空區地車の力学その68.地車は体格・実力主義!これは不公平ではない!!
5月5日の宮入りは1年に一度、運が良ければ神と出会える日。
しかし、この日は最も観客の多い日でもある。
したがって、不謹慎な若中は、観客に酔いしれ目立つことだけを考えてしまう。しかし、重さ4トンの地車の前を上げたまま、何十回となく落とさず回さなければならず、いくら不謹慎な若中とはいえ、否応なく汗だくになって必死で、担ぎ、回すしかない。
一日中曳いても塩を吹くこともなかった法被が、汗でぐしょぐしょ、ヨレヨレになる。宮入りが終われば見事に帳尻が合う汚れた法被となる。昼間サボった若中も法被だけを見れば「終われば、やった感満載」となる。
宮入りは、とにかく目立つので、イチビリは地車の前に行きたがる。しかし、まずチビは前にはいけない。チビは地車前が上がると背伸び状態になり、ヨチヨチ歩きの役立たずになるからだ。
前が上がっても担げるタッパがないとダメ・・・最低でも175センチはないと。さらに力持ちで、ある程度地車の力学をわかっていないと地車の前には不向きである。
「社会主義(年功序列)はアカン」と宮入り時の地車をみているとつくづく思う。誰でもが平等ではなく、体格・身体能力の差がモノをいう、いわば実力主義が存在する。体格と身体能力の有無に加え、地車に対する知識が地車の前にいけるかどうかの判断基準となる。気力だけでも、どうにもならない。やる気はありがたいが、無謀というものだ。
こうして血気盛んなノッポは地車の前に、そして血気盛んなチビは、地車の後ろに集結する。
私が社会人になって間もなくの頃の所長訓示は「仕事は人が一を十にするため仕える事。働くとは人が動いてハタの人を楽にする事だ」。
わずか4年の会社勤めでは、ついぞ感じなかったが、地車を担いでその意味を理解した。
様々な人間が自分の技量を理解し自然と適材適所に散らばり、チーム全員が同じ絵を見ることができれば、重さ4トンの地車が動きだし、走り、方向転換し、バックし、回る。
地車を曳く時は体格・実力主義であり、がしかし通常時は年上を敬う年功序列であり、子供会優先だ。そうして、機動力だけでなく安全をも担保しつつ、後継者を着実に育てていく。
地車は人を成長させる。
素晴らしき若中達よ、君たちは美しい。