ソクラテスとプラトン3

【エッセイ】哲学者は如何に行動するか~プラトン『クリトン』を読む

ソクラテス「それで、きみがやって来たのは、たった今なのかね、それとも、さっきからなのかね。」

クリトン「かなりさっきからだ。」

ソクラテス「それでいてどうしてぼくを起こさなかったのだ、黙ってそばに座っていたりして。」(『クリトン』43A-B)

 ソクラテスの死の前日の模様を描いた『クリトン』は、獄中のソクラテスと彼の竹馬の友クリトンとのこのようなやりとりからはじめられている。死刑執行が明日に迫っていることを告げる為に、クリトンは早朝人目を忍んでソクラテスのもとに訪れたのだが、彼があまりにもすやすやと眠っているさまを見て、敢えて彼を起こさなかったのである。しかし、クリトンが早朝に訪れたのはすでに運命が決まっている者に対してそのことを告げるためではない。彼が人目を忍んで早朝にソクラテスのもとに訪れたのは、ソクラテスを脱獄させるためである。死刑が目前に迫っている今、クリトンにとってこれが最後のチャンスであった。
 このように、クリトンは、少なくとも彼にとっては事態が急を告げるにもかかわらず、まるで眠れるソクラテスに魅入られてしまったかのように彼の前に立ち尽くしてしまう。ソクラテスは深く睡眠を貪っている。あたかも自らに課せられた死刑判決など自分には関わりがないかのように。ソクラテスとはいったい何者なのだろうか? 彼は今や、ゆっくりと目を覚まし、この竹馬の友に語りかける。だから、『クリトン』は、裁判の壇上で「アテナイ人諸君」という呼びかけと共に語られる『ソクラテスの弁明』とは異なり、ソクラテスの死の直前の旧来の友人との私的な対話を綴ったドキュメントという性格を持っている。脱獄を促す竹馬の友と、その勧告を拒否するソクラテスとの貴重なドキュメントである。ソクラテスは、死刑執行が目前に迫る火急の時を、この親しき人との対話に費やす。そのソクラテスの行動の倫理がここで問われる。しかも、そこで語られるソクラテスの言論は「大多数の人々の思惑は気に掛けるに値しない」「自分自身が最上だと思う原則に従ってしか行動しない」、さらには「国家が一旦下した判決は何でも従わなければならない」「国法との間に正しさの平等は存在しない」といった現代の私たちから見れば、いささか柔軟性に欠けた偏屈な思想信条、ないしは全体主義のイデオロギーを標榜するものとも取られかねない。そして何より、一見して保守的な「原則」はソクラテスが裁判の壇上で語った彼自身のラディカルな弁明と矛盾するのではないか? そうした、彼の主張に本当に意味があるのか、(必ずしも原文の脈絡に囚われない自由な議論の展開も交えながら)これから観ていこう。そのソクラテスの対話の意味の吟味から私たちが経験するのは、常識や因習に囚われず、私たちの如何なる思惑も寄せ付けずに、自らの思考における吟味と他者の説得を通して時代を超えた普遍的な倫理を打ち立てる「哲学者の行動」の何たるかであるが、それをどう評価するかは読者次第である。

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