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自己肯定感という日本語の違和感
自己肯定感。
何だかよく耳にするようになって、誰しも自己肯定感を高めなければいけない、そうすべきだ、と声高に言われるようになった昨今。
私はこの自己肯定感、という言葉が何となく居心地が悪いのです。
不快、というより違和感を覚える私です。
英語だと自己肯定感は self-esteem です。
esteemは尊敬する、尊重する、重んじる、という意味になります。英語から訳すとむしろ自己尊重感でしょうか、こちらの方が私としてはしっくり来るのです。
自己肯定感という言葉の、何がそんなに私にとって気になるのか。
考えてみたのですが、それは恐らく盲信的な肯定に対する恐怖や嫌悪だと思います。何にでも、考えなしに意思なしに、YES!とだけ言うようなものは、私にとって怖いし嫌悪感を抱くものなので。
自分の全てにYES!と言うべきか?
意見は分かれるところだと思いますが、私としては、言わなくても良い、です。
自己、ここにある私はYESともNOとも言われるようなものではないと考えるようになったから。
自己肯定感のこと、最近は本当に色々な人が色々なふうに解釈し説明してくれています。私もとても迷走して分からなくて、自分自身の居心地が悪くて、色々見たり読んだり聞いたりしてみました。
私の思う自己は、例えばジャガイモみたいなものです。
なんでやねん!って思うかも知れないけど(笑)
少し長くなるけど書きますね。
ジャガイモが目の前にあるのを想像してみてください。
男爵が1番良いですね。
ジャガイモにはそれぞれ芽がついてたり、凹んでいるところがありますよね。でも、どれだけ変な形だろうが、めちゃくちゃ凹みがあろうが、芽がたくさんついていようが、それが一つのジャガイモであることに変わりありません。
そして大きいくぼみがあったとしても、それがハート型をしていたとしたら、そこをこそ気に入る人もいるでしょう。
楕円形のジャガイモが好き!という人もいるでしょう。
こんな特徴がある、というだけで一つのジャガイモは存在としてそこに完結しているのです。
何が足りないとか、何が多いとかではなく、ましてそれで完璧なのです!とか言うつもりもありません。
ただ存在としてそれがその形でそこにある、ということ。
ちょっと禅的ですね、石がそこにある、ジャガイモがそこにある、私がここにある、という感じです。
それで、自然な形なのです。
(存在だけで完璧なのです!論については、私は違和感を覚える理論なので言及してみました。完璧って強すぎる言葉よね。)
だから、自己肯定感、なんて言葉に息苦しさというか、ちょっとしんどいな、というか、言葉として強いんじゃないかな、という違和感を私はずっと抱えていました。
何となくお風呂入りながら考えてたらジャガイモ理論に行き着いてしまったので、せっかくだからnoteに残しておきます。
無理に肯定しなくていいと思うんです。
だって私は出来てない(笑(言い訳やん)
…NOと言えない日本人とか言うけど、自分にもYES!と言えない日本人、いいんです、それって普通です。普通…じゃないかな?(=ω=;)
私達は謙虚で努力家で和を重んじる人種なのですから、自己肯定感なんて言葉が流行ってるからって無理に自分に適応して使うこともないんじゃないかな?って思うのです。
ああ、無為に休日を過ごすかと思ったけど(ずっと、何かしなきゃ楽しいことを、これはダメあれはダメ、こんなんじゃだめ楽しくない幸せに思えない自分はだめってお風呂入るまでずっと心の底の方で思ってて、休みは最近ずっと自己拷問って感じなんだけど)、少しアウトプットできたから、もう眠ります。
おやすみなさい。