2022年に読んだ小説ベスト5
2022年はプライベートにおいてテキスト主体の書籍を55冊読み、内52冊が小説でした。漫画はカウントができないのでわからないのですが、購入履歴に再読量を見込んだ係数を乗じたとしておそらく500冊程度でしょうか。この記事は52冊から5冊を選んだものとなります。読んだ小説の評価を数値に換算する場合、私はおそらく「好き」「完成度」「おもしろさ」の3軸の評価となるのですが、そういったあまり意味のない処理や記録は特に行ってはおらず、かつ、行ったとしてもこの5冊は数字を上から並べたものにはならないでしょう。定量化よりも言語化を。これは1年をひとまとまりの読書体験と捉えた時、それを言語化しうる5語の選出であり、つまり限られた語彙から読書体験を言葉になおすいつもの感想行為のマクロ版と言えるでしょう。なお、個々のミクロな感想行為は以下の「アレやコレ」マガジンに日々挙げておりますので、各々の感想摂取に活用してください。
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怪盗フラヌールの巡回/西尾維新
世代というのはやはり呪いのごとく魂に染みついているもので、自分にとってのそれはやはり「講談社ノベルス」であり「新本格ミステリ」であり「新青春エンタ」であったりするわけです。語らなくば最早全てが立ち行かなくなるような衝動と、なんだかわからない怒りに似た激情によって飛び散り続けたそれらは、読者という傍観者であった己にとってすらも、やはりどうしようもなく『少女不十分』であり「まっかなおとぎばなし」でありました。ゆえに、私はこの作品をそれらの文脈から切り離して読むことはできません。これは、おそらくあの世代を代表する最大の呪者の1人が、大昔に自分と読者に対してかけた不十分であり欠陥製品であった呪いを……「夢とロマン」を解体し、再び語り始めるお話となっています。
西尾作品らしからぬテンプレートな「1代目」と、過剰なまでに西尾維新らしさが強調された「2代目」。2種のキャラクター群を執拗にぶつけあう中で、「名探偵」の座だけが2つの世代をぶち抜いているのは名探偵に対する諦念なのか、信仰なのか。在りし日の怪盗譚は、西尾作品らしい実のない舌先三寸によって否定されてゆき、一方で、紙の上でくるくる踊るそれらの空虚なレトリックに紛れ、本当の物語る言葉が照れ隠しのように潜められている。その正体は、「それでも」「それでも」「それでも、今もあの『夢とロマン』は!」と気恥ずかしいまでに叫びたて、その上で「まっかなおとぎばなし」を1つ先に進めようとする焼けるような熱量です。これは強いバイアスと内輪の文脈の上に立脚した感想でしょう。あの頃、呪われた1人しては、西尾維新が今この小説を書いたという事実はそれほどに眩しく……「それでも」「それでも」……それでも、2代目の怪盗や警部や探偵にとっても、本作はきっと価値のある宝物であるはずだと、私は勝手に思っています。
11文字の檻 青崎有吾短編集成/青崎有吾
短編集というまとまりのおもしろさは、独立した個々の短編をまとめて読むことで帰納的に何かが立ち上がってくる過程にあると思います。『青崎有吾短編集成』と冠された本アルバムで立ち上がるものは言うまでもなく作者本人であり、ここに並んだ8編はそのあらかたのはらわたをバラエティ豊かに……いや、それよりもはるかにお行儀悪く「雑多」にかき集めたものでした。なにしろ、他社から出版されている漫画の二次創作小説まで収録されているのです。推理小説家の推理小説の垣根を外した作品群は、1人のイメージを立ち上げてゆくと共に、そこから生まれうる推理小説として何が語られてきたのかを如実に、言外に、本質的に、伝えるものとなっています。
中でもやはり白眉と言えるのは、最後2つの収録作でしょう。どこか不健全さを備えたまま箱1つの中に閉じ込められ、2頭の蛇が食らい合うように過剰に濃度を高めたロックドルームの人間関係。そこから絞り出される滋味あふれる雫に舌鼓をうつと共に、そのように密室の中を暴き出し覗き見る不埒に「恋澤姉妹」は唾をはきかける。情報量が極めて限られたロックドルームな世界の中で、論理的な思考と知性による飛躍によって定まった1つの回答……「真実」に似たものににじり寄ること。ヒトが備える論理と発想という知性に由来する能力を武器に、自らを閉じ込める檻を揺さぶり、到達できないはずの密室の外に「11文字の檻」は手を伸ばす。非探偵小説と、推理小説。ここまでの6編だけでなく、他の長編作品・短編作品すらもまとめて総括できるほどに、最後の2編は「青崎有吾の小説」のあまりにもクリティカルな裏表でした。「これが俺の小説だ」という堂々たる宣誓は、本当に格好がよく、目を細めてしまうほどに眩しいものでした。
地球人類最後の事件/浦賀和宏
自分にとって、2022年は〈松浦純菜・八木剛士〉シリーズの年でした。ほぼまる1年かけて全9作(正確には1、2作目は2021年に読みました)を読み通したこの体験は、一体なんだったのか。ページのほとんどが主人公の鬱憤と憎悪と性欲で埋め尽くされて物語は遅々として進まず、進んだら進んだで大体ろくでもない方向に転がり落ち、それによって文章に籠った怨念の湿度と濃度はより高まり、腐った糞便のようにリビドーがどこまでもしつこく糸を引く。登場人物のほぼ全員が身勝手で幼稚で暴力的でちっとも好きになれる部分がなく、恐ろしいことに語り部を務める主人公がその最たる例で、呪詛と怨嗟の隙間には自己弁護とヒステリックとクソみたいな言い訳がぎちぎちに詰め込まれ、生臭い悪臭を放っている。
