閃光ばなし感想④最後のシーン
閃光ばなしの最後のシーン、結構解釈に意見が割れると思われる。
是政は生きているのか、
最後のバイク音は誰なのか、
政子はどんなつもりで是政を法廷から連れ出したのか、
政子の踊りの意味は何なのか、
そのあたりを考えてみた。というか、観劇後ずっと頭から離れず考えさせられた。仕事も手につかず、是政禁断症状に見舞われた。
①『こうするしかないでしょ!』の『こう』の意味と『お兄ちゃん!』という絶叫の真意
胸糞悪い裁判で是政の証人として呼ばれた政子。バーンと法廷にバイクで乗り込んできて、政子が運転するバイクの後ろに是政をのせて法廷から逃げた。政子は『こうするしかないでしょ!』と是政を丸め込み、是政も『わかた!』といい、『わかった!』と言い直しをさせられた。
その後、警察に追いかけられる兄妹。
途中、追手と出くわしてしまう瞬間があり、そこで是政と政子は運転を交代する。
そして是政運転になった時、がけ?橋?から飛んで、クレーンでバイクが一階席頭上、二階席ぎりぎりまで飛び出す演出を使いながら兄妹がバイクで空を飛んだ。
政子は飛んだ後に降下していくとき、『落ちてるの?降りてるの?お兄ちゃん!!』って叫ぶ。
ここからは私の考えでしかないが、
政子は、お兄ちゃん!と叫んだのでバイクで飛ぶことは想定になかったのだと思った。
てことは、こうするしかないでしょ、の、こう、とは何なのか。
裁判で負けても逃げ出しても結局は勝てる見込みのない裁判。
前のシーンで足立区に行くって誘いが出てたから政子はあのどん詰まりにこだわりはなくて、ほかの土地で過ごすことにためらいがないように思った。
だから出ても出なくても結果の変わらない裁判にいるより、はやく住む所見つけて、野田中の奴隷というか、支配下というか、とりあえず野田中は自分の縄張りにいる人格者の芽をつぶしたいだけだから、その地域から抜けて過ごすしかないという意味の、こうするしかないでしょ、なのかもしれないと思った。
マイナスだろうが、プラスだろうが0から離れられれば良いという考えだし、誰かがみてくれているかも、と踊りを踊る彼女は何よりも精神的なものを大事にしているように見える。
だから、親から受け継いだ土地で一緒に育った仲間と過ごすというより、楽しく刺激的な毎日が送れるならそれでOK的な。
まだ生きるつもり満々だった政子は落ちたら死ぬと思ったとき、ちょっと待ってよ!という思いから、お兄ちゃん!という絶叫につながるのかなと思った。
ちょっと余談だけど、政子が結婚したのは是政が戦争に行っている間で、政子は苗字が変わっていない。是政の片思い的な感じかと思いきや、二人の気持ちが一致している感情なのかは定かではないけれど、案外政子も是政の事はなんやかんや大事に思っているのだろうと思っている。
もしかしたら戦争から帰ってこないかもしれない是政。昭和の時代やっぱり男尊女卑じゃないけど、親も両方いない、兄もいないかもしれないとなったら、結婚しておけば?という周りの勧めに乗る気がする。
夫婦別姓なのは政子の意志なのか、それとも戦争の混乱した中で結婚したから苗字とかどうでもいいわ!苗字が何だろうと私は私だし!!ってことで変えてないのか、何なのかわからないけど、是政を思って苗字を変えなかった気持ちもなくはない気がする。
それと、
政子は一人ではどん詰まりから逃げなかった、もしくは旦那と逃げるのではなかった。
政子は是政を裁判所に迎えに行って、兄妹でなら違う場所で生きられると思ったのではないかと思った。
②『わかた』の是政
一方で、裁判所から抜け出すときにどこ行くの?と政子に聞いたり、どん詰まりは売らないと言い張る是政は、政子とは対照的に親から受け継いで営む自転車屋に執着心があり、結婚式に行かない選択肢を取ってまで電柱を直すほどにどん詰まりの【みんな】の事を大切に思っていることから、
政子にこうするしかないでしょといわれたときに、行くところもなく、生きるすべもふさがれ、汚い権力に絶望させられ、死ぬならこのタイミングでと思って死ぬ覚悟をしたのではないだろうか。
父も母も家とは違うところで亡くなっている。
是政は回想シーンでやけに家族の事を思い出したり、出ていった母のことを子供の頃拒絶していたことから、とても地元に対しての思いが強く、死ぬならここでと思っていてもおかしくはないのかな、と思う。
わかた、と一回目に答えた時にはまだ覚悟ができていなくて、政子に小っちゃい つ!!と言い直しさせられた時のあの短い間に覚悟を決めたのかな、、と思ったり。
③飛んだバイク・生きている政子・姿の無い是政・最後のバイク音・政子の踊り
