細川光尚と鷹狩り
寛永8年、忠利が自身の嫡男・六丸(光尚)を鷹狩に行かせたいと老中の大井大炊守に願い出て、興昌のところで鷹狩りしたとの記録。
どうやら綿考輯録にもその記録があるようです~~
そのときの書状について大日本史料から抜粋。
この書状が発給されたのが、前描いた興昌vs忠興のあの長い書状からちょうど二週間後。
たぶんまだぎくしゃくしてそう。
補足として、興昌・光尚以後の肥後細川・谷田部細川は縁戚関係もってたり、交流もままあったみたいです。
といっても大体谷田部細川がお金かしてー!ってせびってるけど…
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