読者に読まれることにすら怒りと呪いをぶつけ、自傷するように可読性を振り捨てたこの作品群が、最早物語なのかどうかすら私にはよくわかりません。これは誰に向けて何を語っているのか。誰が何のために語っているのか。ぼうぼうと燃えるよくわからないエネルギーの塊となって、むちゃくちゃに暴れ回り、壁にぶつかってはわめき、射精し、糞を漏らす子供の前で、この小説に関わる全てが握りつぶされ、踏みにじられ、焼き溶けている。私は、その汚らしい飛沫が顔にかかっていることも忘れ、そのただただ異様な力(ちから)を前に、ぽかん突っ立っているしかありませんでした。この体験は、一体なんだったのか。……「好き」でも「完成度が高い」でも「おもしろい」でもない……決してそんな生ぬるいものではない……強いていうなら「傷つけられた」……そう、私は、これを読み「傷つけられた」。ゆえに、このシリーズは私にとっての「特別」であり、それが最も強くなされた『地球人類最後の事件』は、一連の読書体験を象徴する1冊として、忘れられないものとなっています。
BLEACH Can’t Fear Your Own World/成田良悟、久保帯人
『BLEACH』という漫画作品は、調整者たちを主役に据えながらも、作品自体は歪に崩れたヘンテコなバランスで成り立っているのが最大の魅力であると個人的に思っています。血肉を伴って立ち上がる個々のドラマが美しく仕上がる一方で、それらが噛み合ってできる物語全体は酔っ払い運転のように右往左往、しかし軸となるテーマに向けてはきちんと歩みが進められている……読者の理解の外側に「ブレない点」と「ブレる点」が区別され、整理されている。個人的にはその歪さが鳴りを潜め真っ当なエンタメ作品として高水準に仕上がった尸魂界編は物足らず、その歪さが極点に達していた破面編はさすがに飲みこむのに厳しいものがありました。歪さと真っ当さの両方が贅沢に盛り込まれ、拳を振り上げながら首をかしげることのできる千年血戦編が、私にとっての『BLEACH』のベストです。
前作『Spirits Are Forever With You』は、その歪に崩れた断片に糸を通し、『BLEACH』という作品が持つ根幹のテーマを心棒に精緻に編み直すものでした。一方で、本作は違います。ノベライズ者の高い技量は、歪さを解体して整え直すことではなく、その崩れ方の構造を理解して再現することに費やされています。「ああ、確かにBLEACHってこういう変な漫画だったなあ……」をテキストにおいて組み上げられる技量の高さ、そしてそれを可能とする原典読解のレベルの深さという点で本作は突出しています。主人公・黒崎一護を通じて描かれた「勇気」の物語を、同じく「勇気」をテーマに据えて再構築した前作と比し、本作はその対となる「恐怖」という題材を、精緻に再現された原典の歪さに乗せ、「『BLEACH』という作品であるならばここに辿り着く」という納得に足る別解に到達させています。原典に対する、理解・解体・再現。そうして生まれた機構を用いた、原典のその次を目指す挑発的な挑戦。二次創作としてノベライズとして、本作は間違いなく傑作であると私は思います。
噛みあわない会話と、ある過去について/辻村深月
今年のベスト。タイトルそのままの内容が、礫となって真直ぐにこちらに向けて飛んでくる短編集。「ある過去について」の真意は時の経過に伴って関係者たちの中で緩やかに変じ、現在に「噛み合わない会話」を作り出す。本当にただそれだけの話が4つ集まった短編集でありながら、本作は辻村作品の最高傑作と呼んでよいただならない迫力を帯びています。綴られる言葉の1文字1文字は書くべきもののために最適に磨き抜かれ、タイトルに反するように全てが完全に噛み合って、短編を1つ産み落とす。1人の作家の「脂が乗り切った」その一瞬が本1冊の形をとっており、ページの隅々に至るまで緊張が張りつめているようです。自分は今、小説を読んでいるのか、爆弾を解体しているのか、段々と区別がつかなくなってくる。
ある収録作で書かれた「人の言葉をいちいち覚えていて、勝手に傷つくのはやめてほしい。こっちはそんなに深く考えていないのに、繊細すぎる。」の2文は、辻村深月という作家が産んだこの世で最も攻撃力の高い日本語の並びではないでしょうか。未成熟で主観的な時の停まった冷たい校舎は、成長を経て客観性を手にし、その閉じた世界を愛おしむかがみの孤城に姿を変えた。本作で描かれたのはその次の段階、未成熟であることも主観的あることもごく当たり前のこととして、物語としての熱をもたせずただスケッチのように記録する……そんな残酷であり、老化であり、前進であるように思います。私は辻村深月という作家を、作品を重ねるごとに変わってゆく作家として愛しています。「ある過去」が変じ続けて辿り着いた現在こそが、まさにこのアルバムであり、その過程を知るに私にとって本作はあまりにもスペシャルです。一方で、その過程を踏まえずとも、本作が傑作であることに疑いはありません。何故なら過程が隠されることによって距離が生まれ、真実は発散する……「噛み合わない会話」が、生じるのですから。