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2021年に読んだ小説ベスト5

 ベスト5とありますが、ベスト5になっていない気がします。無数のおもしろさの軸からなる空間上にプロットされた点群に対して、図抜けた1つを見出すことはできても、順序をつけるのは難しい。ゆえにこれは1年間にわたる体験に生じた偏りを遠くから眺めたようなものです。それは、少ない字数と足りない言葉で1冊の本の感想を書くのと似ています。文字を書く代わりに、本を並べているわけです。書物の形をした語彙を1年貯めた甲斐があり、贅沢な出力を楽しめました。なお、2021年には小説・新書・エッセイ57冊とニンジャスレイヤー連載分を読みました。小説については、以下の「アレやコレ」マガジンで短い感想も書いていますので、日々の感想摂取にご活用ください。

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歌の終わりは海/森博嗣

 作詞家は、その夜、1人で海にいた。探偵もまた、仕事で彼を追い、その夜、1人で海にいた。依頼は浮気調査。人付き合いを好まない作詞家に女の影はなく、ただ「恋人」と称されるほどに仲の良い姉が1人だけ。やがて、起こるべくして事件は起こる。ただし、それは浮気などではなかった。

 『馬鹿と嘘の弓』の続編であり、本作もまた訳題の通りのものが小説として現れています。歌の終わりは海。Song End Sea。尊厳死。しかし、そんな言葉遊びにはしゃぐ自分が恥ずかしく思えてしまうほどに、本作はその題材を、「題材」などといった気張ったものにならぬよう、ただ宙に浮かべています。この小説の中にあるものは、そうあった人たちとそれに関わった人たちの思考と行動、そして1つの死であり、それを書き写す文章によるスケッチはこれが物語であることすら忘れてしまうほどに、ごく自然に行われています。テーマもメッセージ性も、文章を重ねあわせた後ろからほのかに香る気の迷いでしかありません。

 まるで推理小説のように、事件が起こり、死体が出、謎が生じます。しかし、推理はなく、解決編はありません。各々が考えを巡らせはしますが、ただ事件は事件のままに、複数の形で解釈され、納得され、あるいは納得されず、時間だけが経過し、気が付けば最終ページを通り過ぎているのです。私は森博嗣の小説を実験的なミステリとして読みますが、そう言った制限された視点を持つことすらくだらなく思えるほどに、本作は、ただ完成されています。それ以上の何かしらを小説の外から持ち込む必要はないように思えます。読み進める内、「ひょっとしてこれは森博嗣の最高傑作なんじゃ」という戦慄が起こり、しかしそれすらもこの小説は忘れさせてしまうのです。ただ、歌の終わりに海がある。これは、それだけで足りている1冊です。


黒と愛/飛鳥部勝則

〈奇傾城〉。酸鼻と背徳を極めたその廃遊園地には、幽霊が出る噂があった。心霊ロケの手伝いで奇傾城を訪れた ”探偵” 亜久は、そこで真っ黒なセーラー服を着た少女・黒と出会う。勢いを増す嵐。発見される首切り死体。不吉な少女に呼応するように、事件は起き、城は黒と死に閉ざされてゆく。

 推理小説。ゴーストストーリー。人殺し。死体の損壊。ソフトフォーカスのかかった少女。暴力の衝動。破滅への誘惑。怪奇。ホラー。そして、ゴシック……「黒」と「死」、そしてタイトルにある「愛」にまつわる全てが、はちきれんばかりに詰め込まれた異形の小説です。飛鳥部勝則という作家の臓腑をそのままぶちまけたような〈奇傾城〉という舞台は、固形化するほどの濃ゆい倒錯に満ちており、さらにその上から、情欲と執着を煮詰めて作った真っ黒なタールがたっぷりと、それはもうたっぷりとかけられているのです。粘性の液体に焼き焦がされ、縮れ、もだえる臓腑から立ち上る甘い甘い匂いは、読む者を彼岸の向こう側に連れてゆく……。

 とにかく、全てが変質的で過剰なのです。小説を形作る部品がどれも血が滲むほどの力で握りしめられ歪にひずんでいるのです。そんな小説が、当然まともな展開を迎えるはずもなく、物語終盤で繰り広げられる地獄絵図、大カタストロフィの有様たるや、これはひょっとしてこれはギャグのつもりなのかと疑念がよぎるほど。しかし、その過剰さの奥底に見えるのは、1人の少女の形をとったイノセントな痛切さであり、それに向き合う筆に一切の悪ふざけはよぎりません。「真っ黒なセーラー服を着た少女」。あまりにも出来過ぎたモチーフでありながら、これはマジです。真剣(マジ)で本気(マジ)の魂の絶叫が、ここにあります。その少女が放つ存在感は、読者の視界を歪めるほどの重力を備えており、その重さこそが、この異形の小説をヒトが手に取れるサイズにまで押し固めているのだと私は思います。


指差す標識の事例/イーアン・ペアーズ

 1660年代、イングランド。オックスフォードで起きた毒殺事件の犯人として捕らえられたのは、貧しい雑役婦だった。ヴェネツィアの医学生。法学徒。暗号解読のプロ。歴史学者。事件の関係者の手によって四者四様に記された手記を重ね合わせた時、果たして事件の真相は立ちあがるのか?