がけ?から飛んだバイクは地面に落ち、その時、裁判所から逃げた兄妹を追っていた白バイとぶつかり大破させたが、是政たちのバイク自体は損傷がなかった。
白バイ隊員も政子も生きていた。ただ、是政の登場シーンはバイクが飛んだところまでだった。
どん詰まりにいる政子と、電柱守の会話で、
どん詰まりのほとんどが夜逃げしたけれど、電柱守の聞いていたラジオの話では、
きちんと基準をまもって整備されていたはずの白バイよりも、危ない不十分な整備で客の命を脅かすものとして裁判の論点にもされていた是政たちのバイクのほうが強かったことから、裁判は見直されることになり、もしかしたらどん詰まりは売らなくても済むかもしれないという、話になっているらしい。
電柱守は政子に『お兄ちゃん裁判所で頑張ってるんじゃないの?行ってあげなくていいの?』と声をかけた。
ってことは是政は生きていると思う。
それに、バイクで落ちて是政が死んでいたらバイクの安全性の保障という意味ではちょっと信憑性に欠けることになるような気がして、だから是政は生きていると私は思う。
政子は小さいころからよく踊っていた。政子の踊りは、大人によいしょされて、元気が出る踊りというか、帰ってくる踊りというか、神聖な感じの踊りという意味付けをされていた。
久々に踊りますか!と踊りはじめる政子。
是政の回想シーンで明らかになったけれど、家出をした二人のお母さんは一度帰ってきていて、陰から二人の事を見ていたし、政子の踊りも見ていた。
政子と是政が楽しそうに遊んでいるからお母さんは話しかけられなかったのではないか、という考えに至った二人、楽しそうじゃなかったら話しかけたのかな、といっていた。
あと、政子は、全部の不幸は私のせい。みたいなニュアンスのことも言っていた。
政子の踊りは帰ってくる踊りといわれていたから、裁判所からお兄ちゃんが帰ってきますように、という祈りの気持ちを込めての踊りかもしれない。
もしくは、
死ぬ覚悟が是政にあったことは、一緒にバイクに乗っていた政子には伝わったと思う。
だから裁判の結果に関わらず是政が帰ってこないかもしれない気もしていたようにも思えた。
政子は踊りながら近くにいた電柱守ともう一人に向かって『あんたらに踊ってるんじゃないんだよ、もしかしたらだれか見てるかもしれないでしょ?だから踊ってんの!』といっていた。
帰ってきてほしい気持ちを込めての踊りである一方で、踊っていると話しかけられないことはお母さんで実証済み。是政が政子の安否確認だけしてその場を離れられるように踊っていたのではないかと思った。
不幸は私のせい、という政子だから、是政が大事に思っていたどん詰まりを売らなきゃいけないかもしれないことになってしまったり、是政が大事に思っていたどん詰まりの住人たちがてんでバラバラになってしまったりした原因は自分だと考えて是政から離れようとした気持ちの踊りかもしれない。
最後のバイク音は、三人は通り過ぎたからほかの人だ、といっていたけれど私は是政だと思う。
是政ははじめ何があっても『みんな』といっていた。自分と関わる人すべてを含むようなニュアンスを感じる。
婚約者と話すことで『みんな』はどん詰まりの人をさすことに気づいた。
途中、『俺のみんなは俺と政子だ、でも、俺たち二人が幸せでいるためにみんなには笑っていてほしい』というようなことをいう。
どんどん『みんな』の言葉のさす範囲が狭まっている。最後は俺だけになって、どん詰まりを捨てていった時のバイク音なのではないかと思っている。
題名だけだとわかんないけど、観劇したら意味が通るのがこの系統の舞台。
閃光ばなし。
閃光とは、瞬間的に明るくきらめく光のこと。
あの時楽しかったなーーーと思い出したときに輝いて感じる時の話。
もしかしたら全部是政の回想シーンなのかもしれないと思っている。
政子がいて、どん詰まりの人がいて、あまがみし合ながら、やいやい言い合って
大変だけど、0から離れて生きていた時。
たのしかったなーーーと、一人になった是政が思い出しているのかもしれないと思ったら余計に最後のバイク音は是政が立ち去るバイク音のように思えて仕方がない。
そして、どん詰まりは売らなくてよくなったんじゃないかな、って私は思う。
ハッピーエンド厨なのでそう思いたいだけかもしれないけれど、
何よりも政子も守り、大事にかわいがってきた是政がどん詰まりを売ることになったら政子は住むところがない。住む仲間もいない。
そうなるなら是政は政子の生活を安定させるまではきっと一緒にいると思う。
裁判の結果が覆ったから政子を一人にしたのかもしれない。