最近読んだアレやコレ(2024.10.27)
急激な温度変化で体調がぐずぐずになっているところに、徹夜の労働や休日の労働が襲いかかり、さらには振り替えの休みも差し挟まれることもあって、曜日感覚と時間感覚が完全に狂ってしまった今日この頃です。13時くらいに起きて、平日の街中、膜のかかった脳越しにあくびしながら散歩するのも風情があるもので、少し外食が増えました。先日は散髪屋の店主から教えてもらった蕎麦屋に行ったのですが、蕎麦がいつまでも待っても出て来なかったため、まるまる太ったジョロウグモが窓の外に巣をかけているのをぼんやり眺めながら、出汁巻卵を小さく突き崩していました。
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殺人者と恐喝者/カーター・ディクスン、高沢治
近頃、フェル博士ばかりが新訳されており、H・Mが恋しくなってきたため、まだ読めていなかったものに手をつけ始めました。……と、気楽に手にとった1冊だったものの、本作、これまで読んだカーの中でもトップクラスにおもしろい作品で驚きました。『殺人者と恐喝者』という邦題は不敵な企みに満ち、『Seeing is Believing(百聞は一見に如かず)』という原題は小憎らしく洒落が効いている。殺人者と恐喝者が同居する家と催眠術ショーでの殺人という、いまいちどう繋がるのかわからない2つのシチュエーションに対し、通す筋道の隠し方があまりにも大胆不敵です。そして、べらぼうに鮮やかな(そして意地の悪い)「たったひと言」の真相を踏まえ、続いて明かされる物理トリックの膝からくずれ落ちるようなずっこけぶりと、あんまりにもあんまりすぎる犯人の顛末。鮮烈と脱力の急転直下でぽかんと口を開く読者を取り残し、舞台上では熱い熱いロマンスが交わされ、H・Mの意地の悪い笑い声がはるか天まで高らかに……。「懐に隠した1本のナイフの鋭さ」と「怪奇ロマンスおじさんの愛嬌」。私がカーに求める両方が、たっぷり楽しめて超最高。ついでに、「H・Mがずっとカスみたいな自伝を口述筆記している」というファンサービスが過ぎるサブシナリオも超最高。『髑髏城』と並び、マイ・ベスト・カーに選びたく思います。大好き。
方舟/夕木春央
「よくもまあ、こんな性根の腐ったクローズドサークルを考えるもんだなあ」と、にやにやしながら読んでいたので、結末に大爆笑してしまいました。本格推理・舞台設定・登場人物の全てが、最後に明かされる真相のために身を捧げて隷属し、その無私の忠誠に充分に釣り合った威力を、小説は間違いなく発揮しています。以上のように、「真相」に重心があることに一切の異論を挟む余地のない作品ではあるのですが、個人的には、それを支えるべく組まれた土台の見事さにも見惚れてしまいました。つまりは、実にロジックがいい。たまらなくいい。「ふーん、確かに理屈は通っているな……」という消極的な受容も、「緻密過ぎてちょっと胸焼けするな……」という過剰な難易度も、本作にはありません。あるのは、筋道立てて理を追いかけてゆく心地よさと、小さな納得と理解が連なってゆく高揚ばかり。本格推理の原始的な楽しみが、ひたすら詰め込まれているのです。そして、真剣で丁寧なロジックがあるからこそ、小説の全てが安心して仕掛けに身を投じ、トリックをこの上ない出来に完成せしめている。極めて変則的なコンセプトでありながら、推理小説としての骨組みが、あまりに強く、美しく、際立っていました。紛れのない、いい本格を読んだなあ、と余韻に浸ってしまいます。
泣き童子 三島屋変調百物語参之続/宮部みゆき
1話あたりの尺が比較的にショートに抑えられ、次話に移る毎に趣向ががらっと刷新される。これまでで最もバラエティ豊かな巻であり、いちばん「百物語」的な楽しみに則った1冊であったように思います。変わり百物語の中で通常の百物語をやってしまうシチュエーションのおもしろさが光る第4話「小雪舞う日の怪談語り」や、まさかのモンスターパニックものであり、人の営みの内で役割に殉じる厳しさを描く点で『荒神』に通じるものがある第5話「まぐる笛」など、名作揃い。中でも白眉と呼べるのが、標題作・第3話「泣き童子」でしょう。「ある条件を満たすと堰を切ったように泣き始める童子」。前半はその条件を観察・試行・推測してゆくミステリとしてのスリルで惹かれ、後半は非人間的な強度で徹底されるルールの厳密さに心身を震わされます。既知という外れることのない楔を打たれつつも、人間の認識はその場その場で揺蕩う濃淡の内にあり……内にあるかからこそかろうじて生きていけるのであって、条件づいた規則の下で、均質に既知の事柄を知らされ続けると、それがただの子供の泣き声であっても狂ってしまう。世界を秩序だてることは、解決とイコールではない。理の暴力が、ヒトというものの構造の脆弱部を突き崩し、ひとつの家がぐずぐずと崩れて落ちてゆく様子をつきつけられるのは、あまりにハードな体験でした。
三鬼 三島屋変調百物語四之続/宮部みゆき
前作と比べて1話あたりの尺がどっしり盛られ、いずれも長編の重量感を備えた4話構成の第4巻。このシリーズは連作短編も形式は崩さないままに、各編の独立性・連続性や尺の長短を変え、1冊としての読み心地を1巻毎に大きく変えてゆくのが魅力です。そのよい意味での安定感のなさは、百物語の聞き役を主人公として立て、彼女のストーリーを進めてゆくことにも強く現れています。ただの怪談集ではなく、百物語の物語である本作は、語られるお話をお話だけで成り立たせず、語り手・聞き手をも大きなファクターとして配置しています。聞き役が変われば、その場からするりと立ち上がるもの……「おそろし」の正体も姿を変えてゆく。本作のそれは、ヒトならざる大きな何かにヒトが見入ってしまう度し難さであったように思います。それは時に、幽霊であり、習わしであり、仕組みです。しかし、がぶりつき、前のめりに見入る隙だらけの姿勢の後ろから、別の何かがすっと首をもたげるおそろしさ……それがそうであると信じ切っていたものが、全く異なる「何か」だった戦慄。二者択一への注視の外に潜む、第3の鬼「三鬼」。わからない怖さを描く1冊であるからこそ、わからないものと、わからないなりに交流する第2話「食客ひだる神」のかわいらしさも際立っています。