 1つの殺人事件を、4人の主人公・4つの視点・4本の手記によって描いたミステリ。翻訳の際に、手記ごとに訳者を変えるという試みがとられているのですが、その趣向は大成功と言えるでしょう。4本全てが別個に完結したストーリーでありながら、互いに絶妙に影響し合っている。そのため、手記を1本読むごとに既読の手記に対する印象ががらっと入れ替わることになるのです。読み進める度に、見知った風景がくるくると姿を変えてゆく贅沢さは、小説の形をとった万華鏡のよう。それはとても4つには収まらない、物語の千変万化であり、また、それを通して眺めるものが、歴史を揺るがす大事件ではなく、たった1つの毒殺事件だというのもクールです。

 重ね合わさることで真相らしきものを立体的に立ち上げてゆく4つの手記は、お互いにお互いの記述を否定しあい、ごつごつと主観をぶつけあいます。そこから読者が読み取れるものは、自分と他人の距離であり、物語の舞台となる1600年代のイングランドと我々読み手の現代社会の隔たりであり、何より、虚構と現実の境界です。それらは遠く遠く離れ、決して混じり合うことはありません。しかし、「読む」という行為がそれらを重ね、その距離の間に何かを見出す糸口となるのです。そして、その前提として、読まれるテキストを「書く」という行動が絶対に必要であった、ということ。言葉という不完全なツールを握りしめ、我々はたった1人きりで、それを書き、読んでいる。此方と彼方の間にまたがる暗闇に光を投げかける「指差す標識の事例」とは何か。これは、ミステリであり、事件小説であり、何より私にとっての「小説」という型式が持つ意味を突きつめた傑作でした。

▼単独の感想記事


ミステリー・オーバードーズ/白井智之

 肛門と口が入れ替わった異世界での殺人。フナムシ大食い大会で起きた殺人。薬物中毒でイカれた探偵の書いた手記。食にまつわる5つのパズルに彩色を施すのは、腐臭、糞尿、ゲロに下痢……尾籠極まるグロ絵の具。嘔吐寸前、オーバードーズ待ったなしの最悪グルメミステリ短編集。

 「短編の推理小説」というものに対して、それが取りうる最大の理論値を思い浮かべたとしましょう。どんでん返しの巧みさ……パズルとしての鮮やかさ……話としてのおもしろさ……謎の魅力……謎解きの切れ味……作品としての新規性……ロジックの美しさ……それらが全て理想的に実現された、短編の推理小説。それが机上の空論ではないのだから、驚きです。『ミステリー・オーバードーズ』という短編集は、理想が実作として形をとった、私にとっての「答え」のような小説です。白井智之の書く推理小説は、現代日本において同ジャンルの頂点だと私は思っており、このアルバムはまさにそれを証明する傑作でした。傑作だったんです。たとえそれが、うんこと小便とゲロにまみれた汚物だとしても……。

 フナムシを咀嚼してできた吐瀉物や、肛門から飯を食って口から糞をもりもりひりだす異世界を、完璧な必然性をもって差し出してくるのだから読者はたまったものではありません。うんこを固めてパズルを作るな。しかし、「うんこを固めたパズルでなければいけない理由」を驚きと精密性をもって実現させているため、反論すらできないという地獄の様相がここにあります。フェアな推理小説は問題編で全ての手がかりを読者に示す必要がある。つまり、手がかりがうんこでできているなら、読者はうんこを直視する羽目になるし、フェアである以上文句すらもつけられない! 推理小説という型式自体を悪意をもって運用した最悪の作品でありながら、前述の通りそれを同ジャンル頂点級の完成度をもって成し遂げられてしまっているジレンマ。遺憾ながらオールタイムベスト。悔しいが大傑作。感動と嫌悪を際限なくつめ込まれるこの読書体験は、のうみそがばくはつするような致死性の刺激に満ちています。


なめらかな世界と、その敵/伴名練

 パラレルワールド。歴史改変。脳改造。超能力。シンギュラリティ。そして、小説。SF的な仕掛け、そして物語の力によって限りなく広がってゆく世界の中で、わたしとあなたの関係性が、ただの1つを確定させる。SF小説にして小説SF、2人きりの短編集。

 2021年のベスト。冒頭に書いた「図抜けた1つ」。奇想の飛距離という点においても、物語としての叙情という点においても、あまりにも激烈で、破壊的で、美しい。キャラクターや、タイトル、台詞、設定の全てが、完璧な形で噛み合い、1つのものを作り上げている。どこを切り出したとしても、その断面からは、SFとしての、小説としての輝きが放たれていて……そして、必ず1つ瑕がある。収録作の全てにおいて、限りなく広がってゆく世界と、その中にいる「わたし」と「あなた」が描かれるのです。SF的な仕掛けによって、あるいは人が物語ることによって、可能性は無限に拡散してゆき、やがてそれは身動きがとれないほどに広い、なめらかな荒野となるのです。全てが自由であるがゆえに、行動のとれない世界の中で、目の前に立つ「あなた」という制限が、「わたし」に行動をとる余地を与えるのです。

 本作はどこまでも、「わたし」と「あなた」の小説であり、ゆえに、結末を選び取ることから決して逃げることはありません。「あなた」から目を逸らすことはありません。本作は、限りなく完全な代物でありながら、結末を語りすぎるという点で瑕を持っており……しかし、その瑕こそが最も優れた部分なのだ、と私は思います。なめらかな世界が放つ目をくらむばかりの美しさに、ガリガリと爪をたてる意思、衝動、気持ちが、バランスを欠くほどの熱を放っているのです。非合理なまでのがむしゃらさで、目の前に立つ「あなた」を抱きしめること、あるいは、くびり殺すこと。境界のない世界の中に立つ自我の物語であると読むならば、本作は確かにとてもSF的であり、サイバーパンクなのかもしれません。しかし、どこまでも「あなた」がつきまとう、2人きりの物語であり、2人だけの世界であるこの小説は、そういったジャンル分けを行うことすら無粋な、オンリーワンだと思います。

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