何かを変えることだけじゃなく、変えられない自分を笑って受け入れられれば、それは苦しみではなくなるのだから。