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読書感想文:フンボルトの冒険 自然という<生命の網>の発明
この投稿はストリーマーであるのほほさんの夏休み企画( https://x.com/SSBU_NOHOHO/status/1819710428009918629 )に寄せた読書感想文です。
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いまパソコンの前でキーボードを叩いているこの部屋に引っ越して4年ほどになる。初めて玄関の鍵を回してから数週間が経ち、自意識が新しい間取りと景観に馴染む頃、ふと公園で見慣れない白い小鳥が目に付いた。かつて住んでいた街からシジュウカラに目を奪われるこの場所まで、その風景は車窓を通して街並みの断続的な変化にデフォルメされていた。そこにあった山あいの情緒を想像してみる。ゆるやかな生態系の変化があったはずだ。
このような生態系の様相について考えるとき、小学生の頃に習った「食物連鎖」から想起する人も多いのではないだろうか。この言葉はヘッケルによって確立された「生態学」からきている。ヘッケルは『種の起源』で知られるダーウィンの影響を受けており、翻訳業などを通じて進化論の発展に貢献している。そして、このダーウィンが研究の手本にした人物こそが、アレクサンダー・フォン・フンボルトである。アンドレア・ウルフ著『フンボルトの冒険 自然という<生命の網>の発明』(2017, NHK出版, 鍛原多惠子 訳)では、このプロイセン(現ドイツ)出身の博物学者が歩んだ人生と自然科学の発展が描かれている。
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本書は5部構成の伝記だが、副題にある「生命の網」という概念の発明とその影響が全体の軸になっている。これは、フンボルト自身がその足で計測・観測した地形、地質、気候、気流、海流などのデータと動植物の活動を紐づけ、生命のゆるやかな繋がりが地球のあらゆるところで発生している生存を賭けたインタラクションであることを説明している。これ以前の自然に対する考え方は「あらゆる動植物が神によって与えられた場所を占める、油を刺された機械である」(p.109)という静的な捉え方だったようだ。フンボルトは単に測定値や採取サンプルを羅列するのではなく、「自然画(Naturgemälde)」と呼ばれる、標高と植生帯の関連を視覚的に表したデータビジュアライゼーションのような捉え方も提示している。これらの絵図やスケッチがカラーで収録されているのも本書の魅力だ。
この他にも、フンボルトは等温線、磁気赤道、内定連関の発見といった功績を残しており、この場では言及しきれない。また、関わった人物も錚々たる顔ぶれである。ゲーテ、カント、トーマス・ジェファーソン、シモン・ボリバル…彼らとのどのようなやり取りがあったのか、興味を持っていただけたら、ぜひ今後の読書の楽しみにしていただきたい*。
ここでは、ダーウィンの『種の起源』に改めて焦点を当てる。フンボルトの調査旅行に始まり、ダーウィンからヘッケルまで、約70年にわたって人類が手に入れた科学の視座は自然の概念から神を遠ざけた。進化論の是非が昨今では見直されているようだが、近代以降の自然観に影響を与え、私たちにも受け継がれている。生物は神による創造物として不可知だった時代を鑑みると、フンボルトによる「生命の網」の発明は神殺しのストーリーとも読める。…「神殺し」はさすがに過言ですね。申し訳ない。
このように、本書から幾度となく感化され、ちっぽけなアイデアを暴走させてしまった。ぜひ、この読書感想文を読んでいるあなたにもフンボルトに感化されてほしい。読後に水族館へいき、同行している友人や恋人、家族に「フンボルトペンギンの由来って知ってる?」と熱く語ってほしい。19世紀に活躍して第二次世界大戦の影響で忘れられた博物学者のことを、同行者が感心してくれた方は幸せ者だ。暑苦しく語った暁に訝しがられてしまったあなたと、私はさらに暑苦しく語り合いたい。
*本書にはフンボルトと並んで近代地理学の父と称されるカール・リッターの名前も出てくるが、18章にてわずか1文で言及されているのみで、具体的なやり取りは記されていない。しかし、地質学を含む学問の近代化の様子は政治的背景も含めてわかりやすく解説されている。